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12-8 トオル
「気持ちよかったやろ。どんな気分やった?」
じとっと僻 む目で、俺は水煙 を見上げた。
きっと悦 かったんや。アキちゃん最近、キス上手 くなったもん。
水煙 の視線がほんの一瞬、ちらりと惑 うようにバスルームの床 を見た。それから二度ほど黒い目を瞬 き、水煙 は物憂 げな伏 し目 になって答えた。
「忘れたわ」
「忘れた……て、ついさっきやろ。脳 みそ大丈夫か」
「もうトシやからな」
思わずツッコミ入れてた俺に、水煙 はうっふっふと笑った。可笑 しいてたまらんというような笑い方やったけど、それはちょっと、絶望的な無表情を突き抜けて、悲しそうなようにも見えた。
お前、なんで許す気になったんや。俺がアキちゃんの一番で、自分は二番やって、なんで認めたんやろ。俺がそれを訊 いたら、さすがにまずいやろか。
それでも水煙 が俺に一目 置 いたことは、俺にも分かった。ただその理由が分からんだけで。
理由なんて、この際 そんなもん、どうでもええわって、思えばええんかもしれへん。水煙 は長らく俺の目の上のたんこぶで、煙 たいやつやった。
「蛇 、うちのジュニアを、よろしゅう頼 むわ。俺もあいつを支 えるけども、お前にしかできんことがある。俺ではあの子を、目覚 めさせることもできへんかったやろ。お前が頼 りや、お前が秋津 の跡取 りを仕上 げる神になると思う」
「なんでそんなこと、急に言うんや」
「それは、そうやなあ……完全 無穴 の宇宙人やからやろ」
苦 い顔して照 れたように、水煙 は言うた。
「これで勝ったと思うなよ。愛される体作りに成功したら、お前なんぞ俺の敵やない。何百年かかるか分からんけどな、お前のせいでジュニアも不死 の身や。それくらい待てるやろ。夜伽 はそれまでお前に譲 ってやるわ」
できへんかったんや。
良かった……アキちゃんが照 れ屋 で。そして水煙が初心 で。なんか方法あるやろみたいな模索 をしないノーマルタイプどうしの組み合わせで。
俺やったら絶対あきらめへん。ありとあらゆる手を尽 くしてると思う。
神様ありがとうございます。いろんな偶然 が奇跡 的に組み合わさって、俺とアキちゃんのラブラブが守られました。
ほんま感謝 します。どの神さんか分からへんけど。おおきにありがとうやで。
俺はこの優 しい奇跡 に、跪 いて祈 りたいぐらいの気持ちやった。そんな気持ちになったんは生まれて初めてやった。ずっと邪悪 な蛇 で悪魔 やったからな。
「さっきの話、ジュニアには秘密 にしとかなあかんで。土壇場 まで黙 っとけ。それから、あの犬が戻ってきても、知らん顔しとけ。命が惜 しいんやったらな」
念押 ししてくる水煙 に、俺は慌 てて頷 いた。
せやけど、どうにも煮 え切らん気分やった。アキちゃんに秘密 をつくるの、あんまりええ気分やないわ。特にそういう、えげつないのはな。
それでも、しゃあない。知ったらアキちゃん、正気 じゃ居 れんやろ。黙 っといてやるのが親切ってもんや。水煙 様もそう言うてるんやしな。
「まだある。死の舞踏 ……それから龍 まで。えらいことやで……」
とろんと悩 む目になって、水煙 はぷかりと水面に浮いてきた。まるで水がベッドで、その上に寝てるみたいやった。
ほんまに水煙 は眠 いらしかった。こいつが寝てる時もあるんやとは考えたことなかったけど、寝てることもあんのかもしれへん。俺も寝てる時はあるんやから。
疲 れてもうたんやろ。こいつもアキちゃんに大変な目に遭 わされた。
見殺しにしてた俺が言うことやないけど、可哀想 やったな。その時は素直 にそう思ったんやで。
「風呂 に水、注 してくれ、水地 亨 。温 すぎる。のぼせてくるわ……」
水面で目を閉じる水煙 に言われて、俺がおとなしく金色の水栓 をひねって水を出してやると、水煙 はゆっくりと湯の中に沈 み始めた。
「目が醒 めたら、詳 しく話す。海道 竜太郎 に会えと、ジュニアに言うといてくれ。龍 の詳細 を、あいつが視 られるはずや」
「竜太郎 ?」
俺が聞き返すと、水煙 はゆっくりと深く頷 いて見せ、そのまま静かに浴槽 の底まで沈んでいった。
くつろいだふうな丸い背で、水煙 は貝殻 の底で目を閉じていた。
そうしてるとまるで、ほんまに海の底に住んでるモノみたいやった。
予言 してきたと、水煙 はぴくりとも動かない目を閉じた姿で、声でない声で俺に話した。
アキちゃんが、水底 で死ぬと、天使 が予言 してきた。そんな未来を受け入れるわけにはいかん。もう二度と、秋津 の当主 を水底 で死なせはせえへんと、水煙 はそれが確信 に満ちた事実であるように俺に語った。
龍 は生 け贄 に、巫覡 を求める神や。いったん荒 れたら、供物 や式 の生 け贄 では納得 せえへん。
昔、海洋 を渡 る船には、嵐 や海神 を鎮 めるための巫覡 を乗せてたもんやったけど、それは嵐 で船が沈 みかけ、いよいよ波が治 まらん時に、巫覡 そのものを生 け贄 にして、船を守るためやった。
近頃 、船も丈夫 になって、そんな風習 はもうとっくに廃 れたけども、龍 や海神 は変わりはせえへん。相変 わらず巫覡 を好 んで食うはずや。
つまりな、龍 が現れて、もしも荒 れたら、うちのジュニアを食わせる羽目 になる。それはまずい。
でも、防 げる目算 はある。予言 は予言 や、まだ確定 した未来やない。ジュニアが生き残れる未来へ行くよう、俺は少々時空 をねじ曲げる。
そのためには、この際 、呉越同舟 や。
アキちゃん好きやて言うんやったら、力を合わせてくれと、水煙 は俺に頼 んだ。
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