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11-14 アキヒコ
それに亨 はキスしただけで大満足したりせえへん。もっといろいろ、すごいことせなあかん。
俺も一緒に死ぬほど気持ちええような、あれやこれやで責 めへんかったら、あいつはいかへん。
俺はつらい。一人で絶頂 を極 められても。
ほんまにもう、気分的には満足やけど、肉体的にはありえへんから。
もう、口でも指でもええから慰 めて、そういう気がしてたけど、水煙 はそんなもん、やったことないやろと思うと、恥 ずかしすぎてな、到底 頼 めませんでした。
水煙 は俺とふたりきりで、幸せそうに見えたけど、俺はむしろ今すぐ一人っきりになりたいぐらいやったで。
それが何故か、分かる人にだけ分かればええわ。俺は詳 しく語りたくない、その時の心情 を。
男の子は、とにかく我慢 強 くなかったらあかんえと、おかんは子供の頃から俺に言い聞かせてきた。そのお陰 やな。俺のこの我慢 強 さは。
男の子は、とにかく我慢 。我慢 をしろ俺。
「これは、その……蛇 がお前に狂うわけやわ」
恥 ずかしそうに、水煙 は俺を褒 めた。
おおきにありがとう、褒 めてくれて。
お前に褒 めてもろたの初めてやないか。
キスが上手 いって褒 められても、あんまり進歩した気になられへん。
亨 を抱きたい。それが本音 やった。
これはただの性欲かもしれへん。それでも俺は、あいつと抱き合いたい。
気持ちええわって悶 えてるあいつの顔を、愛 しく眺 めて、俺も酔 いたかった。深い蕩 けるような愉悦 に。
そうやって溶け合って、お互いの体に縋 り付いてると、芯 まで溶け合うような気がしてた。
そこから身を引き剥 がし、あいつと離れて過ごす時間は、俺には切 なかった。
いつも抱き合 うていたいという、亨 の我 が儘 を聞くと、俺は満足した。お前もそうかと嬉 しくて。
そんなあいつが、俺には運命の恋人と、そういうふうに思ってたのに、それは俺の妄想 やったんか。
悲しいと思って、懐 かしい愛 しい顔を思い出してると、余計 に我慢 が要 って、めちゃめちゃつらかった。
それで俺は、苦悶 の顔やったと思う。とにかく、渋 い顔してた。
「どしたんや、アキちゃん……」
遠慮 がちに、水煙 は俺をそう呼んだ。
それが亨 の声ではないことに、俺には違和感 があった。
そうやって俺を心配してくれてたんは、いつも亨 やった。
亨 は俺を焦 らしたりせえへん。苦しいような我慢 をさせて、放置 したりはせえへんわ。
それは水煙 の罪ではないけど、俺はお前だけでは物足りへん。きっと他のを抱こうとするやろ。
辛抱 たまらず勝呂 とやるか、他の誰かを拾 ってくるか。
こいつもあかん、こいつも違う、亨 みたいにいかへんわって、次から次へ、タラシの本間 に逆戻 り。
それに水煙 は、またもや悲しい涙涙 で、どこかの納戸 の奥にでも仕舞 い込まれて過ごす羽目 になるんやで。
悲惨 すぎる。でもそれが、覡 なる外道 の一般的な姿なんやろか。
それならそれで、しょうがない。俺はこの先ずっと、そうやって生きていくんかな。
理想と激しく違うけど、人生なんてそんなもん?
挫折 挫折 の連続で、理想とは全然違う方向にズレまくっていくもんなんかなあ。
きっとそうなんや、これが現実って、俺は自分に言い聞かせてた。
受け入れなしゃあない。亨 のいない世界を。
俺は秋津 の跡取 りなんやし、神楽 神父は俺が頑張 らへんかったら、神戸は滅 ぶって言うてたわ。
せやから頑張 らんとあかん。自分ひとりの浮いた沈んだで、うだうだ言うてる場合やないんやって、必死で自分を叱咤激励 してた。
でもなあ。人間、できる我慢 と、できへん我慢 があるわ。増 して若造 なんやからなあ。
ていうか、そもそもやな、何で俺は亨 に振 られたって思いこんでたんやろ。
よっぽど自信がなかったんやで。
そうやねん俺は、自意識 過剰 なくせして、いつもどこかオドオドしてんのや。それが俺の、一番あかんところやねん。
もっと、でんと構 えてりゃよかったんや。
亨 は俺のもんなんや、俺を愛してる。
一生俺の隣 におるんや。格好 いいおっさんなんか知るか。
俺のツレに手を出すなって、あっちを斬 ろうとするべきやった。中西 支配人 のほうをな。
それが普通や。そうやないか。
キレてビビってフラフラなって逃げてきて、勝呂 と水煙 食うてる場合やなかったよ。
キレたらあかんねん俺は、ほんまに毎度毎度、平常心 やったら絶対やらんような、とんでもないこと次々やってまうんやから。
バスルームに白いルーバーのついたロマンチックな窓 があり、その向こうにある神戸の午後の陽の中を、黒に金の目のような模様 の眩 しい蝶 が、ちょっと信じがたいような群 れをなして舞 っていた。
俺はその幻想的 な美に、ぼけっと目を奪 われて、白く塗 られた木の隙間 にちらちら垣間見 えるそれを、床暖 入ってて気持ちいいバスルームの床 に、水煙 を組 み敷 いたまま眺 めてた。
「どうしたんや……?」
悲しい声して、水煙 は優 しく俺に訊 ねた。
訳 は知ってるような、小さく静かな声やった。
「蝶 が飛んでるわ」
俺はそれを見たまま、ぼんやり答えた。なんとなく飢 え餓 えた、幻惑 された気分で。
「そのようやな、ジュニア。窓 開けて、見てみたらどうや」
水煙 に、諭 すような、許 すような口調で言われ、俺はぼんやり頷 いた。
そして白いタイルのまぶしい床 を這 うようにして起きあがり、窓辺 へ行って窓 を開いて、目隠ししているルーバーを開いた。
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