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15-2 アキヒコ
イルカの絵を描くという竜太郎 に付き合って、肝心 の水族館 のほうは、ほとんど見ないで入ってた。
絵も描けたし、帰る前に一目くらいは、大水槽 を拝 んで行こうかということで、入り口すぐにあるその広間 に立ち寄った。
竜太郎 と亨 と、水煙 は俺が抱いてやってた。
なんでか剣に戻らへんねん。海水に浸 かったせいやろうと、水煙 は話してた。
水気 が乾 いても、海の潮気 があるせいで、戻らへんでも保 つらしい。
戻ろうと思えば戻れるけども、っていう話やったけど、なんとなく、ほな戻ればっていう雰囲気 やなかった。水煙 はなんとなく、人型 のままでいたいようやった。
それを押し切ってまで、剣に戻れという理由もなかった。
ほんま言うたら、そのほうが、まだしも運びやすい訳やけど、鞘 無いし、人型 のほうが危なくない。
抱いても別に重いわけやない。亨 といっしょで、水煙 は重かったり、軽かったりするし、この時も軽かった。首に抱きつかれ、横抱きにした体を支 えはするけど、重いって気はしなかった。
むしろ別の危なさがある。
なんかな、気持ちええのや、抱っこしてると。ひんやりしてて、むにゅっとしてて。
しかも水煙 はうっとり気持ちよさそうに俺の肩にしなだれかかり、亨 はむちゃくちゃご機嫌 斜 めやった。
「車椅子 借 りてきたろか、アキちゃん」
画材入れを肩にからげて持ってやりながら、亨 は何となく疲れた様子の竜太郎 を気遣 ってやってるみたいやった。
珍 しくも気が利 く。お前にもとうとう年少者 を気遣 うという、人並 みの心が湧 いてきたんか。
なんでやろ。イルカに心を癒 やされたせいか。
「もうええよ。駐車場 まで行くだけやから。また返しに戻ってくるほうが手間 やで」
「変やで。他の人には見えへんのやから、何抱いてんのって感じなんやで」
そうやなあ。ほぼパントマイム。
実際、この人なにを抱えてんのやろという目でじろじろ見られてて、かなりつらい。
それでも水煙 に、降りてくれへんかと言うのがつらい。
空 っぽの車椅子 を押しているほうが、まだしもマトモや。確かに亨 の言うとおりなんやけどな。
なんかこう。抱いといて、みたいなテレパシーを感じるんや。水煙 からな。無視 できひん放射量 で。
しかしそれに答え続けるのはまずい。危ない世界になってくる。
車椅子 ってどこで売ってんのやろって、俺はぼんやり考えていた。
うちの備品 として、そういうのも今後必要になってくるんやないか。水煙 が、剣より人型 のほうがええわっていう気でいるんやったらな。
何でも買います、水槽 でも車椅子 でも。それでお前がちょっとでも気分良くしてられるんやったらな。
「なんで、人によって見えたり見えへんかったりするんやろ?」
俺が抱いてる水煙 を見上げて、竜太郎 が夏休みらしい、なぜ・なに感 で訊 いてきた。それは自由研究の課題 として不適切 やけど、俺も気になる。
水煙 を見ることができるのは、多少なりと霊能力 のある奴だけや。式神 たちには普通に見えるらしい。俺や、蔦子 さんや、竜太郎 にも当然見える。
神楽 さんにも見えていた。ホテルのフロントの綺麗 なお姉さんにも。
せやけど大水槽 のある部屋を行 き交 う、残りの夏休みを楽しむ子供とおかんの二人連れとかには見えず、俺はその人たちに、変なお兄さんやから見たらあきませんみたいな態度 をとられる。
「神には位階 があるんや」
水煙 は俺に抱きついたまま、うっとりぼんやりと話した。
「言うても分からんやろけどな。死んだら普通の人間には見えんようになるやろ。霊が見える奴 もおるけど、それは特殊 や。生きてる人間と、死んで魂 だけになった人間とは、隣 り合った別の層 に居 るんや。目のええ奴が、遠くまで見えるみたいに、隣 り合った別の層 が見える目のやつも居 る。言うなれば俺は、その隣 の層 に居 るわけや」
「レイヤーみたいなもん?」
俺は、ものすごく分かりやすい例 として、その話を出したつもりやったけど、竜太郎 からも亨 からも、水煙 からも、何言うてんの分からへんみたいな眉間 に皺 寄せた顔をして、なにそれレイヤーって、と言われてもうた。
わからんか。そうか。
パソコンで画像ソフト使うときにある概念 で、透明 なフィルムを何枚も重ねたような状態で絵を描いていき、後で消すかもしれへん部分は別のフィルムに分けておく。
服の色を赤にするか、青にするか、決めてへんときに、あるフィルムには赤で描き、別のやつに青で描く。それをとっかえひっかえして悩むわけやけど、そのフィルムのようなもんのことをレイヤーっていうねん。レイヤーケーキのレイヤーや。
何やそれか。説明するだけうるさいですか。もう言いません。
どうせ誰も聞いてへんかった。ふうん、て亨 が遠い目をしてた。聞いてへんときの生返事 やねん。
ほんまお前は聞きたい話しか聞いてへんな。全然興味 ないんか。無いんやろな。無いって顔してるもんな。
これが勝呂 やったら、この辺 の話はなんの解説も要 らずツー・カーなんやけどな。
それがあいつの楽 なところやねん。レイヤーみたいなもんか。ああなるほど、で話が済むんや。
俺のそんな内心 のぼやきまで聞こえてんのか、水煙 はうっふっふと咎 めるように皮肉 に笑った。
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