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13-13 アキヒコ

 とにかく(とおる)は俺んとこに、ありのままの自分を愛してくれってやってきて、俺がそれを(ゆる)したっていうだけで俺に()れていた。  それっぽっちのことで、って、俺は思うんやけど。その、それっぽっちのことが合うかズレてるかが、案外重要なんやないやろか。  (とおる)が料理が上手(うま)いという話にも、中西(なかにし)さんは(おどろ)いてた。  俺はもちろん、それを自分が知っていることに、少々の優越感(ゆうえつかん)(おぼ)えてた。そんな餓鬼(がき)くさい俺のさり()惚気話(のろけばなし)を、中西(なかにし)さんは笑って聞いていた。俺を中庭に送る間じゅう。 「俺もいっぺん食うてみたいな。あいつの手料理なるもんを。毒入ってたりしないんやったら」 「入ってないですよ、そんなの。機会があったら、ぜひ一度」  なんてことは無い話の流れで、俺はそう(さそ)ったけど、それは社交辞令(しゃこうじれい)ではなかった。  中西(なかにし)さんはそれに、面白そうに笑って俺を見た。 「変わった子やなあ、本間(ほんま)先生は」  そんなことは、俺は言われ()れている。本間(ほんま)は変な(やつ)やと、言われ続けた二十一年やったからな。  でもそれは、悪い意味やなかった。にこにこ笑って中西(なかにし)さんは、俺に握手(あくしゅ)を求めた。 「きっと有名な画家になるやろから、今のうちに握手(あくしゅ)しといてください。できたらほんまに、絵を一枚描いてもらおうかな。例の絵を売れと、新しいのが言うんで、その後に(かざ)る絵が()るんや。できたら前の絵と、交換してもらえませんか」  中西(なかにし)さんは(とおる)の絵を、俺に返してくれるつもりみたいやった。  それがほんまに(うれ)しくて、俺は必ず絵を描くと約束した。 「当ホテルの朝食(ブレイクファスト)をお楽しみください。血のように赤い(ブラッド)オレンジ・ジュースもついてるし。きっとお口に合いますよ」  あいつをよろしくと、中西(なかにし)さんは俺に(たの)んだ。幸せにしてやってくれって。  俺はその話に衝撃(しょうげき)を受けていた。  それは別れの言葉で、中西(なかにし)さんはまるで、(むすめ)(よめ)に出すおとんみたいやった。  えらいことになったと、俺は(あせ)った。  俺って(とおる)と結婚するみたいやん。なんかめちゃめちゃ追い()められた瞬間やった。  ほんで肝心(かんじん)水地(みずち)(とおる)はというと、中庭で落ち合う約束のはずが、まだ来てなかった。  もうとっくに来てて、怒りながら待ってるかと思ってたら、なんとまだ部屋にいた。  寝こけていたのかというと、そうやない。  部屋で水煙(すいえん)(おそ)っていた。  (おそ)すぎると思って、(ねん)のため俺が部屋に戻ってみると、リビングにルームサービスをとった白いテーブルクロスがけのワゴンが放置(ほうち)されていて、バスルームから言い争う悲鳴みたいな声が聞こえた。  (とおる)の声やない。水煙(すいえん)の悲鳴やで。  俺はびっくりして、(あわ)ててバスルームの白いドアを開いた。 「アキちゃん」  声をそろえて、お二人様が俺を見た。  (とおる)はバスタブの横まで持ち出した籐椅子(とういす)に座って身を乗り出し、手にルームサービスの朝食の皿と、フォークに()したイチゴを持っていた。  そして、それに追い()められた顔の水煙(すいえん)の声は、明らかに(すく)いを求める悲鳴やった。 「な……なにやってんのや、(とおる)」 「水煙(すいえん)(めし)食わしたろうと思って」  悪気(わるぎ)ないけろっとした顔で、(とおる)は答えた。 「ええねん、もう()らんて言うてるやろ!」  水煙(すいえん)は、あーん、という(とおる)から必死で逃げてたが、バスタブの外に出られるわけやない。すぐ追い詰められて、(あご)(つか)まれていた。  俺はその光景(こうけい)に、なんとなく青ざめた。  (とおる)。それは。やめといたほうがええんやないか。水煙(すいえん)にイチゴ食わせんのは。  何でかは説明しづらいけど、もうちょっと何か、歯ごたえないもんのほうがええんやないやろか。  だって水煙(すいえん)、口ん中がちょっと普通より普通でないふうに敏感(びんかん)みたいやから。 「好き嫌いせんと食わなあかんねん。カレーまで到達(とうたつ)でけへんやないか。なんも難しいことない、()んでゴックンすればええねんで?」  (きび)しい顔して、(とおる)水煙(すいえん)の口になんとかイチゴを押し込もうとしてた。  やめろって。それは若干(じゃっかん)強姦(ごうかん)やから。  水煙(すいえん)は、やめてくれえっていう顔やった。すでに何か食わされた後みたいやった。 「いけるってイチゴくらい。さっきブドウは食えたやんか」 「いやもう、ええから。それであかんと思ったんやないか……」  反論(はんろん)したのがまずかった。顔をそむけて(わめ)水煙(すいえん)の口に、(とおる)は、えい、とか言うてイチゴを突っ込んでいた。  はう、って感じ。俺は止める間もなかった。  なんて言って止めたらいいかも分からへんねんけどな。 「出したらあかんで。練習練習」  (とおる)に口を(ふさ)がれて、水煙(すいえん)涙目(なみだめ)やった。泣けるんや、実は。  食わなしゃあないと、水煙(すいえん)は思ったらしかった。(とおる)怪力(かいりき)なんやし、水煙(すいえん)非力(ひりき)やからな。いつまでも口ん中にイチゴ入ってて欲しくなかったら、頑張(がんば)って食うしかないわ。 「(とおる)、もう、()めといてやれよ。いきなりそんな色々食うて、(はら)(こわ)したらどないすんねん」 「平気やって。こいつ犬人間(いぬにんげん)食って平気やったんやで。イチゴくらい()でもないわ」  大阪の事件のときのことを言うてんのやろ。  でも犬人間(いぬにんげん)食うたとき、水煙(すいえん)は人型やのうて剣やったやろ。  それにあれは、霊的(れいてき)に分解して吸い込んだんや。()られた相手が(きり)みたいになったのを、剣が吸い込んでいた。  剣が()(くだ)いて飲み込んだわけやない。 「ほら、次、バナナいっとく? 美味(うま)いよー、バナナ」  ぎょっとして見たら、(かざ)り切りされた薄切(うすぎ)りのやつやった。  でももう水煙(すいえん)は、もう堪忍(かんにん)してくれっていう(あわ)れっぽい態度(たいど)やった。

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