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11-1 アキヒコ
時は少々遡 る。
俺は神楽 神父と支配人室を出て、霊振会 の会合 があるという、ホテル内の会談室 へと連れて行かれた。
その部屋は、ホテルの一階の、かなり奥まったところにあり、うねうねと角を曲がる廊下 を歩き続けた先に現れた、赤黒い木製の扉 の中にあった。
こんなに広いホテルやったろうかと、俺は内心首をかしげつつ、神楽 さんについていった。
部屋は広々とした会議室で、楕円 の立派なテーブルがあり、革張 りのチェアがずらりと並 んだ正面の壁には、宗教画らしい大きな油絵がかけてあった。
質素な白い服を着た、縮 れた長髪の男が、崖 か岩山のようなところで、跪 いて祈ってる。
たぶんこれ、キリスト教関係の絵やろうと、ぱっと見には思えたが、なんとも陰鬱 な絵やった。
部屋の照明もどことなく暗く、幾 つかある大きな窓からの陽 も、その外に植わっているオリーブの木に遮 られ、やんわりとしていた。
日本にいる中で、いちばん偉 い神父やという人が、会議室にいて、ころりと小太りな、小柄で人の良さそうな爺 さんやった。
にこにこしてる顔も手も白く、なんとなく餅 みたい。
神楽 さんは革のチェアに座っていたその人の、足下 に跪 いて頭を垂 れて、金色の指輪をはめた餅 みたいな手を押し頂 いてキスをした。
その日頃は絶対見んような挨拶 に、俺は度肝 を抜かれてた。まさか俺もやらなあかんのかと思って。
しかし、そんなことはなかった。どうも足が悪いらしい、その老神父は、大儀 そうに立ち上がり、それでもにこやかに俺の手を両手で握 ってきただけやった。
ものすごく温かい手で、やっぱりつきたての餅 みたいに柔 らかかった。
あなたは大変な役目を神から与えられたが、共に頑張 りましょうと、餅 の神父はにこやかに俺を励 ました。
俺はそれに、頑張 りますと答えるほかあらへん。
部屋には他にもうひとり、こっちは古い柳 の木みたいに鋭 く痩 せた爺 さんがいた。
初対面やったけど、俺の知っている顔であり、俺のようく知ってる爺 さんやった。
「大崎 茂 や。会うのは初めてやったな」
確かに、痩 せた海原 遊山 やった。
まっすぐな銀髪 を肩のあたりで切りそろえ、きっちりと整髪 した姿は、一分 の乱れもない銀鼠 の和装 で、普段から着物を着てる人間の立 ち居 振 る舞 いやった。
俺は一応、頭を下げて挨拶 したが、大崎 先生は椅子 から立ちもせんと、小さく頭をさげて答礼 してきただけやった。
何となく俺を斜 に見おろすような目で、その目が灰色がかっているというか、緑色というか、なんとも妙な色合いの虹彩 をしていて、この人は目が見えんのやないかと思えた。
霊振会 のメルマガに載 っていた写真で見たときは、別に普通の目やったんやけどな。不思議なもんで、それは写真には写らん種類の目の光らしかった。
大崎先生はこの慧眼 によって、まあ、いろいろやってる人やねん。
俺がどの席に座ろうかと迷うていると、ぽんと弾 けるような音がして、どろんと白い靄 か煙のようなものが会議室のすみに湧 いて出た。
そしてその中から、着物のようなものを来た、十四、五歳くらいの男の子が飛び出してきて、会議室の中を振り向き、ぎょっとした顔をした。
俺もそれと目が合い、ぎょっとした。
その子はどう見ても人やなかった。
まず何より、尻尾 があった。
狐 みたいな、長いふさふさの茶色い毛並みで、先のほうだけ白い尾 が。
そして、後ろで一つに束 ねてる長い黒髪の頭には、いかにも狐 な三角の耳が生えてたし、顔も糸目 でなんとなく狐 くさい。
せやけど可愛 い顔やった。
大崎 先生と狐 。その組み合わせで、俺でもさすがにピンと来た。それが誰なのか。
せやけど名前を呼ぶ前に、当の大崎 茂 が怒鳴 りつけていた。
「遅い、秋尾 。何をやっとるのや、どこで道草食うとった。東京行って戻るくらい、半時 あれば足りるやろ」
「そんな殺生 な、先生。伏見 のお社 にも寄ってましたんやで。それで行って帰って一時間以内やないか。ようやった方ですよ」
泣きつくような愚痴 っぽい声で、妙な着物着た少年は言い返していた。
牛若丸 コスプレか、みたいなな。そんな格好 やねん。
上が袖 の大きな水色の着物で、これは水干 というらしい。
下は濃紺 の袴 はいてて、それが足首のところで絞 ってある。
平安時代以降しばらくの、身分の高い家の子供の格好 らしい。
俺は調べた。なんで秋尾 さんが、そんな格好 してたのか、どうしても気になって。
しかし由来 はわからへんかった。趣味 としか思われへん。本人か、もしくはその主 である大崎 先生の。
あるいは、一番まともな線として、秋尾 さんがそれくらいの時代から生きていて、その格好 が普段着 やったという可能性もある。
その線を、俺はぜひ推奨 したい。
「首相 はなんと言うてた」
秋尾 さんの言い分には一ミリも取り合わず、大崎 茂 は着物の袖 の中で腕組 みしたまま、断固として本題を切り出していた。
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