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13-10 アキヒコ

 藤堂(とうどう)さんがもっと、自制心(じせいしん)のない男やったら、俺は(とおる)と出会ってなかった。  そして神楽(かぐら)さんは、中西(なかにし)さんと出会ってなかった。  みんなそれぞれ、違う道で幸せやったかもしれへん。  (とおる)藤堂(とうどう)さんと、俺は勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)と、そこそこ幸せにやってたかもしれへんのやけど、でも、神楽(かぐら)さんは違う。  間違いなく今のコースが幸せコース。そんな気がした。  今はまだ、つらそうな葛藤(かっとう)した顔で、動転(どうてん)しまくってる神楽(かぐら)さんやけど、お前は可愛いと()められた時、(たま)らんという顔をした。  この人のためなら、命でもなんでも投げ打つと、そんな感じの崇拝(すうはい)する目やで。  神楽(かぐら)さんは新しい神を見つけたらしい。ただし悪魔(サタン)やけど。  うっかりまたもや悪魔憑(あくまつ)き。せやけどもう、悪魔祓い(エクソシスト)()らんらしい。 「どしたんや、(よう)。着替えに行っておいで。それともキスしてもらうまで待ってんのか」  意地悪い()き方で、中西(なかにし)さんは首を(かし)げた。  それに神楽(かぐら)さんは真っ赤になった。(かみなり)にでも打たれたみたいにびくっとして。  たぶん待ってたんやろ。無意識に。  してやりゃええのに。なんでしいひんの。  俺ならしないけど。しないけどやな、客観的に見ると、意地悪(いじわる)だということは理解できる。  (とおる)にもっと、キスしてやらなあかん。あいつも時々あんな、(せつ)なそうな目で俺を見てる。  神楽(かぐら)さんは()ずかしすぎてキレたみたいな足取りで、顔を真っ赤にして、持ってたまんまの薔薇(ばら)を三本、ほとんど振り回すような(あわ)っぽさで(つか)んだまま、ずかずかと庭園(ていえん)を出ていった。  俺には一言の挨拶(あいさつ)も無しやった。  あのう。もう誰も憶えてないやろけど、水煙(すいえん)(さや)は。返してくれへんのかな、神楽(かぐら)さん。俺は一応、そのために来たんやで。  でももう神楽(かぐら)さんは完全に忘れてるみたいやった。  そんな背を見送りながら、俺は神楽(かぐら)さんの背に、何かむらむらした緑色のものがくっついているのを見つけて、我が目を(うたが)った。  それはどうも、一般人には見えへん種類のもんや。どう見ても薔薇(ばら)の木やった。(つる)というか、(とげ)のある薔薇(ばら)の木の枝の、もつれて(から)み合うようなのが、うっすら()けてる幻影(げんえい)のように、神楽(かぐら)さんに取り付いていて、真っ赤な血のような花を()かせてた。 「なんやろ、あれは。(みょう)なもん背負(せお)っていったな……」  (あき)れて笑う声で、葉巻(はまき)(くわ)えた中西(なかにし)さんが俺に()いた。 「見た感じ……薔薇(ばら)やないですか。背後霊(はいごれい)みたいなもん?」  俺はおずおず答えた。変な話やと思われるんやろなと気後(きおく)れしつつ。  人にはときどき、(れい)が取り()いてることがある。悪い(れい)のときもあるけど、その人を気に入って、守ってやろうと()いてる(れい)のこともある。  俺が昔付き()うてた彼女の肩に、見えへんカナリア止まってたことがあるし、時には雨雲みたいなもんがくっついてて、そいつが来ると必ず雨降るみたいな雨女もおったわ。  デートは毎回、雨天決行やで。悪さはしいひん。ただ()るだけ。  そいつが好きでついてくるんや。追い(はら)おうと思えば(はら)えるやろけど、そんな必要はない。満足したら消えてまうやろし、ずっといたとしても、背後に薔薇(ばら)が見えるだけやしって、俺は中西(なかにし)さんに説明した。 「背後に薔薇(ばら)? 花が見えんのか? 少女漫画か」  中西(なかにし)さんは葉巻(はまき)を持った指を、しばらく宙でわなわな震わせてたけども、とうとう我慢(がまん)しきれんというノリで、突然爆笑しはじめた。  よっぽど可笑(おか)しかったんやろ。想像したら可笑(おか)しいわ、確かにな。  神楽(かぐら)さんはあんな、男か女か分からんような美貌(びぼう)やし、それが金髪(きんぱつ)碧眼(へきがん)で、なんとなく暗い(うれ)い顔して、しかも背景に薔薇(ばら)なんやで。冗談(じょうだん)としか思えへん。  そんなに笑ってええんかっていうほど、中西さんは軽く身を折って爆笑していた。まさに悶絶(もんぜつ)やった。きちんとセットされてた(かみ)まで乱れた。  そこまで可笑(おか)しいか。可笑(おか)しいよなあ。俺は笑うの我慢したけど、ほんま言うたら一緒に笑いたかった。でもあまりにも微妙な関係すぎたんや、俺と中西(なかにし)さんやとな。 「(はら)いましょうか。多分誰か親類(しんるい)に、やり方知ってる者がいると思うんですけど」 「いや、いいです、いいです。あのままで。面白いから。あれは本人にも見えてんのやろか」  それはどうやろ。神楽(かぐら)さん、水煙(すいえん)が見えてて(さや)まで持てたんやし、背後霊(はいごれい)ぐらい、いたら見えるんちゃうか。  今は気がついてないんやろけど、いくら背後や言うたかて、そのうち気がつくと思うけどな。少なくとも、また会った時に中西さんがそれを見て、()いてもうたら、すぐ気付くやろ。 「面白い奴や。ほんまに、からかい甲斐(がい)がある……」  それが(いと)しいという目で、中西(なかにし)さんは神楽(かぐら)さんの消えたほうを見送っていた。  それはまだ、実を言うと、恋に(おぼ)れた目ではなかったんやけど、ジェットコースターで言うたら、さあ一気に降るぞみたいな一番高い(さか)を、からから上っていく途中(とちゅう)。  いつか一気に()い降りる。ふわっと一瞬浮くような、心地よくて怖いみたいな、無重量の世界へ。それにこれから敢えて、身を(まか)せてみようかみたいな、そういう予感のする目やったわ。

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