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13-12 アキヒコ
内戦地帯て、ようそんなとこ行くわ。
俺なら行かへん。そんな度胸 ないボンボンやからな。
「そしたらなあ、先生。部屋がなかったんや。ダブルブッキングです。当時のアジアでは、よくあることやったんやけど、若造 やったしビビりましたわ。ああそうか、部屋ないんやって、今夜どこに泊 まろうかと考えてな。そしたらホテルのフロントの人が、代わりの部屋を用意したので、申し訳ないが、そちらにお泊 りくださいと言うんですよ」
可笑 しくてたまらんという目を、中西 さんはしてた。
その楽しげな目の表情は、人を魅了 する種類のもんやった。
亨 がなんでこの男を好きやったんか、俺にはちょっと分かった。
俺もその時ちょっと、この人のことが好きなような気がしたからや。
変な意味やないで。普通に人として!
「案内されて行ってみたらなあ、先生。最上階のインペリアル・スイートなんですよ。空 いてる部屋がそこしかないんやと言うんです。そこに一番安い部屋の値段で泊 めるというんやで。そして、ミスター・中西 、大変申し訳ない、ご予約いただいたお部屋にお泊 りいただけず。お詫 びにワインと果物 をって、特上の赤と、南国フルーツ盛り合わせが出てきました。冗談かと思うたわ」
この人にも若造 やった頃があったんやと、俺には信じられへんような気分やった。
中西 さんは生まれつき大人みたいなふうに見えてたし、俺と違って、自信たっぷりに見えた。
それでも、その思い出話の中ではこの人も、二ヶ月ふらふら旅した後の小汚 い格好 で、ぼろぼろのジーンズはいて、髪 なんかセットもしてない伸 びまくりで、シンガポールの百万ドルの夜景と海を見下ろす、インペリアル・スイートの窓辺 にぽかんと立っていた。
中西 さんはその夜、夜景を眺 めつつ、ホテルがお詫 びとして差し出したワインを一瓶 かっ食らって、果物 を平 らげ、豪華 なベッドで寝たらしい。
そして決心したんやって。ホテルマンになろうかなって。
「安易 やろ」
「あ……安易 、ですかね?」
同意したら失礼やと思って、俺は一応、疑問形には持ち込んだ。
でも同感やって顔には出てたと思うわ。中西 さんが笑ってたから。
「そんなもんやねん。天職 なんて。なってから必死で頑張 るうちに、気がつくとその道の権化 みたいになってるもんなんですよ。それでホテルの支配人 やれてる男もおるんやから、先生も深く考えずに、なぁんとなくのノリで画家になったらどうですか」
そう励 まして、中西 さんは今度はほんまに叩 いた。ケツでなく背中を。
それは何か、悪い憑 き物が落ちるような一撃 やった。
この人、ただの人やねんけどな。今はもう血を吸う化けモンなんやけど、その前はたぶん、ただの人なんやで。霊能者とか、そういうんやない。ただのホテルマンなんや。
それでも人の手には何かの力がある。たぶん誰にでも不思議 な力はあるんやろ。
「さあ、飯 ですよ先生。叩 き起こして朝飯 食わしてやったらどうでしょう。前から思うてたんやけど、あいつ昼に起きてきて朝飯 食うでしょう。それ、昼飯 なんやないかな。確かに断食明け やけど、でも朝飯 は朝食うから美味 いんやないですか?」
そんな普通の話も、中西 さんは亨 としたことなかったんやろかと、俺には不思議 やった。
あいつを起こすのは別に難しいことはない。寝てる布団 を剥 げばええんや。
それで起きなきゃ、顔をばしばし平手 打 ちするか、それでも駄目 ならケツを蹴飛 ばす。
でも、一番効果 あるのはキスしてやることやで。一瞬 で起きるわ。
けど、それを言うのは恥 ずかしすぎる。せやからケツキックまでで俺は話を止めた。
それは凄 いという驚愕 の顔で、中西 さんはその話を聞いていた。
「お見それしました先生。俺にはあいつの顔を殴 るなんて、そんな恐ろしいことはできへん。とても無理やわ、美しすぎて」
中西 さんは、耽美派 やった。
ありえへんわという顔で、中西 さんは首を振 っていた。
せやから俺はいろいろ言うのはやめた。中西さんの夢 を壊 したらあかんと思って。
人にはいろいろ幻想 があるやん。たとえ親しく付き合ってた相手でも、意外と知らん一面はある。
俺は亨 が中西 さんのところで、どんな奴 やったか聞きとうないし、中西 さんも亨 が俺のところで、テレビでお笑いを見て笑い転 げていたり、トラッキーの縫 いぐるみを抱きしめて阪神戦を見て、赤星 萌 え萌 えで悶 えてたりするのは知りたくないやろ。そんな気がする。
だってこのホテルの部屋にはテレビが無かったからや。それは中西 さんの美学 やねん。テレビなんかアホの見るもんやという。
亨 はたぶん、この人のところで、無理してええ格好 してたんやないかと思うんや。ほんまはそんなキャラやないのに、この人の美学 に合わせたくて、無理してたんやろ。
そのストレスが祟 ってのスプリンクラー攻撃やったら、いっそ部屋で『一人ごっつ』見ててくれたほうがマシやったんやないか。中西 さん的 にも。
あいつにも、なんでそれが無理やったんやろな。
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