140 / 928

13-12 アキヒコ

 内戦地帯て、ようそんなとこ行くわ。  俺なら行かへん。そんな度胸(どきょう)ないボンボンやからな。 「そしたらなあ、先生。部屋がなかったんや。ダブルブッキングです。当時のアジアでは、よくあることやったんやけど、若造(わかぞう)やったしビビりましたわ。ああそうか、部屋ないんやって、今夜どこに()まろうかと考えてな。そしたらホテルのフロントの人が、代わりの部屋を用意したので、申し訳ないが、そちらにお(とま)りくださいと言うんですよ」  可笑(おか)しくてたまらんという目を、中西(なかにし)さんはしてた。  その楽しげな目の表情は、人を魅了(みりょう)する種類のもんやった。  (とおる)がなんでこの男を好きやったんか、俺にはちょっと分かった。  俺もその時ちょっと、この人のことが好きなような気がしたからや。  変な意味やないで。普通に人として! 「案内されて行ってみたらなあ、先生。最上階のインペリアル・スイートなんですよ。()いてる部屋がそこしかないんやと言うんです。そこに一番安い部屋の値段で()めるというんやで。そして、ミスター・中西(なかにし)、大変申し訳ない、ご予約いただいたお部屋にお(とま)りいただけず。お()びにワインと果物(くだもの)をって、特上の赤と、南国フルーツ盛り合わせが出てきました。冗談かと思うたわ」  この人にも若造(わかぞう)やった頃があったんやと、俺には信じられへんような気分やった。  中西(なかにし)さんは生まれつき大人みたいなふうに見えてたし、俺と違って、自信たっぷりに見えた。  それでも、その思い出話の中ではこの人も、二ヶ月ふらふら旅した後の小汚(こぎたな)格好(かっこう)で、ぼろぼろのジーンズはいて、(かみ)なんかセットもしてない()びまくりで、シンガポールの百万ドルの夜景と海を見下ろす、インペリアル・スイートの窓辺(まどべ)にぽかんと立っていた。  中西(なかにし)さんはその夜、夜景を(なが)めつつ、ホテルがお()びとして差し出したワインを一瓶(ひとびん)かっ食らって、果物(くだもの)(たい)らげ、豪華(ごうか)なベッドで寝たらしい。  そして決心したんやって。ホテルマンになろうかなって。 「安易(あんい)やろ」 「あ……安易(あんい)、ですかね?」  同意したら失礼やと思って、俺は一応、疑問形には持ち込んだ。  でも同感やって顔には出てたと思うわ。中西(なかにし)さんが笑ってたから。 「そんなもんやねん。天職(てんしょく)なんて。なってから必死で頑張(がんば)るうちに、気がつくとその道の権化(ごんげ)みたいになってるもんなんですよ。それでホテルの支配人(しはいにん)やれてる男もおるんやから、先生も深く考えずに、なぁんとなくのノリで画家になったらどうですか」  そう(はげ)まして、中西(なかにし)さんは今度はほんまに(たた)いた。ケツでなく背中を。  それは何か、悪い()き物が落ちるような一撃(いちげき)やった。  この人、ただの人やねんけどな。今はもう血を吸う化けモンなんやけど、その前はたぶん、ただの人なんやで。霊能者とか、そういうんやない。ただのホテルマンなんや。  それでも人の手には何かの力がある。たぶん誰にでも不思議(ふしぎ)な力はあるんやろ。 「さあ、(めし)ですよ先生。(たた)き起こして朝飯(あさめし)食わしてやったらどうでしょう。前から思うてたんやけど、あいつ昼に起きてきて朝飯(あさめし)食うでしょう。それ、昼飯(ひるめし)なんやないかな。確かに断食明け(ブレイクファスト)やけど、でも朝飯(あさめし)は朝食うから美味(うま)いんやないですか?」  そんな普通の話も、中西(なかにし)さんは(とおる)としたことなかったんやろかと、俺には不思議(ふしぎ)やった。  あいつを起こすのは別に難しいことはない。寝てる布団(ふとん)()げばええんや。  それで起きなきゃ、顔をばしばし平手(ひらて)()ちするか、それでも駄目(だめ)ならケツを蹴飛(けと)ばす。  でも、一番効果(こうか)あるのはキスしてやることやで。一瞬(いっしゅん)で起きるわ。  けど、それを言うのは()ずかしすぎる。せやからケツキックまでで俺は話を止めた。  それは(すご)いという驚愕(きょうがく)の顔で、中西(なかにし)さんはその話を聞いていた。 「お見それしました先生。俺にはあいつの顔を(なぐ)るなんて、そんな恐ろしいことはできへん。とても無理やわ、美しすぎて」  中西(なかにし)さんは、耽美派(たんびは)やった。  ありえへんわという顔で、中西(なかにし)さんは首を()っていた。  せやから俺はいろいろ言うのはやめた。中西さんの(ゆめ)(こわ)したらあかんと思って。  人にはいろいろ幻想(げんそう)があるやん。たとえ親しく付き合ってた相手でも、意外と知らん一面はある。  俺は(とおる)中西(なかにし)さんのところで、どんな(やつ)やったか聞きとうないし、中西(なかにし)さんも(とおる)が俺のところで、テレビでお笑いを見て笑い(ころ)げていたり、トラッキーの()いぐるみを抱きしめて阪神戦を見て、赤星(あかぼし)()()えで(もだ)えてたりするのは知りたくないやろ。そんな気がする。  だってこのホテルの部屋にはテレビが無かったからや。それは中西(なかにし)さんの美学(びがく)やねん。テレビなんかアホの見るもんやという。  (とおる)はたぶん、この人のところで、無理してええ格好(かっこう)してたんやないかと思うんや。ほんまはそんなキャラやないのに、この人の美学(びがく)に合わせたくて、無理してたんやろ。  そのストレスが(たた)ってのスプリンクラー攻撃やったら、いっそ部屋で『一人ごっつ』見ててくれたほうがマシやったんやないか。中西(なかにし)さん(てき)にも。  あいつにも、なんでそれが無理やったんやろな。

ともだちにシェアしよう!