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14-9 トオル

 水煙(すいえん)は、こいつは秋津(あきつ)跡取(あとと)りと、アキちゃんを(げき)として育てるつもりでおるんやろけど、俺は正直、それはもうどうでもええわ。  アキちゃんが幸せやったら、それでいい。別にただの絵描きでええねん。きっと、それ一本で身の立つような男やろ。  そういう気がする。イルカの絵描く言うて、輪くぐりしてる海のほ乳類のショーを見る石段で、ぼけっと海の絵描いてるアキちゃんを(なが)めると、むちゃくちゃ幸せそうやもん。  それに(くら)べて竜太郎(りゅうたろう)と来たら、びっくりするくらい絵が下手(へた)や。ほんまに血が繋がってんのか、この二人は。  信じられへん。見せたいわ、(みんな)にも、竜太郎(りゅうたろう)()いたイルカの絵。  わざわざ現物(げんぶつ)見ながら()く意味あるんか。意味のわからん絵やった。  これイルカ? どれがイルカ? 魚? アシカ? オットセイ?  お前ほんまに見て()いたんか。アキちゃんが寝ながら描いた絵のほうが数段(すうだん)上手(うま)い。小学生かてもっと上手(じょうず)やで。 「アキ(にい)……ぜんぜん()かれへんのやけど」  ぐったりと画板(がばん)項垂(うなだ)れて、竜太郎(りゅうたろう)はギブアップした。  それがええわ。もうやめとけ。白紙(はくし)で出したほうが点数もらえる絵やわ。 「なに言うてんねん。ちゃんと()け。宿題(しゅくだい)なんやろ」  スタジアムみたいに段々(だんだん)と高くなっていく、すり鉢状(ばちじょう)の石段の席の、一番上に座ってるアキちゃんは、イルカやのうて横の海を見ていた。  俺はその(となり)で、アキちゃんが描いている海を見ていた。  水彩画(すいさいが)描いてるのを見たのは初めてやったけど、上手(うま)いわあ。魔法みたい。  下書き無しで、アキちゃんはさらさら描いてた。  まさに午後の神戸の海の色やった。青また青のグラデーション。きらきら光る波。水平線の雲。ゆっくりと()く船と海鳥(うみどり)。  それは目の前にある海やったけど、(たん)にそれを描いたわけやない。そこにはないものも絵の中にあった。  たぶんアキちゃんは、自分の中にあるイメージを絵にしてるんやろ。  海を描いてる。でも、自分の中から出てくるもんを描いてるんや。 「アキちゃん。中一ちょっと助けてやったら。ほんまひどいで。いっぺん見てみ。ほんまひどい。(わろ)うてまうくらい(すご)い」  自分の絵に夢中(むちゅう)になってて、竜太郎(りゅうたろう)面倒(めんどう)みてへんアキちゃんに、俺は忠告(ちゅうこく)しておいた。 「うんうん。絵なんか教えられへん。適当(てきとう)に描けばええねん」  (うわ)(そら)みたいに、アキちゃんは答えた。薄情(はくじょう)やった。  絵描いてる時に、こいつに何言うても無駄(むだ)。聞いてへんし。邪魔(じゃま)やって思われるし。 「なあ。何しに来たんか分からんようなるで。絶対に完成せえへん。竜太郎(りゅうたろう)のあの絵は。今描いてるその絵をくれてやるつもりでないんなら、ちょっとくらいアドバイスしたほうがいい」 「お前が行け」  筆を洗いながら、アキちゃんはきっぱりとそう命じてきた。  でももう俺は聞かへんで。お前の(しき)やないからな。命令に服従(ふくじゅう)する理由がない。  呪縛(じゅばく)されてんのやないで。俺はフリーやねん。自由な(とおる)ちゃんなんやで。  せやのになんで俺は、大人しく石段降りて竜太郎(りゅうたろう)のほうへ行くんやろ。  (あやつ)られてるんやない。そうやないけど、他にすることもないしな。  アキちゃん(えら)そうやねん。()(まま)やしな。やれ言われたら、やらなあかんかなみたいな気になるねん。  同じやないか? 式神(しきがみ)やってたときと、何か違うか?  めちゃめちゃパシらされてるやん。 「竜太郎(りゅうたろう)。お前ちょっと絵が下手(へた)すぎへんか」  後ろに立った俺に、竜太郎(りゅうたろう)はびくっと起きた。その横に、水煙(すいえん)が横たえられていた。 「見んといて!」  体で絵を(かく)す気の毒な中一に、俺は(あわ)れむ目を細めた。 「見たないわ、そんな下手(へた)くそな絵。でも見えてもうたんや、俺は目がええねん。あんまり下手(へた)()いてもうて(はな)出そうなったわ」 「うるさい。言わんといて!」  泣きそうなって、中一はめそめそ言うてた。 「(あきら)めろ、もう。人にはできることと、できへんことがある。お前は未来予知とかデイ・トレードはできても、イルカの絵は描けへん男や。先生にそう言え。俺に絵描く宿題出すなんてお前はアホかって」 「そんなん言えるわけないやないか」  そうやろか。俺なら言うけどな。  中学行ったことないねんけど。もちろん高校もないし、小学校かてないで。  学校なんか(かよ)ったことない。どんなとこなん、ほんまの話。 「イルカの絵でないとあかんのか。ちょっと貸してみ」  画板(がばん)(うば)って、俺は竜太郎(りゅうたろう)に、プールで()ねてるイルカの絵を描いてやった。  鉛筆(えんぴつ)素描(そびょう)やけども、俺も絵が描けるんや。トミ子由来(ゆらい)画才(がさい)があるねん。 「う……上手(うま)い……」  敗北。そんな気配で、竜太郎(りゅうたろう)は俺が返した画用紙を見てた。 「それに適当(てきとう)色塗(いろぬ)って先生にくれてやれ」 「でも、バレへんかな。急に絵が上手(うま)くなったらバレるよね」 「バレへんバレへん。バレたらチューのひとつもしてやれ。お前は顔可愛(かわい)いから、それで何とかなるかもしれへん。それでダメなら()いでやれ。一発やらせりゃ文句あらへん」  えっ、て竜太郎(りゅうたろう)は言うてた。  なんや、そんなことも知らんのか。まだまだ青いなあ。  使え、ここぞというところで、神が与えたその可愛(かわい)い顔を。  そうやって生きていくもんや、人の世は。  勉強なったやろ、今日は。(とおる)ちゃんの話、聞けて(うれ)しいやろ。

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