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12-6 トオル

「う……(うそ)やろ……そんなん。俺をビビらせて、追い(はら)おうと思てんのや」 「追い(はら)う必要なんかない。ほんまに(なまず)が出るんやったら、(だま)って見てりゃええことや。(なまず)は俺を食わへん。外来(がいらい)のモンやから、口に合わんのやろ。それは昔に、もう(たし)かめられてる。せやからお前のほうや、食われるとしたら」  真面目(まじめ)な顔して、水煙(すいえん)はさらっと言うた。めちゃめちゃさらっと言うてたで。他人事(たにんごと)やと思うて。  なんて冷血(れいけつ)なやつなんや。冷血(れいけつ)なんは、俺もそうやけど、水煙(すいえん)はさすが鉄。ほんまに血も涙もないわ。 「なんで(だま)ってたんや、そんなこと……ていうか、なんで言うんや、今さら!」  (となり)の部屋に()るはずの、アキちゃんの耳を気にして、俺は声をひそめて(わめ)いた。  俺にも結界(けっかい)()れたらええのに。俺ももっと真面目(まじめ)に勉強しといたらよかったわ。 「お前を()(にえ)に出すわけにはいかへん」  窓の外を見た無表情で、水煙(すいえん)淡々(たんたん)とそう言うた。 「なんでや。ええ気味(きみ)やったんやろ、ほんまは。(なまず)が出たら、俺は死ぬって、内心うきうきしてたんやろ」 「してた。でももう今は、まずいと思うてる」 「なんでや。俺に()れたんか」  思わず(どく)づくと、水煙(すいえん)はよっぽど可笑(おか)しかったんか、瞬膜(しゅんまく)のある目を細め、くっくっくと(のど)で笑った。 「水地(みずち)(とおる)、うちの(ぼん)は、お前に()れている。お前を()(にえ)に出したら、きっと(つぶ)れてしまうやろ。そんな強さはあの子にはまだ無いわ」  なんや、どっと汗が出てきてた。  俺はなあ、死ぬのが怖いねん。死にたくない一心で、今まで人食うてきたんや。  それがいくらアキちゃんのためでも、死ななあかんの、ほな死にますわって、そう簡単には覚悟(かくご)決められへん。  今までやったら、それもいくらか平気やったかもしれへん。俺はアキちゃんの(しき)やった。アキちゃんの呪縛(じゅばく)(とら)われていた。  アキちゃん好きやし、死ぬまで戦うって、うっとりするような陶酔感(とうすいかん)で、そう思えてた。  せやのに今は怖いねん。今でも変わらず、アキちゃんのためなら死ねるって、(うそ)やなく、そう思うけど、でも怖い。自分が死ぬと思うと、がたがた(ふる)えてきそうになるわ。  やってもうたな、ほんまにもう。(しき)としての契約(けいやく)を切れなんて、その場の話の(いきお)いで、あっさり言うてもうて、売り言葉に買い言葉。アキちゃんも意地っぱりやから、俺との契約(けいやく)()いてもうたわ。  それでも俺はどこにも行かへん。アキちゃんの(そば)()るでって、そんなロマンチックな話やったはずが、こんな思いも()らん余波(よは)が。 「お……俺、どうなんの。ほんまに()(にえ)にされてまうんか」  もう水煙(すいえん)でもええわ。(すが)りたいような気がして、俺はふらふら風呂の(そば)まで行っていた。  せやけどさすがに、水煙(すいえん)の腕をとるのは気色(きしょく)悪うて、代わりに貝殻(かいがら)みたいな浴槽(よくそう)に取りすがって見上げると、水煙(すいえん)様は()(がた)湯気(ゆげ)(もや)のオーラを(まと)って見えた。  たすけて神様。お願いやから、俺を(なまず)のエサにせんといてくれ。 「心配いらん。お前はもう秋津(あきつ)(しき)やない。さっきジュニアが契約(けいやく)を切ったやろ。ちょうど代わりの(しき)都合(つごう)もついた。あいつをやろう、()(にえ)に」  鼻先(はなさき)を俺に近づけてきて、水煙(すいえん)はひそひそ内緒(ないしょ)の話をしてた。 「あいつって……勝呂(すぐろ)のことか」 「そうや。別にええやろ。お前には(けむ)たい相手なんやから」  やっぱりけろりとして、水煙(すいえん)は言うた。  確かにそうや。そうやねんけど、俺はなんでか動揺(どうよう)してた。  水煙(すいえん)の、黒くて深い、がらんどうみたいな目を見つめると、こいつは地球のモンやないというのが、良く分かる。  俺は自分が、実はけっこう温血(おんけつ)やということを、この時(さと)ったわ。  ひどい話やと思うたんや。勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)は、アキちゃんに()れていた。あいつはほんまにアキちゃんが好きやったんやろ。  それが今も変わってないとして、アキちゃんも(いま)だに、あいつが(にく)くはないとして、それを(だま)したみたいに引き(づな)つけて(しき)にして、()(にえ)直行(ちょっこう)って、それはあんまり(むご)くはないか。 「でも……でも、アキちゃんは、なんて言うやろ」 「ほんなら代わりにお前が死ぬか?」  すかさず言われて、うっと短い(うめ)きが()れた。  それは到底(とうてい)無理な話やで。俺は死にとうないわ。  アキちゃんといつまでも幸せに暮らしたいんや。めでたし、めでたし、ハッピーエンドやで。そうなるつもりで戻ってきたんや。  なのに今さらデッドエンドなんて、そんなん、あんまりやわ。 「俺が代わりに行けたらええねんけどな。それがジュニアにとっては一番マシやろ……」  水煙(すいえん)は、バスタブの中で優雅(ゆうが)に組んでる自分の足を見て、薄い(ひれ)のある爪先(つまさき)をうごめかせた。 「せやけど生憎(あいにく)、俺は不味(まず)いらしいわ。(なまず)にとってはな。(きら)いなんかな、クルフィー。そんな特殊(とくしゅ)な味のもんなんか?」  細い指で自分の(くちびる)()れて、水煙(すいえん)真面目(まじめ)()いていた。  俺はなんかそれが情けなくなってきて、腰高(こしだか)くらいのバスタブの(そば)にへたりこんでた。 「いや……大抵(たいてい)(やつ)には美味(うま)いと思うけど」 「美味(うま)不味(まず)いは人それぞれ、神にも好みがあるからなあ。(なまず)金気(かなけ)のモンは食わへんらしい。あと、野菜もあかんな、(まい)も食い残されたクチやから。肉しか食わへん」  それはまさしく、メタボ街道(かいどう)まっしぐらの神やな。

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