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13-5 アキヒコ
俺なんかもう、そういう意味では完全にアウトやな。
亨 の血なんか、何遍 も吸うてる。もはや完全にあいつの虜 や。
血をくれという俺を、亨 はもう拒 まへん。今さら止 めても手遅 れと、そういうことなんやろ。ほんなら後はもう、行き着くとこまで行くだけや。
「血なんか舐 めてません!」
青ざめて悲鳴っぽい声で、神楽 さんは言うてたわ。
何なら舐 めたんや。まあええか、そんなこと。他人事やし、詮索 したらあかんよな。
俺かて嫌 やわ。そんなこと面 と向 かって訊 かれたら。恥 ずかしいやんか。
ううって呻 く苦悩 の声をあげて、神楽 さんは何か作業に逃げたいみたいに、また薔薇 を摘 んだ。
ばしっと茎 の切れる音がして、それと同時に神楽 さんも小さな悲鳴を上げた。
びっくりして俺が見ると、神楽 さんは自分の指まで摘 んでいた。大した怪我 ではないけども、小さな怪我 でもない。
切れた人差 し指 の先から、ぽたぽた血が滴 り落ちてて、俺はほんまにぎょっとした。
三日食ってない後に焼き肉屋の前を通ってしもたようなもんやった。
腹減 ってんねん俺は。もう朝飯 食いに行っていいですか。
鞘 返してください、神楽 さん。いや、鞘 はもう後でええから、とにかくこの話、もう終わりでいいですかって、俺は絶叫 したくなっていた。
勘弁 してくれほんまに、こっちはもはや外道 なんやから。血をたらたら出すのはやめてくれ。
そんな俺の可哀想 な状態を全く気付く気配 もなく、神楽 さんは鋏 を取り落とし、自分の血が薔薇 の木に降りかかるのを押さえようとしてた。
ぱたぱたと滴 の垂 れる音がしたような気がする。それは俺の鋭 すぎるようになった耳のせいか。
薔薇 は根方 に落ちた血を吸った。たぶん、そうなんやろう。
そのせいで、俺は予想もしてへんかった奇蹟 を目にした。
神楽 さんが震 えて見つめる目の前で、薔薇 の木が花の盛 りに備 えて用意していた沢山の固 い蕾 が、どんどん咲 き始めた。
新しい蕾 さえ、みるみるできていくようやった。
ぽかんと見てる俺の目の前で、神楽 さんの血を吸うた薔薇 の木だけが、映像の早回しみたいに、あっというまに満開になった。
なんやろこれはと、俺はびっくりしていたが、どう考えても神楽 さんの血のせいやった。
普通の薔薇 が、突然満開に咲 くわけはない。何らかの神秘的 な力のなせる技 。
神楽 さんはもともと初登場からして、そういう人やった。奇蹟 を起こせる男やったやないか。それがまた一つ増えただけ。驚くことはないと、俺はそう結論しかけた。
せやけど神楽 さんはめちゃめちゃ驚 いていた。
「なんで花が咲 くんやろ……」
動転 した声でまた、神楽 さんは地元神戸の言葉で話してた。
見るのがつらいっていう目で、まだ次々咲 いている薔薇 を見下ろして。
「初めてなんですか、こういうの」
俺が興味本位 で訊 くと、神楽 さんは首を振 って否定 した。初めてではない、別に珍 しくもないっていうふうな態度 やった。
「怪我 や病気を治す力があるんです。簡単なものなら触 るだけでも治りますが、多少重くても、血を使えばかなり効果が上がります。植物があっというまに育ったり……これは僕の持ってる力やのうて、神様が与えた奇蹟 やって。僕を通じて聖霊 が現れとうだけなんです」
それはキリスト教の教義 やった。
神父は神の僕 であって、本人に何か超自然的 な力があるわけやない。
神さんは自分の手足として、自分の僕 たちを使う。言うなればやな、水道ひねったら水出るけども、それは蛇口 の機能やのうて、どこかから水が送られてきてるから出るんやという、そういう考え方をする。
神楽 さんはそう教えられてきた。お前は蛇口 で、水源 ではない。水が出るけども、それを自分の力と思うな。神の奇跡 として、その御名 によりて力を振 るえと、そういう躾 を受けた人やったんやな。
まあ別にええやん。そう思いたいんやったら。結果は一緒なんやし。
蛇口 でも、自ら湧 き出る泉 でも、水が飲めれば同じやんかって、俺には思える。アバウトな日本の人やからな。
だって、それを言うなら俺の持ってる力かて、俺の力やないよ。巫覡 は天地 や神と交感 して、その力をもらってるだけ。井戸 みたいなもんで、でかい水脈 から水が供給されてくる。俺もそんなようなもんなんや。
せやから同じやないですか、って、俺には神楽 さんの驚 く訳 がわからへん。
「なんでや。神聖 な者にしか、聖霊 は力を与えへんのです。僕はもう奇蹟 は起こせへんはずや。だって……」
だって?
だって何やねん。
そうです。もうバージンやないからや。
禁欲 は神父の鉄則 やったらしい。どこまで本気で守られてんのかわからへん。
だって成人して家族も子供もおるような状態から出家 する神父さんもいてはるらしいで。その人が童貞 ということはないやろ。
それでもどんだけ素直 な性格なんか、神楽 さんは真 に受 けていた。
淫行 してへん汚 れない身やから、神は自分を通じて、他の人ではできひんような奇蹟 が起こせるんやって、そう信じてたんやな。
そやのに何でこの朝も、自分の血を吸うて、薔薇 は咲くのか。もはや穢 れた身やのにと、そう驚 いた訳なんやけども、そんなの理由は明白 や。
神楽さんは蛇口 やのうて泉 やってん。俺と同じで、自 ら湧 いてる井戸 やった。
言うなればその点においてもご同類 。ええとこのボンボンで、しかも天地 に格別 愛されていた。
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