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11-15 アキヒコ
そこには無数 の蝶 が舞 っていた。
背景には遠目 に、眩 しいような午後の海がきらきら輝 いて見え、そこにのんびり貨物船が行き交 うのが見えていた。
残暑 というには、秋の涼 しさの予感のするような風が吹きすぎる、爽 やかな空気の中を、ひらひら飛んでた黒い蝶 は、じっと見るよな金の目をつけた翅 を優雅 にはためかせて、次から次へと窓から入り込んできた。
それは俺をかすめて絡 みつくように舞い、バスルームの中で、一柱 の群 れを再び作った。
それが蠢 く一体の何かのように密集 したあと、うっすらと透 けていくのが俺の目にも見え、柱の向こうで床に俯 せになり、頬杖 ついた呆 れ顔で、むすっと見ている水煙 の、綺麗 やけどもイケズそうな顔が、蝶 の柱ごしに眺 められた。
水煙 、いいケツしてる。美しい。俺はぼけっとそう思ってた。
そんなこと思うべきやなかったな。何でか言うたら、どうも亨 は、俺の考えてることが、ちょっとばかり読めるらしいねん。
水煙 もそうやけど、神様いうんは、そういう覗 き屋 ばっかりなんやろか。
透 け行 く蝶 の中から、亨 は怒ってるというか、眉間 に深い皺 寄せた、ものすご険しい顔で現れた。
ちょっと前に、支配人室で見たまんまの、犯 されましたみたいな少し着崩 れた格好 のまま、平気な面 して俺の前に立っていた。
「何を考えとんねん、お前は」
これは俺の台詞 ではない。亨 がそう言うたんや。
「水煙 様の青いケツなど論外 や。俺のほうがええに決まっとるやないか」
亨 は妬 いてるような口調やった。
「何言うとんねん、この浮気者 の蛇 が。主 がある身で、何の許 しも得 んと、他のに身を任 せたりして、お前なんぞもうクビや。秋津 の家の式 として、ふさわしくない」
これも俺の台詞 ではない。水煙 がそう言うたんや。
水煙 は、いつも何ら変わらん冷たくお高いような口調に戻り、言葉のとおりの上から目線で、それでも亨 を見上げてごろごろ寝そべっていた。
立てへんのやからな、しゃあないわ。
「ジュニア、こいつに出ていけと言え。お前はもう要 らん、どこへでも出ていけと言うてやれば、式 は出ていく。それで契約 が切れるんや。不実 な蛇 なんぞ、追いだしてまえ」
俺に命じる権利でもあるみたいな言い方で、水煙 は教えた。
そういえばこいつは、要 らんのやったら自分を捨ててくれと俺に頼 んだ。
覡 と式 との結びつきは、どっちかが死ぬまで永遠に続くしかないようなもんではないんや。結婚と同じで、結びついたり切れたりできるんやって、俺は初めて知った。
勉強なったなあ、今回は。そんなん、もっと早うに教えといてくれよ、水煙 。
もしかして常識すぎたんか。俺がアホで、知らんかっただけか。
「追い出すんか、アキちゃん」
険 しいままの表情で、亨 は俺に訊 ねた。挑 まれてるような気がして、俺は身構 えた。
「なんで追い出すんや。もう愛してへんのか、俺のこと。愛想 が尽 きたんか」
まるで俺を愛してるみたいな目で、亨 は俺を見つめてた。
そんなわけない。これは俺の妄想 やって、俺は自分を諫 めた。自分に都合のええように、解釈 しようとしてるだけ。
そうやったらいいのになという事を、事実やと思いたがってる。ただそれだけ。
「愛想 尽 きるに決まってるやろ。お前はほんまに、俺が黙 って見てりゃ、ジュニアとやりながら虎 に萌 え萌 えするし。普段は普段で飯 炊 きながら、昔の男のことをモヤモヤ思い出してるんやろ。なにが藤堂 さんや。お前なんか要 らん」
スネたように目をそらし、水煙 は告げ口してきた。
それはもちろん効果絶大で、俺は一瞬気絶してたと思うわ。なんか思考が途切れた。
でももう今さらキレるだけの気力もない。呆然 すぎて、言葉もなかった。
そうなんや、亨 。お前は俺に夢中 なんやとずっと思ってた。
でも、そうやなかったんや。元々ずっと、お前はこういう奴やったんや。
たまたま機会がなかっただけで。それとも、単に俺が知らんかっただけで、いつも浮気 してたんや。
「やっぱりチクりよったな。水煙 。言うと思たわ」
亨 は水煙 を振り返りもせず、ただただ苦 み走 った皮肉 な笑 みやった。
「言わんわけない。いつ言うたろかと機会を狙 ってただけや」
「喋 られへんかっただけやろ、この三日はな」
「さあ、どうやろか。今はもう、なんでも言えるで。ジュニアにも、めちゃめちゃ抱いて、気持ちようしてもろたしな。お前なんぞ物の数やない」
意地悪く挑 む口調で、水煙 は笑って話してたけど、それが虚勢 ということは、俺には分かってた。
嘘 やないけど、こいつは事実が都合よく誤解 されるように、計算して話してる。亨 にはそれが、わからへんやろうと狙 いをつけて。
「それがどないした。完全無穴 の宇宙人のくせして。お前になにができるんや。俺の敵やない。俺をやっつけられるんは、アキちゃんだけやで」
亨 は俺の目を見て話してた。
こいつは骨の髄 まで邪悪な悪魔 で、ぜんぜん悪びれもせんのやろかと、逆に俺のほうが怯 んでた。
「アキちゃん、藤堂 さんとは何でもないで。あの人な、俺のせいで外道 になってもうてたんや。死んでも生き返ってもうたんやって。それで後 一押 し、俺の血が欲しいて言うもんやから、それも外道 に堕 としたモンの責任かと思て、ちょっとばかし、血をくれてやったんや。それだけやで」
なんや、それだけかと、俺はどうにも複雑な気分で安心してた。
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