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11-5 アキヒコ
朝が来るといつも、俺は亨 にお前が好きやとキスしてた。
それはこういう意味やったんやないか。
俺はお前が好きや。今日はまだ、捨てんといてくれって。
惨 めすぎ。
振 られるくらいなら、俺が捨てたる。そうしよう。そのほうが、腹の納 まりもいい。
式神 はこの世にあいつ一人やない。他にもっと、俺にも優 しい初級編のやつが、どこかに居 るはず。
水煙 かて、そう言うてたし、蔦子 さんもそうすすめてた。俺はもっと、人の忠告を聞くべきやったんやって、自分に言い聞かせつつ、俺は妖怪ホテルのレッドカーペットが敷 かれた通路をふらふら歩いてた。
蒼白 な顔して、部屋はどこですかと聞きに来た俺に、フロントの綺麗 なお姉さんは、ちょっと引いたような営業スマイルで鍵 をくれた。
ご案内しましょうかと、行きたくなさそうに言う彼女に、ご案内しないでくださいと、俺は部屋の場所を訊 いた。
まさか俺が握 っている抜き身の水煙 が、お姉さんに見えたわけやないやろ。普通の人には見えへんのやから。
もしも見えてたら、えらいことやで。
抜きはなったサーベル持ってる真っ青な顔の男が、ふらふらロビーを歩いてんのやからな。
水煙 、水煙 と、俺はずっと声には出さずに話しかけていた。
誰かと口を利 きたかってん。誰でもええから、俺を励 ましてくれ。
振 られたなあ、ジュニア。せやけど気にすることないわ。お前にはきっと、もっと優 しい式 が見つかる。泣くことないで、きっと幸せになれる。
ひとりやないで、アキちゃん。からんころんが蔵 に居 る。
かつて実家の蔵 で見た、口利 く下駄 のことを、俺は歩きながら不意 に思い出した。
自分に都合のいい妄想 の中で、はじめ水煙 やったもんが、いつの間にやら下駄 の妖怪にすり替わってて、俺は自分が餓鬼 のころ、学校で嫌な目にあうと、蔵 にこもってめそめそしていて、それを下駄 に励 まされてたことを思い出した。
アキちゃんは、泣き虫やなあと下駄 どもがいい、男の子が、泣くもんやおへんえと厳 しいおかんの代わりに、泣いたらええよ、どんどんお泣きと優 しく言って、俺の涙をべろべろ舐 めてた。
なんやったんや、あれは。俺の妄想 のお友達か。
どうせ俺には、妄想 のお友達しかおらへんわ。しかも下駄 ? なんで下駄 やねん。
下駄 かて喋 ると、かつては気にせず認めていたくせに、俺は水煙 に、剣が口利 くのは変やと言うたような気がする。
それはちょっと、悪かったんやないか。
信じてやらなあかんのやと、虎 が言うてた。
信じてくれへんからというだけのことで、赤い鳥は消えそうになってた。
そなんら俺に否定されて、水煙 は、どんな気持ちがしたんやろ。
実はこいつももう、俺には愛想 がつきていて、せやから口利 いてくれへんのやないかと、俺には思えた。
俺はあまりにも、ヘタレすぎ。秋津 の跡取りなんて、とても無理。
鯰 封 じなんて、逆立 ちしたって無理に決まってる。
できる訳ない。なんで俺やねん。
亨 がおらんようになったら、俺には式神 がひとりもいない。水煙 も知らん顔やし。そんな、さらにバージョンダウンした俺に、一体なにができるっていうねん。
ぶっ倒れそうやって、俺は吐き気を堪 えつつ、回廊 を曲がった。
ホテルの建物は、四角いドーナツみたいに中庭を囲 んで建っていて、俺が泊まっていい部屋は、三階の一番奥まったところやった。
当ホテルが誇 るインペリアル・スイートでございますと、フロントのお姉さんは言うてくれてた。
ありがとう。一人で寝るわ、インペリアル・スイートで。
せやけど、やたら遠いねんけど、この廊下 、めったやたらと長すぎやないか。
俺、もう、ほんまに倒れそう。
落ち込みすぎか、ほんまに視界が暗く狭 くなってきた。くらりとして壁に手をつき、俺は水煙 を杖 代わりにしそうになって、なんとかそれを堪 えてた。
そんなことしたら、こいつは嫌やろ。俺はそんなこと、したくないって、やせ我慢 した。
その時、フランス窓の並ぶ廊下 に、午後の陽の光よりも数段明るい白い光が、小さな一点から弾 けるような勢いで溢 れ、その目の眩 みに留 めをさされかけた俺の両肩を、力強い手が支えてくれた。
光に灼 けた目が、ゆっくり元に戻るにつれて、俺は自分を間近に見上げている白い顔と向き合うことになった。
亨 やない。これは亨 と違うと、俺はそれを残念に思ってた。
それでも俺には懐かしい、綺麗 な顔やった。
勝呂 瑞希 の、どうしたんやという心配げに俺を見る、淡 く眉間 に皺 寄せた、今はもう元気そうに見える顔。
「どうしたんや、先輩 」
顔そのまんまの事を、勝呂 は俺に尋 ねた。
「なんでもない。亨 に振 られてん。それで、なんや、フラフラになってきて。部屋で寝ようかと……」
気絶 したいと、俺は思ってた。
そうや、蔦子 さんみたいに。
せやけど廊下 で倒れたら、あまりにも無様 すぎ。なんとしても人目につかないところで倒れたい。
「振 られたって……まだ蛇 と付き合 うてたんですか。こないだの鳥は?」
どうでもええやんと、俺は勝呂 の顔を見つめた。
お前は綺麗 な顔してる。亨 と出会ってなかったら、俺はお前とデキてたんかな。
そっちの方が、良かったか。
それともお前も亨 みたいに、俺がさんざん頼 んでも、あっさり浮気して俺を捨てたやろか。
「鳥は元々俺とは何の関係もない奴や。たまたま車の運転してただけ。あいつは虎 がええらしいわ。他のと寝たくないんやって……」
「先輩、酒でも飲んだんですか」
「いいや。ただ、見てもうただけ。亨 が他の男と、寝てるのを」
それを口に出すと、俺にもショックやったけど、勝呂 はもっと、でかい金鎚 で頭を殴 られたみたいな顔をした。
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