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10-8 トオル

 藤堂(とうどう)さんに血を吸われても、俺には苦痛が()っていた。  永遠に生きる体になっても、俺はもう、あんたとは一緒に生きられへん。  ひとりで化けモンになって、永遠に生きるつもりか、藤堂(とうどう)さん。そんなことして、幸せなんか。  俺はあんたも愛してた。アキちゃんと出会うまでの間の、もうずっと過去のことやけど、今でもそのことを、忘れてはいない。  幸せになってほしかったんや。一緒に幸せになりたかった。  それが無理なら、あんただけでも、って、そこまで思えるほどには、俺は愛ってやつの真髄(しんずい)を、理解できてなかったけど、それでも好きやったで。  一人で不幸にならんといてくれ。普通に死んで、生まれ変わって、また幸せな人間に、なればええやん。そうするにはもう、手遅れなんか、藤堂(とうどう)さん。  夢中で血を吸う化け物を、俺は必死で引き()がしてた。  首から血を(したた)らせる(きば)が抜け、真っ赤に()まった舌の男が、(なつ)かしいような、見知らぬような悪魔(サタン)の顔で、俺を見つめた。  はあはあ(あえ)ぐ息やった。  上手(うま)くいくのか心配で、俺はじっと藤堂(とうどう)さんだったものの顔を見つめた。その(ほほ)を両手で包んで、作り()えられる痛みに苦悶(くもん)する顔を、じっと見上げた。  変成(へんせい)は、急激(きゅうげき)に進んでいるように見えた。  頑張(がんば)藤堂(とうどう)さん。負けたら化けモンになってまうんやで。  脂汗(あぶらあせ)の浮く(ひたい)を、自分の(ひたい)に押しつけさせて、俺は藤堂(とうどう)さんを抱いてやってた。  (けもの)じみた(うめ)き声がして、体が小さく(あば)れてる。それでも、ぎゅっと強く抱いててやると、(もだ)えるような(ふる)えは、だんだんと(おさ)まった。  やがて、暗く長い水路を一息に泳ぎ切ってきたような、はあはあ(もだ)える息をして、藤堂(とうどう)さんは俺に抱かれてた肩口から、目を見開いた顔を上げた。  その目が、じわりと浮かぶような金色に変わり、それがいくらか溶け残ったような銀色の輪郭(りんかく)をしていた。  それでももう、化けモンみたいな顔ではなかった。元の通りか、それ以上に男前やったわ。  さすがは俺が、アキちゃんの前に()れてた男。  ついついそう思えて、俺は自分を(ののし)る笑みで、まだ体の上でぐったりしてる藤堂(とうどう)さんを見上げた。汗の(しずく)が、ぽたぽたと(いく)つか、降りかかってきた。 「根性(こんじょう)あるやん、藤堂(とうどう)さん。どうやら化けモンならずに済んだようやな」 「これが化けモンやのうて、なんなんや。悪魔(サタン)そのものやないか」  疲れたっていう笑みで、藤堂(とうどう)さんは俺を見つめ返してきた。  ええ男や。ひとりで生きていくのは勿体(もったい)ないな。 「そうやな。確かに悪魔(サタン)そのものやけど、前よりさらにイケてるで」  汗で()れた乱れ髪を()でつけてやって、俺はそう()めた。 「そんなら俺と()りを戻すか?」 「いやぁ、生憎(あいにく)やけど、それをやるには、俺はアキちゃんが好きすぎる。ごめんやで、藤堂(とうどう)さん」  首を()って、俺が断ると、藤堂(とうどう)さんは俺が憎そうに笑った。 「お前はほんまに、鬼畜(きちく)みたいや」  愛しげにそう言うて、藤堂さんは、うっとりと首をそらせた。  新しくなった体のことが、まあまあ気に入ったらしかった。 「それなら、しゃあない。新しい恋でも探そうか……」  そうや、藤堂(とうどう)さん。挫折(ざせつ)したまま()れたらあかん。  もう藤堂(とうどう)さんではないんや。なんやっけ。中西(なかにし)さん?  しっくりけえへんなあ。藤堂(とうどう)さんでええやん。そっちで()れてるんやから。  さあもう、俺に乗っかってる必要ないやろって、俺は言おうとした。いつまで足割っとんねん。未練(みれん)がましいのはモテへんで。  そうやなあって、そんな大人の別れで終わり、みたいなオチのつもりが、()の悪い子もおるわ。だいたい、いっつもそうやねん。うちのツレ。  俺がどんだけ、助けてアキちゃんて思ったか。そん時にはチラとも登場せんかったくせに、今さら来たで。しかも美形(びけい)神父のオマケ付き。  ばあんてドアが開いた。 「(とおる)!」  助けに来たんか、殺しに来たんか、(なぞ)なご登場やった。  アキちゃんは抜き身の水煙(すいえん)(かま)えてた。そうやって飛び込んできたアキちゃんがまず見たものは、乱れた風体(ふうてい)で、ソファに()()いた俺に乗っかっている藤堂(とうどう)さんやったやろ。 「なにやっとんねん、お前!」  俺は被害者(ひがいしゃ)やのに。可哀想(かわいそう)に、(とおる)ちゃん乱暴(らんぼう)されたんやで。  それでもアキちゃんは、俺に怒鳴(どな)ってた。 「(わけ)ありや……アキちゃん、キレる前に話聞いてくれ」  もう別れたし。交渉(こうしょう)成立してると思うし。それに血吸われただけやで。  それって浮気したうちに入るんやろか。その前にキスもされたけど、アキちゃん、それは見てへんやん? 「お前はもう、殺さなあかん……」  キレそうやっていう、酩酊(めいてい)したような顔をして、アキちゃんは戸口で剣を構えて、苦悶(くもん)していた。  水煙(すいえん)はやる気まんまんなんか、むらむらと白く煙るほどの(もや)を発してた。  俺を()ろうっていうんで、(よろこ)んでるんやろ。やっぱり、ええ根性(こんじょう)しとるわ水煙(すいえん)。 「殺したいんやったら、殺してもええよ。でも話聞いて」 「聞いてどうする……言い訳なんか……。なんで俺に、こんなことさせるんや」  アキちゃんは上段に剣を構えたまま、数秒耐えた。それでも耐えきれへんかったんやろ。一声もなく、(あざ)やかに()り込んできて、風を()ぐ音を立て、水煙(すいえん)()るった。

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