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11-9 アキヒコ
「そうしてやりたいけど、俺には無理やねん」
「何でや……何でやねん、先輩。言わんといてください。答えは分かるけど……なんで嘘 ついてくれへんのや」
「嘘 で言われて嬉 しいか。お前を愛してるって」
腹に入った神聖な血液が、重いような気がして、俺はぐったりとテーブルに腕をつき、自分の頭と体を支えようとした。
勝呂 はまだ涙の残ってるような目で、廊下 の天井を見てた。
それともそれは、もう泣かへんように、堪 えてただけかもしれへん。
「嬉 しいです、俺は。嘘 でもええねん」
「それこそ嘘 やろ。お前はそういう嘘 に嫌気 がさして、俺に惚 れたんやなかったんか」
勝呂 は死ぬ時、大阪で、自分とそういう関係にあったお友達を、まとめて全員道連 れにしようとした。それが五十人ほどもおったんや。
こいつもまともやない。亨 のことを、とやかく言われへん。
お前に人の不実 を愚痴 れる権利があったんか。
俺を好きやて言いながら、手当たり次第 に誰とでも寝て、それで寂 しい言うてたら、アホみたいやろ。
寂 しいに決まってる。愛なんて、そんな簡単に手に入るもんやない。
「先輩って、厳 しいなあ……」
ぼやくような、ぼんやりした声で、勝呂 は俺の性格についての感想を述 べた。
そして勝呂 はどことなく、頼 りなくふらつく仕草 で、テーブルから体を起こしたが、その翼 からばらばらと、秋の落葉 みたいに白い羽根が抜け落ちていた。
「落ち着いたら戻ります。そしたらずっと、傍 に置いてもらえますか」
「愛してくれって言わへんか」
「言うけど。そんなん……無視すればええやん。先輩の、得意技 やろ」
名残 惜 しげに俺の頬 を両手で包 んで、勝呂 はどことなく毒のある笑 みをした。俺はそれに、堪 えきれへん自嘲 の笑 みで答えた。
イヤミやな、勝呂 。天使がイヤミ言うてええんや。
それとももう、お前は天使やないのかな。
そういや頭の輪っかがないわ。あのアホみたいな、地球に厳しい蛍光灯 みたいなやつ。
ばらばら羽根の抜けていく翼 で、ほんまに空が飛べるのか、俺はそれが心配やった。お前、どうやって、どこへ帰るんや。帰るとこあるんやろか。
何やったらこのまま、俺と俺の部屋へ行くか。
そう思って、長廊下 の先に見えてる、インペリアル・スイートの両開きのドアをチラ見して、俺は迷っていたんやけど、それでも結局、部屋行こかというのがあまりにも、誘 い文句 に聞こえはせんかと心配になり、何も言わずに黙 ってた。
それに勝呂 は明らかに、にやりと悪党 の笑 みをした。
「言えばええのに。むかつくわ」
「すまんな、そういうキャラやねん」
「俺は諦 めませんから。先輩が、他のを愛せるようになるまで、何万年でも待てるから」
一途 で必死な愛してる目で、勝呂 は俺を見つめてた。
亨 と違 うて、お前は浮気なんかせんかったやろ。もしも俺がお前を選んで、愛してるって毎晩抱いたら、他のなんか目に入らんかったんやないか。それぐらい俺のこと、愛してくれたんやないかって、そんな印象 。
「お前にしとけばよかったわ……瑞希 」
でももう無理やわ、未 だに亨 を愛してる。
あいつが何かの間違いで、戻ってきてくれたらええのにって、今でも必死で祈 ってる。
無様 やけど、信じようとしてる。あいつが面 の皮厚く、俺を真 っ直 ぐ見つめてほざいてた、見え透 いた言い訳を。
俺のこと、他の誰より愛してるって、亨 は言うてた。それがほんまやったらええのに。
帰ってきてくれ、亨 、って、まるで嫁 に逃げられた間抜 けな旦那 状態。いや、まさにそれそのものか、嫁 やないけど、あいつは俺のツレなんやから。
「しゃあない。今はその一言 で、満足しときますわ」
皮肉 な笑 みで答える勝呂 は、それでも嬉 しそうに見えた。
うつむく白い横顔を、俺はじっと見つめた。
綺麗 な犬やと思えて。手元に繋 いでおきたくて。
「いつ戻るんや、お前。あんまり俺を長いこと、ほっとかんといてくれ。寂 しいから」
もしも亨 に振 られたら、俺はきっと発狂してるで。
さっさと戻って来んかったら、また出遅 れて、何や知らんような神や鬼が、俺の式 として、うじゃうじゃ増えてるかもしれへんで。
なにしろここは妖怪ホテル状態で、右も左も顔の綺麗 な奴ばっかりや。俺も亨 に振 られてなくて、もっと元気な時やったら、あっちこっちに目が釘付 けで、毎日三回ぐらいずつ、殺さなあかんて言われてたんやないか。
でももう、亨 のことを思い出すのは止 そう。しんどいから。
そう思って苦笑 する俺を見て、勝呂 は苦笑 していた。
「とっとと戻ります。退職届 出したら」
そういう仕組みなんか。辞表 いるんや、天使やめる時にも。
律儀 やな、お前。堕天使 に円満退職 はあるんか謎 や。
「先輩、浮気せんといてくださいね」
「保証できへん。ぷんぷん匂 う外道 そのものやから」
俺が恨 んで言うと、勝呂 は意外そうな顔して照 れて、済まなそうに言うた。
「ええ匂 いやで、今はもう」
くんくん嗅 いで、勝呂 は犬みたいやった。
「急いで行って、走って戻るわ」
そう宣言 して、勝呂 はまた、バチンと持ち時間が尽 きたような唐突 な消え方をした。
床に散 っていた白い羽根 は、それを追うように、ゆっくりと消えた。
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