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11-3 アキヒコ

 おとん大明神(だいみょうじん)のご帰還(きかん)を、大崎(おおさき)先生は知ってるらしかった。  後々(のちのち)秋尾(あきお)さんの語るところによると、大崎茂(おおさきしげる)は幼少期、嵐山(あらしやま)秋津家(あきつけ)(やしな)()として()ごしてた。  普通の家の子やのに、異形(いぎょう)の目を持って生まれ、困った親が伏見(ふしみ)稲荷(いなり)大社(たいしゃ)(もう)でて助けを求めたらしい。  大崎(おおさき)先生の実家はでかい商家(しょうか)で金持ちやった。それで大枚(たいまい)はたいたお(そな)(もん)をしたもんやから、伏見稲荷(ふしみいなり)権現(ごんげん)さんも無下(むげ)にはせんかった。  それで子守りとして秋尾(あきお)さんが(つか)わされ、秋津(あきつ)の家で、ひとかどの(げき)になるまで養育されるよう、うちとの仲を取り持った。  せやからほんま言うたら秋津(あきつ)家業(かぎょう)のことも、多少なりとは聞きかじっている。せやけど秋津暁彦(あきつあきひこ)の息子である俺には、先生、素直(すなお)にはなられへんのやと、秋尾(あきお)さんはにやにや苦笑やった。  大崎(おおさき)老人は、見た目こんな(じじい)であるにもかかわらず、うちの親たちの幼馴染(おさななじ)みやった。  少年時代を嵐山(あらしやま)で過ごし、俺と顔そっくりのボンボンやった、うちのおとんに、さんざんイケズされたらしい。  それは大崎(おおさき)先生がその頃からすでに、秋津(あきつ)登与(とよ)姫、つまりうちのおかんに懸想(けそう)していたからやと秋尾(あきお)さんは語る。  懸想(けそう)って、今のご時世(じせい)ふうに言うと、片想(かたおも)いしてたってことらしいわ。  秋津(あきつ)登与(とよ)姫は、居候(いそうろう)(しげる)ちゃんにも優しゅうしてやったんで、おとんはそれに()(もち)()いて、ヘタレの(しげる)と呼び習わして、ほんまにさんざん馬鹿にしたらしい。  おとん。性格悪すぎる。  しかし(とう)(しげる)ちゃんもええ根性で、本気でおとんとドツキ()うていた。  そんな三角関係のとばっちりで、(しき)(しき)どうしの悶着(もんちゃく)があり、秋尾(あきお)さんも秋津(あきつ)式神(しきがみ)たちには、えらいイジメられましたわと(うら)む口調やった。えげつないねん、秋津(あきつ)(しき)はなぁ、と、そんなコメント。  もしかして、大崎(おおさき)先生が俺に意地悪(いじわる)なんは、俺だけのせいやのうて、うちのおとんの因果(いんが)やないかと、そんな予感もするな。  せやからとにかく、大崎茂(おおさきしげる)は、俺にとって痛い話が大好きやった。  それを俺に教えてきたんも、大崎(おおさき)先生やったわ。  顔合わせを目的とした会合があっさりと終わり、これから東京へ乗り込むと鼻息荒く言うてた大崎(おおさき)先生は、秋尾(あきお)さんを(したが)えて出て行きざまに、ふと思い出した顔で、にやりと俺を()り返って見た。 「せやけど(えん)()なもんやなあ、秋津(あきつ)(ぼん)。このホテルのオーナーさんなぁ、お前の絵を()うたお人やで。お前の(へび)の、前の持ち主や。藤堂(とうどう)(すぐる)(いま)だにあの絵は、飾ってあるらしいで。寝室になあ」  おっほっほと笑う悪いお公家(くげ)さんみたいに、大崎茂(おおさきしげる)邪悪(じゃあく)に笑った。  俺の正気(しょうき)はそこまでやった。  頭真っ白なまま、顔面蒼白(がんめんそうはく)になっていく俺を、(もち)神楽(かぐら)さんが、ぽかんと見ていた。  俺はしばらく()えはした。まさかと思いたくて。  まさか、なんともない。(とおる)と、絵を買った男を、誰も来ないような地下の部屋にふたりっきりで置いてきたけど、なんともない。  なんともないと、しばらくそう()り返して考えて、そして結論が()いた。  なんともないわけ、ない。  そして気づいたら、水煙(すいえん)(さや)から()きはなってた。  その時なにするつもりか、全く考えてへんかったんやけども、とにかく得物(えもの)が必要やと、俺はそんな気でいたんや。  足早に出ていくキレた形相(ぎょうそう)の俺を見て、神楽(かぐら)さんはひどく(あわ)ててた。そして俺を止めようとしたが、俺は止まらへんかった。  (もち)の神父が、追いなさいロレンツォと(めい)じ、神楽(かぐら)さんは追ってきた。  そして、ああいうことになったんや。  地下へ降りていき、中西(なかにし)支配人(しはいにん)と抱き合う(とおる)を目にして理性がブッ飛び、()れへん剣でソファを一個ぶった()って、フラフラなって逃げ出した。  神楽(かぐら)さんも、さぞかし俺に(あき)れてたやろ。  どうなったんか知らん。気がつけば、一人でロビーを歩いてた。  俺は負けたと思うてた。  なんでそう思ったんかは、自分でもよう分からへん。  (とおる)を抱いてたあのおっさんが、俺の目で見ても、ものすごイケてる男前やったからかもしれへんわ。餓鬼(がき)くせえ自分とは(くら)べものにならん、ほんまもんの大人の男やと思った。  中庭で最初に挨拶(あいさつ)した時の、第一印象(だいいちいんしょう)からしてそうやった。  えらい格好(かっこう)ええおっさん来たわと思ったんや。絶対、(とおる)の好みやで。危ない危ないって思いはしたけど、それでも俺は中西(なかにし)支配人(しはいにん)に好感を(いだ)いてた。  どうも俺にはオヤジ()えがある。認めたくはないけどやな、たぶんある。  それはたぶん俺のねじれたファザコンに由来(ゆらい)する感情で、画商(がしょう)西森(にしもり)さんが(とおる)といかにも(あや)しいというのに、それでも何か好きというところにも現れている。  俺の中にはたぶん、理想の父親像みたいなんがあって、その物差(ものさ)しで見て、こんな人が俺のおとんやったらええのになあというおっさんが現れると好感を(いだ)く。そういう仕様(しよう)になってるんや。  せやからその仕組みに(したが)って、俺は中西(なかにし)支配人(しはいにん)が好きやった。  冷たく聞こえそうな()れた標準語に時々混じる、自分は地元の人間ですよみたいな、少々の関西(なま)りも印象良けりゃ、着てるもんの趣味もよかったし、何より、ものすご解放されてますみたいな自由な雰囲気(ふんいき)のある人で、それでいて(たよ)りがいがある。  (はげ)しく理想のおとんやった。

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