109 / 928
11-11 アキヒコ
「俺が、要 らんのやったらな、ジュニア。もうええから、どこかへ遣 ってくれ。お前の蛇 が言うように、金属ゴミの日にでも出せ。お前が手放さへんかったらな、俺は永遠にお前のところに居 るしかないんや」
俺の肩に重そうに頭をしなだれさせてきて、水煙 はぐったりしたまま、そう言うた。
「要 らんなんて……そんなことはない」
俺は深く恥 じ入りながら言い、その苦痛に耐 えた。
一体、どの面 さげて、それを言うかと、水煙 は思うてるやろ。
「でも、お前がよそへ行きたいんやったら、どうしたらええか教えてくれたら、お前を誰かちゃんと、ふさわしい扱 いしてくれる人のとこに遣 る。蔦子 さんでもええし、新開 道場 でもええし……他に誰か、心当たりがあるか」
訊 くと考える目になって、水煙 はやんわりと俺の手を握 ってきた。
まだ、ひやりと冷たい手やった。
水煙 は物言いたげやったけど、それでも何も答えて来 いひんかった。
ああ、そうかと、俺は察 した。そのつもりやった。
「帰りたいか、おとんのところに?」
俺がそう言うと、水煙 は明 らかな、苦しいという顔をした。そして小さく首を横に振 って拒 んできた。
「それは無理やで。アキちゃんは、もう俺を捨てたんや。お前を守ってやってくれと頼 んで、俺との契約 を切ってきた。それがアキちゃんの最後の命令なんや」
「おとんはもう、お前の主人やないのやろ。それでもそんな命令、いつまでも聞いてなあかんのか」
もうその言葉には、お前を縛 る力はないんやないかと、俺はそういう指摘をしたんやで。
だってそうやろ、その言葉に効力があるのは、おとんが水煙を支配する覡 やったからで、そうやなくなった今では、ただの言葉や。嫌 なら嫌 やて、無視すればええねん。
「ジュニア、俺はな、アキちゃんが好きやったから言うこときいてやってたんやで。今でも好きや。別れてもうたら、それっきりどうでもええなんて、そんな生半可 な気持ちやなかった」
水煙は一途 やなと、俺は思った。そして俺のおとんは不実 や。
なんでこいつを俺みたいな、ぼんくら息子にくれてやったんやろ。
もしも、こいつの気持ちを知ってるんやったら、ずっと傍 に置いてやればよかった。
それともまさか、知らんのやろか。俺のおとんやからな。
ああ見えて、実はめちゃめちゃ鈍感なんか。はっきり言わんと分からんのかもしれへんで。
「おとんは知ってんのか、そういう、お前の気持ちを」
俺が要 らん心配をして訊 ねると、水煙 は素早 く首を振 って否定し、照 れてるような、皮肉 のような小声で、さあなと言うた。
やっぱり知らんのやないか。言うたことないんや、こいつは、そのことを。
「言うたらな分からんのやで。俺もそうやし、きっとそうや。おとんも俺とおんなじで、きっと鈍い男やねん。水煙 。何やったら俺が言うてやる。おとんに手紙書いて、お前はおとんを好きやから、俺よりおとんと一緒に居 りたいんやって、教えてやるわ」
冷えた指で俺の手を掴 み、水煙 は嫌 やてまた首を振った。
まだ生々 しい傷が、痛々 しく見えた。
それでも赤い血やない。何となくその痛みに察 しがつかず、俺は上の空やった。なんとかその傷を、今すぐ治してやる方法はないかと思いつつ。
「アキちゃん……」
可哀想 な掠 れ声で、水煙 は呟 くようにぽつりと呼んだ。それがあんまり切なそうで、俺はつらかった。
今すぐ、おとんに手紙飛ばさなあかん。上手 く飛んでいくか分からへんけど、俺が水煙 にしてやれる事なんか、今はそれしかあらへんし。
「アキちゃん」
水煙 は俺の手を握 り、じっと縋 るような目で俺を見つめて、もう一度そう呼んだ。
「言わな分からんのか……アキちゃん」
俺にそう呼びかける水煙 の顔は、今にも溶 け崩 れそうな、悲しそうな表情やった。
これは何て綺麗 な神さんやろかと、俺はそれを驚 いて見た。
「もういい、お前のおとんのことは、もういいんや。あいつは充分苦しんだ。俺の気持ちも知ってたわ。他の式 が寄ってたかって、愛してくれって強請 るのにも耐 えた。それでもお前のおとんはな、トヨちゃんが好きやったんや」
手紙が届ける写真の中で、おかんとにこにこ寄り添 っているおとん大明神 のアホみたいなデレデレ顔を思い出し、俺はぼんやりとした。
そうやろな。好きやなかったら、あんなアホみたいな顔でけへんやろ。
情けないねん。男として、父として、格好 良さの欠片 もないわ。
「お前のおとんは、もう死んだ。秋津 の当主 としての務 めは果たした。結果、無念 の負け戦 やったけども、それはもう仕方がない。勝負は時の運、死力 を尽 くしたことは確かや。それでほんまに死んでもうたんやから、もう楽 になってもええやろ。あいつは大好きなトヨちゃんと、もう二人っきりで居 りたいんや」
水煙 は、今にも涙を流しそうな顔をしていた。
泣いてもええよと、俺はそういうつもりで見たが、水煙 は泣きはせんかった。
もしかしたら人型のときには、泣かれへんのやろかと、俺は不思議に思った。剣の時には泣いてたのに、なんで無理なんやろ。
「おかんが好きは、分かるけど……でも、それやとお前はどうなるねん。無責任やないか」
「無責任か。そうかもしれへん。せやけど、そんなもんやろ。俺や他のに遠慮 して、生きてるうちはさんざん我慢 した。もう知らん、好きにさせてくれって、そういうことなんや。好きにさせてやってくれ」
おとんも男冥利 やと思い、俺は健気 な水煙 をじっと見つめた。
ともだちにシェアしよう!