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14-8 トオル

「ほんなら分家の(ぼん)、俺は行くけど、気をつけろよ。お前もちょびっとやけど(りゅう)の血が入っとうからな。案外(あんがい)、ばっさり()れるかもしれへんぞ」  こんこんと、指先で水煙(すいえん)刀身(とうしん)をつつき、信太(しんた)は立ち去る気配(けはい)を見せた。  それに手を引かれ、鳥さんも出ていったけど、ちょっと心配そうに竜太郎(りゅうたろう)を見た。  それでも店の入り口あたりで、信太(しんた)煙草(たばこ)の火を(たの)まれて、それに(おう)じてやってから、やっと待望(たいぼう)一服(いっぷく)をふかした(とら)が、次はキスをと肩を抱くのに(ほだ)されて、何を心配したんか忘れてもうたらしかった。  どこでも気にせずいちゃついてるんや。信太(しんた)(むさぼ)るようなキスしてた。  誰憚(だれはばか)らず舌(から)めてる(とら)と鳥とを、通りすがりに見る客もいたけど、どうせ人でなしと巫覡(ふげき)(たぐい)や。邪魔(じゃま)やなあって見るだけで、ビビったりせえへん。  やがて納得(なっとく)したんか、信太(しんた)は鳥の肩を抱いて戸口から姿を消した。  後には本家(ほんけ)面々(めんめん)と、消えた式神(しきがみ)物欲(ものほ)しそうに(なが)めてる、可哀想(かわいそう)な中一が()るだけや。 「(うらや)ましいんか……」  なんとなく(にが)い声で、アキちゃんが竜太郎(りゅうたろう)()いた。  竜太郎(りゅうたろう)()れて、びくっとしてたわ。 「あんなん変なんやで」  (さと)口調(くちょう)でアキちゃんは言うけど、自分かてやってるやんか。  今朝も中庭のガーデンテラスでキスしたら、逃げんと(ゆる)してくれてたし。人が見てなきゃ、めちゃめちゃやるやん。  まったく、どの口でそれを言うかやで。 「変やないもん。信太(しんた)寛太(かんた)が好きなんや。アキ(にい)かてするやろ、その(へび)と」  竜太郎(りゅうたろう)にまでそう()()まれ、アキちゃんはうぐっていう顔をした。反論(はんろん)できへんな。 「水煙(すいえん)とも、すんの……?」  さすが中一。めっちゃ気まずい話題を()ったで。  剣を(なが)めて、空想する目をした竜太郎(りゅうたろう)に、アキちゃんはあっさり敗北(はいぼく)してた。 「行こか……」  伝票(でんぴょう)とって、アキちゃんはそれに部屋番号とサインを書き込んだ。お会計は部屋付けで。  頭痛いわみたいに眉間(みけん)を押さえるアキちゃんに(うなが)され、俺も席を立った。  水煙(すいえん)はほんまに、竜太郎(りゅうたろう)に自分を運ばせるつもりみたいやった。  中一はちょっと(ほこ)らしげに、抜き身の剣を()げて持ち、(おど)るような()()った足取りで、俺とアキちゃんについてきた。  画材(がざい)が入った荷物のほうは、竜太郎(りゅうたろう)糞生意気(くそなまいき)にも俺に持てとほざいたので、アキちゃんが持ってくれた。(やさ)しいねえ。  黒いナイロン()りのお絵かきバッグを歩きながら(のぞ)いてみて、アキちゃんは、水彩(すいさい)かと言うた。 「()いてない。何年ぶりやろ」 「アキ(にい)のぶんの紙も持ってきたし、いっしょに()いてな」  なんで俺がと、アキちゃんは言わへんかった。  たぶん絵()きたかったんやろ。海の絵()きたい言うてたし。  ちょっと道場(どうじょう)に行くつもりで家を出て、それからずっと出ずっぱりやから、毎日なにかは絵()いてたアキちゃんが、これでもう三日も(ふで)を持ってない。そろそろ禁断(きんだん)症状(しょうじょう)や。  アキちゃんはほんまに絵が好きな子でな、家でも学校でも絵を()いてる。  素描(そびょう)をやるためのクロッキー(ちょう)が家のあっちこっちにあって、ペン立てに(けず)った鉛筆(えんぴつ)がいっぱい立ててある。  それで思いついた時にいろいろ()いてる。そんな画帳(がちょう)があっと言う間に絵でいっぱいになって、アキちゃんはそれを焼き捨てる。  昔は時々、実家に持って帰って、処分してもらってたらしいけど、最近はいろいろあって、実家の敷居(しきい)が高いらしい。大学の焼却炉(しょうきゃくろ)で焼いてるわ。  (その)先生、それ見て泣いてはる。  絵が欲しいんやって。アキちゃんの。  あの人もちょっと妖怪化(ようかいか)してきてんのとちゃうか。  怨霊(おんりょう)やった時のトミ子が、絵欲しいて言うてたやん。  実を言うたら俺もアキちゃんの絵が欲しい。でも()えて強請(ねだ)るまでもなく、一緒(いっしょ)に住んでんねんから、特に(もら)う必要もないかと、ときどき(なが)めて満足してんねん。  しかし外道(げどう)(かぎ)らず、アキちゃんの絵が欲しい(やつ)は多いらしい。  大崎(おおさき)先生かてそうやん。あの人、態度(たいど)でかい(じじい)やけども、結局アキちゃんのファンなんやんか。絵が欲しいんや。  ()いたら全部持ってこい、()うてやるからって、むっちゃ執着(しゅうちゃく)してるもん。  (その)先生もアキちゃんのファンやねん。それで絵が欲しい。  よもや藤堂(とうどう)さんまで絵を強請(ねだ)るとは。どないなっとんねん、あのおっさんの神経は。()ずかしないんか。自分が負けた恋敵(こいがたき)若造(わかぞう)に絵なんか強請(ねだ)って。ほんまにもう。  他にもアキちゃんの絵のファンは一杯(いっぱい)おるわ。  勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)もある意味そうやろ。  あいつはアキちゃんの絵を見て()れたて言うてたし。当のそいつを()いたとおぼしき犬の絵も、祇園(ぎおん)の夜の(ちょう)だかなんかが、有り金はたいて必死で買っていったって、画商(がしょう)西森(にしもり)が言うてたやんか。  それが今度は鳥さんまでもが、絵描いてくれってご依頼(いらい)なんやし。(いそが)しいなあ、アキちゃんも。  デビュー前からファンだらけ。絵描きとしては、きっと安泰(あんたい)やのにな。  それが死の予言(よげん)やなんて。到底(とうてい)受け入れがたい。  俺はアキちゃんを無事(ぶじ)に大学卒業させて、ちゃんと絵描きにしてやりたい。  きっと楽しい人生なんやで。  だって毎日好きな絵を描いて、生きていけるんやから。

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