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11-7 アキヒコ
俺はそれに、ぼんやりと首を横に振 っただけで、うまく言葉にできへんかった。
こいつにまた会えたら、言おうと思ってたのに。
俺はお前のこと、もう嫌いでも、憎くもない。俺が悪かった。お前のこと、ずっと無視して逃げ回ったりして。ちゃんと気持ちを受け止めてやって、あかんならあかんて、ちゃんと言うべきやった。
そうできてたら、きっとお前は、今も生きてた。そんな気がする。
そやから全部俺のせい。弱くて、逃げてて、お前に甘えてた。
「憎くない……お前のことは好きや、今でも前と、変わらへん」
「そんなら抱いて。身代わりでもええねん。二番でも三番でもいいんです俺は。先輩の傍 に居 れるんやったら、何でもします。人間みたいな姿が困るんやったら、犬の形にも戻れるんやで。それなら抱いてくれますか。何でもええねん、先輩……ほんまに好きや、忘れられへんねん」
勝呂 は俺に返事されるのが怖いみたいに、聞き覚えのある矢継 ぎ早 の調子で、切羽詰 まった口説き方をした。
これを聞くと俺はいつも、悲しくなった。なんで俺はこいつの気持ちに、応 えてやられへんのやろって、それが切 なくて。
「なんでそんなに俺がええねん」
今にも泣きそうなような情けない顔が可哀想 になって、俺は指先で勝呂 の頬 に触 れてみた。
それはちゃんと指に触 れた。吸い付くような、亨 の肌と違って、かすかに産毛 の触 れる、子供みたいな頬 やった。
「なんでって……そんなん、分からへん。先輩と居 ると、幸せやねん。ずっと傍 に居たい。それだけやったら、あかんのですか」
何か理由がいるのかと、勝呂 は責 める口調でいた。
理由は要 らへん。でも俺は、お前が俺を好きな理由は、俺自身を好きなんやなくて、俺を井戸のようにして、いくらでも漏 れ出てくる、もっと大きなものの力のせいやないかと思ってる。
湧 き出た泉 に、渇 いた獣 が集まるように、お前は俺に群 がるモンの一人やないか。
俺が好きなわけやない。
そやけど、俺が今、そんな贅沢 言える立場か。
亨 かてどうせ、そうやったやないか。
たまたまデカい油田 に続く穴が、俺のところに空 いていた。それでたまたま得 したな、みたいな。
単 にそういう事であって、俺の才能や努力ではない。俺が覡 でも何でもない、そこらの男やったら、あいつは歯牙 にもかけへんかったやろ。
お前もそうやろ勝呂 。元は狗神 、今は天使の、飢 えたような目で俺を見る、可愛 いお前も。
せやからこれは、ギブ・アンド・テイクの関係で、俺は式 が欲しい、お前は覡 が欲しい、それでお互 い納得 できるって、そういうことでええやろ。
俺はもう、外道 と恋はしたくないねん。亨 で懲 りた。つくづく懲 りたわ。
「あかんことない。でもお前は、現実問題として、ずっと傍 に居 れるんか。羽根 と輪っかとついてるけど……」
それに最初に現れた時も、無理矢理引き戻される犬みたいに、お前は消えた。
「今のままやと無理です。でも、堕 ちればええねん」
「堕 ちるって?」
「堕天使 に……そしたらもう、天界 には居 られへんようになる」
心なしか、熱い息をつく唇 で、勝呂 は俺に教えた。
それが具体的 に、どういう手順 を促 されてるのか、俺には分かるようで、分からへんかった。
動揺 してきて、目を瞬 く俺の首を抱きよせて、勝呂 は急 かす声で強請 った。
「キスしてください、早く……早く……」
勝呂 はあと紙一枚のところまで、俺に唇 を寄せた。
天界 の甘い息に触 れて、俺はぼけっとなった。頭の中で、いろんな事が浮かんで消えた。
大学の作業室でパソコンに向かい、黙々 と絵を作っていた、こいつの背中。
にこにこと飯を食っている、亨 の上機嫌 の顔。
それが熱く悶 える時の、上気 した綺麗 な、深夜過ぎの表情と、それを抱くときの自分の胸に湧 く深い陶酔 。
水煙 に刺 し貫 かれて、それでも苦痛を押し隠 し、俺を見つめた時の勝呂 の目の光を。
俺は思い出し、その記憶はものすごい早さで次々と消え去っていった。もう過ぎ去った時が、戻らへんように。
思い出の中にいる亨 は、俺には忘れがたかった。
毎日見てても毎日愛 しい、お前の綺麗 な顔を、俺はまた見ることができるんやろか。
それともついさっき、他の男に抱かれて見つめてきた顔が、俺の一生で見た最後のお前ってことになるんやろか。
それやと、あまりにつらい。俺はお前を、早う忘れてしまいたい。
忘れたい、綺麗 さっぱり何もかも。あの肌も微笑 みも。
勝呂 、お前がそれを忘れさせてくれるやろか。
そんなことが誰かに、できるんやろかと、俺は悩みつつ、それでも最後の距離を埋 めた。
熱いキスやった。天使の体がこんなに熱いなんて、俺は想像してへんかった。もっとふわふわ軽いもんかと、想像しててん。
それでも白い羽根 のある、勝呂 の体は灼熱 していた。まるでこいつの体には、今でもまだ三万年分の煉獄 の火が、染 み付いてるみたいや。
勝呂 はすぐに俺に縋 りついてきて、貪 るようなキスをした。
陶酔 したように甘く苦しそうな呻 き声が喉 から漏 れて、悶絶 するような強い指が、俺の背中を藻掻 くように掻 いていた。
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