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11-20 アキヒコ

 これか。これは。水地(みずち)(とおる)です。  お前もようく知っている、俺のツレ。  ()りを戻した。というか、別れてなかった、というか。俺は全然、振られてなかったみたい。俺の早合点(はやがてん)というか、被害(ひがい)妄想(もうそう)やったみたい。  そやからな、勝呂(すぐろ)。お前のこと、また勝呂(すぐろ)って呼んでもええか。  俺は背中にだらだら冷や汗流してた。自分の胸に(ほほ)を押しつけて、じとっと勝呂(すぐろ)を見ている(とおる)の体を抱きながら、ほんまにもう、どうしたもんかと(こま)りつつ。 「俺の……勘違(かんちが)いやってん」 「勘違(かんちが)い」  ()り返す勝呂(すぐろ)は青い顔やった。まさに天国から地獄(じごく)()ちたような顔や。 「それじゃあ、全部チャラですか。全部、無し? 俺が欲しいって言うてくれたことも、あれも、全部無しですか」  勝呂(すぐろ)の話に、(とおる)(かす)かに(ふる)えたような身じろぎをした。  それでも何も言わへんかった。  俺はその身を(ふる)えを腕の中にはっきり感じて、その時はじめて海よりも深く後悔(こうかい)をした。  俺はつくづく、やったらあかん事をした。  学習してない。(とおる)にも、勝呂(すぐろ)にも、水煙(すいえん)にもやろ、やったらあかん事をした。しかも立て続けに。 「無しやないで」  答えられない俺の代わりに、水煙(すいえん)がのんびりと答えた。 「お前は使える。秋津(あきつ)(しき)として、その当主(とうしゅ)であるこの男に、永遠に(つか)えるがいいわ。ただしやな、あの(へび)序列(じょれつ)一位、俺が二位、お前が三位や。それで納得(なっとく)できるんやったらの話やで」  余裕(よゆう)ありげな顔をして、のらくら話す水煙(すいえん)のほうを、勝呂(すぐろ)は思い詰めたような青い顔して横目に見下ろしていた。  勝呂(すぐろ)葛藤(かっとう)していることは、その身の(ふる)えを見ればわかった。  水煙(すいえん)はそれを、(うす)い笑いを浮かべた顔で、じっと待つように見つめ返していた。  こいつはそんなもんには、()れてるんやろ。おとんには両手の指では数え切れんぐらいの(しき)がいたらしい。  それとせめぎ合う関係に、水煙(すいえん)()れている。 「難しゅう考えることないんやで、少年。世に下克上(げこくじょう)はつきモンや。(へび)かて死ぬかもしれへんし、どうせまたすぐ浮気(うわき)する。ジュニアに愛想(あいそう)つかされて、俺やお前の天下になるよな、そんな日も来るかもしれへん。お(そば)(ひか)えて(ねら)っとかんかったら、千載一遇(せんざいいちぐう)好機(こうき)を、他のにかっさらわれてしまうんやで。にこにこ愛想(あいそう)()うしといたらええねん。可愛(かわい)い犬やなあって、手の付く夜もあるかもしれへん。そんな夢のような夜もな」  どこか、ねっとり話す水煙(すいえん)が、そういえば最初は夢の中に現れ、その時今ここにいるのと同じ、人の姿をしてたことを、俺は思い出した。  おとんは時々、こいつを抱いて寝てやったという。でもそれは、剣の姿でやった。  それでも夢の中でなら、まさか剣のままってことはないやろ。  暗く熱い(やみ)のような、天地(あめつち)の無限の力がせめぎ合う、あの場所で、肉のある体ではない、もっとあやふやなもの同士(どうし)が、淫靡(いんび)(から)み合う情景(じょうけい)が、俺の脳裏(のうり)にぼんやり()いた。  それは俺のおとんと水煙(すいえん)で、あるいは、俺自身と水煙(すいえん)やった。  神との交合(こうごう)というのは、本来、そういうもんなんやないか。  それと現世(げんせ)が混ざり合い、熱く(ふる)える肉体どうしが、(はな)れがたく(から)み合うことも時にはあるが、それが神と(げき)との結びつきの全容(ぜんよう)ではない。  そんな気がして俺は水煙(すいえん)を見つめ、水煙(すいえん)は俺を見つめた。(あや)しい、美しい、人でなしの微笑(ほほえ)みで。 「戻っておいで。せっかく戻ってきたんやから。俺が面倒(めんどう)みてやるわ」  水煙(すいえん)勝呂(すぐろ)では、(はげ)しく年期(ねんき)が違ってた。  水煙(すいえん)の、この世のモノとは思えない青の、それでいて非の打ち所のない裸身(らしん)を、勝呂(すぐろ)は内心の動揺(どうよう)()ける目で見下ろした。 「()りたいんやろ、うちの(ぼん)のところに。それやったら、辛抱(しんぼう)せなあかん。これが秋津(あきつ)跡取(あとと)りや。そこらの男に()れたんと違うんや。そうやろう、瑞希(みずき)ちゃん?」  微笑(びしょう)水煙(すいえん)(さと)されて、勝呂(すぐろ)はゆっくり(うなず)いた。  勝呂(すぐろ)がこの普通でない状況を、受け入れるつもりという意味らしかった。  それに俺は、正直ちょっと怖くなってた。  自分が作り出した、この変な世界に、俺自身がついていけるかどうか、心配でたまらず。  そやけどこれが、(げき)の世界やで。俺が生きていく、この世とあの世の(あいだ)の世界。  常識と非常識の、(あいだ)の世界や。 「お告げがあります」  意を決した声で、勝呂(すぐろ)は俺に向き直った。  どうもそれが、元々のこいつの用事で、抱き合って血を吸われた時の気の迷いで、うっかり忘れてもうた伝言やった。 「水底(みなそこ)での死が、(なんじ)(おとず)れり。その死の()てに、(なんじ)は偉大なる者となるであろう」  どこかの神から(あず)かってきた話らしい言葉を、勝呂(すぐろ)はつらつらと語ってきかせた。  そして()めくくりに、こう(つぶや)いた。 「父と子と、聖霊(せいれい)御名(みな)によりて。かく行われるべし(アーメン)」  俺をじっと暗い目で見つめ、勝呂(すぐろ)はまた、バチンと消えた。  それは相変わらず唐突(とうとつ)な消え方やった。  それでもこの時、勝呂(すぐろ)は引き戻された訳でなく、自分から去ったんやという気が、俺にはした。  それまでの二度、引き(むし)られるようにして俺の前から連れ戻された、そんな顔をしてあいつは消えてた。  でもこの時は、何かを(こら)えて(だま)って立ち去る、我慢(がまん)強い犬の顔やった。  結局俺は、永遠に、お前を()みにじって生きていくんかもしれへんな。戻って来んほうが、お前のためやったんやないか。  それでも戻るていうんやったら、俺はお前のことを、せめて瑞希(みずき)と呼んでやろう。それがずっと、お前の強請(ねだ)る、望みの一つやったんやから。 「アキちゃん……今のは何の話やろ」  不吉なものを見たという、心なしかいつもより白いような顔で、(とおる)が俺を抱いていた。 「予言(よげん)やろ」  ゆらゆらと、(ひれ)のある青い足を()らして、死を迎え()つ目をした古い神が、俺にそう教えた。  確かにそれは予言(よげん)やった。  勝呂(すぐろ)は俺の告死天使(こくしてんし)で、それが天使としての、あいつの最後の姿やった。 ――第11話 おわり――

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