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14-18 トオル

 そして俺らが気づいたのを知ると、人魚(にんぎょ)が爆笑したようやった。  それでも声が聞こえるわけやない。そんなふうに見えただけ。  でも水煙(すいえん)には聞こえたらしい。海の女がげらげら笑い、指さして何か話すのが。  それに水煙(すいえん)は白い顔になり、俺に抱きついて大水槽(だいすいそう)から顔を(そむ)けた。 「早う行こう、(とおる)」 「なになに、なんて言われたん」  (いや)な予感がして、俺は電気を消しながら、水煙(すいえん)を問いつめた。  水煙(すいえん)は分からんととぼけていたが、俺は怖いもん見たさで聞き出した。 「痴話喧嘩(ちわげんか)かって……お前と俺と、どっちが上か()かれたわ」 「な……なにぃっ!? 気色(きしょく)悪い。さぶいぼ出るわ! 自慢(じまん)やないが俺は誰かの上に乗ったことはない。童貞(バージン)なんやぞ。なんちゅう海女(あま)や。俺をそんな男と思わんでほしいわ!」  まあそんな感じで、チーム童貞(バージン)の危険な密談(みつだん)は終了した。  えっ。水煙(すいえん)か。水煙(すいえん)もそうやって。だってそんな匂いがするもん。  俺には分かるんやって。アキちゃんとは、きっとまだしてへん。ほんまにキスしただけ。  ずっとそのまんまでいてほしいわ。水煙(すいえん)様にはお気の毒やけど、それだけはどうしても、俺も我慢(がまん)がしづらいからな。アキちゃん、いくら外道(げどう)にモテモテの色男(いろおとこ)でも、その一線は守っといてほしい。  ほんでその肝心(かんじん)のうちの色男(いろおとこ)やけど、コーヒー買って戻ってみたら、なんとまだ絵を描いていた。  二枚目描いてる。足らんかったらしい、一枚では。  よっぽど()まってたんやな、禁断症状(きんだんしょうじょう)。 「どしたんや、水煙(すいえん)。また水で戻されたんか」  俺に抱きかかえられて戻ってきた青い姿を見て、アキちゃんはやっと(おどろ)いた。  水煙(すいえん)はなんとも言えへん苦笑(にがわら)いをしたけども、(なん)にも答えへんかった。  ()ずかしいらしい。()(ぱだか)が恥ずかしいわけない、こいつはいつでも(はだか)なんやしな。  きっとあれやで、俺のこと愛してるかジュニアとか、そういう線やで。ほんまにもう殺さなあかん。 「俺が水槽(すいそう)に落としてもうたんや」  夏の()で、水煙(すいえん)はもうほとんど(かわ)いてたけど、それでも人の姿をしてた。なんでやろ。もしかして、海水やったから?  余計(よけい)なことを知ってしまった。たぶん気づいたやろう。水煙(すいえん)本人も。  アキちゃんはコーヒー飲みつつ、左右に俺と水煙(すいえん)と、それから一段下の向かいの席に中一を(はべ)らせて、ぼけっとのんきにイルカを(なが)めた。 「何をやってたんや、お前ら。喧嘩(けんか)してたんとちゃうやろな。仲良くしてくれへんと(こま)るんやで、俺は」  そのご指導に、俺は笑った。水煙(すいえん)も笑っていた。竜太郎(りゅうたろう)さえ笑った。アホやと思ったんやろう。  ほんまにアホや、うちのツレは。のんきやし、絵描いてたらお幸せ。  俺らが修羅場(しゅらば)(おちい)っているときに、アキちゃんは海の絵と、それからイルカの絵を仕上げてた。  どう見ても、平和そのものの水彩画(すいさいが)で、今、アキちゃんの心が割と(おだ)やからしいことが見てとれた。  ずっとそのままやといい。アキちゃんがずっと、平和で幸せそうな絵を描いてられるとええなあ。俺はそう思うんやけど、それが上手(うま)くいくかどうかは、海道(かいどう)竜太郎(りゅうたろう)しだいやった。  中一はじっと、アキちゃんが描いた二枚の絵を見て、それをくれと強請(ねだ)っていた。  アキちゃんは、まさかそれを宿題として出すつもりやないやろなと、渋々(しぶしぶ)くれてやってたが。(にぶ)い男や、相変(あいか)わらず。  竜太郎(りゅうたろう)(たん)に絵が欲しかったんやろう。アキちゃんが描いた絵を。  そこに現れている、アキちゃんの心や人柄(ひとがら)を。ちょっとでもそれに()()うための(よすが)として。  もらった海の絵を、(うれ)しそうに抱いているちびっ子を、俺は(とが)めはせえへんかった。  殺さなあかんとも、もう思わへん。  俺のツレを、お前の小さな胸で、めいいっぱい愛してやってくれ。そして助けてやってくれ。今はもうそれに、()けるしかない。  そして、できれば、お前も死なんといてくれ。竜太郎(りゅうたろう)。  死ぬなと(いの)った俺はたぶん、もはや悪魔(サタン)ではない、自分でも何なのか分からん何かやった。  神でもなく、鬼でもない。愛したり憎んだりする。そういうのをたぶん人はこう言う。  人間らしいと。  俺はアキちゃんを外道(げどう)()とし、アキちゃんは俺を救い上げて、人間にしてくれた。  それは不思議な入れ()(げき)やった。強いて言うなら愛の魔法(まほう)か。  何百年、何千年を()て、俺はやっと理解した。  昔からずっと俺が、好きで好きでたまらんかった人間様とは、一体どういう生き物なのかを。  そして俺は、それが愛しい。俺の愛するアキちゃんが愛してる、(はかな)く無力な普通の人の世が。  守ってやりたい、俺のツレが、命がけで守るというこの都を、俺も命をかけて守りたい。  神とは何かと人に問えば、一説(いっせつ)には守護(しゅご)する者である。  また一説には、愛する者である。  それに()らせば、俺はこの夏、間違いなく神やった。  グッジョブ、水地(みずち)(とおる)。俺はとうとう神になってた。  文句なしの神の領域(りょういき)到達(とうたつ)し、そしてほんまもんのアキちゃんの守護神(しゅごしん)になれたんや。バンザイ!  運命の日の始まりまで、あと五日。  未来を()る者たちによって、その日は特定(とくてい)されようとしていた。  そして俺たちは一足先に見ることになる。死の舞踏(ダンスマカブル)前座(ぜんざ)を。 ――第14話 おわり――

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