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13-16 アキヒコ
「そうや。藤堂 さんは仕事が何より好きやねん。三度の飯 よりもやで。飯 も食わんと仕事しとるわ。俺と付き合 うてる時も、ホテルのほうを愛してた。結局 そういう男やねん。今でもきっと、それは変わらんと思うで。それだけは、死んでも治らん病気やわ」
血のように赤い オレンジジュースをちゅうちゅうストローで吸いながら、亨 は恨 めしそうに話してた。
「この飯 、美味 いなあ。ほんまにイケてるよ、あの人がプロデュースするホテルは。ここも一流なるやろ。俺のお陰 やのうて、これがあの人のアートやったんやろなあ。アキちゃんの絵みたいにさ」
このホテルの絵を描いてやったらええよと、亨 はがつがつオムレツ食いながら俺にすすめた。
妖怪 ホテルの絵か。それもええなあと、俺は思った。そしたら二十四時間ホテルと一緒にいられるで。神楽 さんは怒るかもしれへんけど、それはしゃあないわ。
大人の男には、愛が沢山 あるらしい。あの人はきっと、今でも亨 が好きやろし、神楽 さんのことも好き、ホテルも好きで、むかつくはずの俺のことまで、笑って人生相談に乗ってくれたやんか。
俺もそれを見習 うて、大人の男を目指そうか。
そんなことを思いつつ、にやにや飯 食ってる俺を、亨 はジトっとした疑 わしげな目で見つめてきたわ。
「なんやねん、にやついて。顔綺麗 なやつでも通ったんか?」
「いや、そんなんやないよ。ちょっと考えててん。お前の元カレ、格好 いい男なやあと思って」
俺の答えに、亨 はぽかんと口あけて見てた。卵 見えてるで、行儀 悪いなあ、お前。せっかく顔綺麗 なんやから、行儀 よく食えよ。
「な……なに言うてんの、アキちゃん。憎 くないんか、藤堂 さんが」
「憎 くないなあ。なんでか知らん。ずっと怖かったけど、話してみたら、ええ人やった」
「アホちゃうか……アキちゃん」
亨 はしみじみ言うた。馬鹿 にしてるわけやのうて、まるでそれが事実みたいな、俺を哀 れむ口調やった。
「なんでアホやねん。お前が好きやった相手やろ。それを俺も好きで、なんか変なんか」
亨 はそれに、うっと呻 いた。
引いてる訳ではなかった。むしろ感激 してるっぽかった。
涙 をこらえてるような顔で押し黙 り、亨 は眉間 を押さえたが、平静 なふりをしたいんか、空 いてるほうの手でフォークを握 り締 め、サラダに入っていたブロッコリーをむしゃむしゃ食うていた。
やがてそれも食い終り、うつむいて紅茶 をすすりつつ、亨 はやっと口をきいた。
「アキちゃん、お前はほんまにアホというか、大人物 というか……なんて可愛 い男やねん」
「褒 めてんのか、それ……?」
亨 に可愛 いって言われたのは、これが初めてやったんやないか。
それが馬鹿 にしてんのかという気もして、俺は動揺 してた。
「褒 めてる、というか、アキちゃん。俺はほんまに、お前を愛してる」
好きやと喚 いて、亨 は俺をいきなり抱き寄 せ、キスしてくれた。
やってくれたな。それを朝飯 食ってる宿泊客 のほとんど全員が見ていた。どれが人で、どれが人でなしやら分からんけどもや、皆に見られた。
実は中西 さんにも見られた。客に挨拶 するために、わざわざ中庭に出てきたところを直撃 やった。
亨 はそれに気付いてなかった。でも俺は気がついてたんやで。
それが抱きついてきた亨 を、避 けへんかった理由かもしれへん。
見せつけたろうって思ったんやろか、俺は。
自分では、そういうつもりやなかった。
俺は亨 を幸せにする。少なくとも今朝は、こいつは幸せ。
亨 がやりたいことは、俺はなんでもさせてやる。キスしたいならキスしてやって、抱き合いたいなら抱き合って。
それは変かもしれへんけども、亨 が幸せならそれでいい。
そんな感じでどうですやろかって、見せたつもりやねん。
中西 さんはそれを見て、参 ったなというふうに笑った。そしてそのまま立ち去って、ロビーに消えた。
もしかしたら神楽 さんとこ行くんやないかと、俺は思った。夜まで待つのがつらいって、そんな顔してたあの人に、ちょっとくらいは顔見せて、キスのひとつもしてやるために。
それともどこかで一人、自棄酒 でも飲むのかって、俺はそういう想像はしない。だって格好 悪いやろ。中西 さんみたいな格好 ええ男には似合わんわ。
それとも、それさえ格好 ええんやろか、大人の男ってやつは。
とにかく、中西 さんは格好 ええ男。そう信じておくのが、俺が今までの人生で出会った、一番怖い男に対する、俺なりの敬意 の表 しかたやった。
画家になろうかなあって、俺は決めた。中西 さんおすすめの、なぁんとなくのノリで。
晩夏 の神戸やった。そやから画家としての本間 暁彦 の出発点は、神戸ということになる。
俺はめいいっぱいの若造 で、自分には希望に満ちた未来があるんやと信じきっていた。
予言 なんて、占 いみたなもん。そんなもんは迷信 で、当たる訳がないと、思っていたんや。
しかしそれが本当か。
神など、予言 など、この世には現実にはないか。
俺は自分の身をもって知ることになる。
ほとんどの人間が、それは迷信 と、笑い飛ばして通り過ぎられるものに、自分は殺される。そうやって大勢の幸福のための人柱 となる。
それが自分が生まれついた、血筋 の定 めやということを。
――第13話 おわり――
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