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11-17 アキヒコ

「カレー……?」  俺は呆然(ぼうぜん)と、そう()り返した。 「そうや。それと、タンドリー・チキン。ラッシー飲んで、バターたっぷりのナンも食うて、サラダにスープに、デザートには当然、チャイとクルフィーを」  うっとり想像してる目で、(とおる)は話し、さあ行こうと俺の手を引いた。  ラッシーというのは、もちろん犬やない。インド料理に付き物の、ヨーグルト・ドリンク。  そしてクルフィーというのはな、アイスの一種や。  インド料理の、オチに出てくる、シャーベットとアイスの中間みたいな氷菓(ひょうか)で、(とおる)好物(こうぶつ)。甘くさっぱりしたミルク味。 「行こう。ほんで戻って酒飲んで、新婚さんベッドでめちゃめちゃやりまくりたい」 「ベッドって、ここの?」 「そうや。お城みたいやろ。ほとんどギャグやで。藤堂(とうどう)さんてほんま、やるときは、どこまでもやる男。趣味はさすがやけど、あれはたぶん、悪い冗談なんやで。天蓋(てんがい)の中の天井に、(かがみ)ついてる。ラブホやないか」  くすくす笑って、(とおる)が別の男の話をしてた。それに俺は顔面蒼白(がんめんそうはく)やったんやろ。(とおる)はちょっと気の毒そうに、()れ笑いをして俺を見た。 「アキちゃん、昔の男やで。もう過去や。今はアキちゃんだけを愛してる。アキちゃんのとこ以外に、行きたいとこがない。ずっと俺を、(そば)に置いてくれるか」  俺の手を(にぎ)り、(とおる)微笑(ほほえ)んでいる真剣(しんけん)な目で、俺を口説(くど)いてた。  それを俺はまだ、それまでとは別の意味で呆然(ぼうぜん)として見た。  なんて綺麗(きれい)な奴やろと、今まで無数(むすう)に思ったことを、また思いながら。 「俺でええのか」 「お前がええねん。心配すんな。(だま)って俺についてこい」  (とおる)は冗談めかせて、そう()()った。めちゃめちゃ男らしかった。  それに俺は、実はちょっと(なや)んだ。変やないかと思って。  でもそれは、しゃあないねん。それが、男同士の恋愛や。どっちかがひたすら強くて、もう片方がひたすら守られる。そういう訳にはいかへんらしい。  時にはお前がリードして。よう考えてみたら、ずっとお前がリードしてるかもしれへんけど、それからは目を(そむ)けて。時には俺がリードして。  どうか末永(すえなが)く俺のことを、よろしゅうお(たの)(もう)します。  俺はそう思ったけど、それを口には出さへんかった。  代わりに(とおる)を抱き寄せて、今日一日ずっとしたかった、(むさぼ)るようなキスをした。(とおる)はうっとり顔を上げ、甘い息で俺に(こた)えた。  息が()れ、(くちびる)()れるだけで、くらりと腰が(くだ)けそうになる、甘い陶酔(とうすい)のあるキスやった。  それは別に特別なもんではない。(とおる)とすれば、いつものことで、俺はずっと最初から、初めてこいつに()れた時から、その感覚の(とりこ)になっている。  (とおる)が俺に与えてくれる、陶酔(とうすい)と、愉悦(ゆえつ)と、愛と、ちょっと(せつ)ない苦痛と、それが全部ない()ぜになった幸福感に。  他の誰かと()るときに、それを感じたことはない。なんでもありのこの(へび)としか、俺は幸せになれない男。許すしかない、何があろうと。  たっぷり心ゆくまでキスをして、それから(くちびる)を離すと、(とおる)はすっかり(とろ)けたような顔やった。 「アキちゃん……やっぱ先にベッドで、そのあとインド料理にしよか……」  うっとりと言う(とおる)の話に、水煙(すいえん)がケッと(どく)づく声がした。 「のんきなモンやなあ、(よこしま)(へび)は。(めし)もええけど、新しい仲間が増えたしな。お前もいつか、そいつとベッドをシェアすることになるかもな」  やっぱりチクった。俺は全身鳥肌(とりはだ)立ちながら、水煙(すいえん)怜悧(れいり)な美声を聞いていた。  (とおる)はにこにこしてたけど、その表情にはだんだん無理の気配(けはい)が増していった。 「新しい仲間?」  (とおる)は俺でなく、背後に寝そべる水煙(すいえん)のほうに、必死で()(かえ)るのを(こら)えてる様子で(たず)ねてた。 「そうや。お前より若いし、可愛(かわい)い子やで。健気(けなげ)素直(すなお)従順(じゅうじゅん)そうやしな、なんと言うても一途(いちず)なんがええわ。そうやろジュニア。まるで忠実(ちゅうじつ)な犬みたいやもんなあ」  犬ってところに、水煙(すいえん)はものすご(ふく)みを持たせて言った。  その一言に、(とおる)の美しい()みが(ほころ)びた。それがまだ自分の腕の中にいることに、俺は正直、震え上がっていた。 「何をしたんや、アキちゃん。俺の留守(るす)の間に。正直に言うてみ、怒らへんから」  わなわな震えながら、亨は笑っていた。めちゃめちゃ怖かった。 「し……(しき)にしてくれ言うから」  いや、それは(うそ)か。でもまあこの際、勘弁(かんべん)してくれ。怖いねん。 「言うから、なにをしたんや?」 「天使のままやと、無理やから、(けが)して堕天使(だてんし)にしてくれって言うからな……」 「それで素直(すなお)(けが)してやったんかっ!?」  (とおる)はもう笑ってへんかった。そして俺の襟首(えりくび)()め上げていた。 「血吸うただけや」 「あっ……」  目をそらして、ぽつりと答える俺に(とおる)は、短い悲鳴のような、何かに感づいたような、してやられたという声をあげた。  その顔は、深刻やけど、どことなく、ぽかんとしていた。  怒ったまま、(あき)れたような顔をして、じっと(にら)んでる視線に耐えて、俺は(とおる)のリアクションを待った。  わなわな(うめ)きながら、(とおる)は俺の胸に(くず)れ落ちてきた。 「そうか……そういう訳か……それであんなにあっさり、俺を許したんやな……?」 「なんの話やろ」  俺は必死でそれにとぼけておいた。

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