167 / 928

15-5 アキヒコ

「ずっと()ったで。最初からずっと()た。なんで気がつかへんの」  不思議(ふしぎ)そうに言われ、俺はこっちを見てる竜太郎(りゅうたろう)の顔と向き合った。  こいつも全然、(おどろ)気配(けはい)がないねん。 「見えてんのか、お前にも」 「見えてるよ。でも別に、今(はじ)めて見たわけやないもん。さっきコーヒー買いに行くときに見たんや」  今さら(おどろ)かへんわと、そんな口調で竜太郎(りゅうたろう)は話していた。  しばらく泳ぎ回っていた人魚(にんぎょ)は、俺が見たのに気づいたか、くるくる遊ぶイルカみたいな泳ぎ方をして、近くに集まってきた。  全部で五匹いた。五人ていうんか。  人魚(にんぎょ)水煙(すいえん)に似た、白目(しろめ)のない宝玉(ほうぎょく)のような目をして、七色(なないろ)()らめくその目で笑うような表情をした。  指さすような仕草(しぐさ)をするが、それは内側から大水槽(だいすいそう)のガラスをつついているだけかもしれへん。それとも俺を指さして笑ってんのか。  美しいけど、意地悪(イケズ)そうな女どもやった。  けらけら笑って、何か話しているけども、声は全然聞こえへん。  水煙(すいえん)だけが何か聞こえたふうな顔をして、にやりと苦い笑みやった。  その(くちびる)がなにか答えてやっているのを、俺は間近(まぢか)に見下ろした。  人魚(にんぎょ)と話す水煙(すいえん)の声は、俺には全く聞こえへんかった。  (くちびる)を読もうとしても、どうも日本語ではない。人間の言葉とは違うんかもしれへん。だって人魚(にんぎょ)って何語で話すんや。 「なんて言ってんのや」  (とおる)も聞こえへんようで、水煙(すいえん)にそう(たず)ねた。 「まあ、いろいろや……(ちち)のある(やつ)らは無駄口(むだぐち)が多い」  苦笑(くしょう)のままの顔で愚痴(ぐち)って、水煙(すいえん)は抱きついたままの間近(まぢか)から俺の顔を見た。 「ジュニアに話があるらしい。水槽(すいそう)に耳当ててみ。(やつ)らの声は海水の中しか届かへん。空気中ではお前には聞こえへんのやろ。ガラスあるけど、まさか割るわけにはいかへんし、耳押し当てれば、なんとか聞こえるやろ」  聞いても意味わかんのかな。  そうは思うけど、水煙(すいえん)の言うことやしと、俺は素直(すなお)(とおる)(となり)にもたれにいって、分厚(ぶあつ)いガラスに耳を押し当てた。  ひやりと冷たい水面に()れたような感触(かんしょく)がして、俺の耳に何かが聞こえた。  イルカの声みたい。きゅうきゅう鳴くような甲高(かんだか)い音が、いくつも(から)み合って聞こえた。  もちろん意味は分からへん。イルカの話がわかる奴なんか()らんやろ。  それでも俺は目を閉じて、(ため)しにその声に聞き入ってみた。  人魚(にんぎょ)のひとりが、すいっと泳いでやってきて、俺が耳を押し当てたあたりのガラスにとりつき、五十センチはあるかという分厚(ぶあつ)い向こう側に、薄青く見える(くちびる)を押し当てるのが分かった。  何も見てないはずやねんけど。白い歯と舌が、ひそひそ何かを話すのが見える気がする。  耳打(みみう)ちをする切れ切れの女の声で、混線(こんせん)した電話か、いまいち(きょく)が合ってないラジオみたいなノイズまじりの話が聞こえた。  (さが)していると、人魚(にんぎょ)は教えた。  (さが)している。東海(トムヘ)の海の王。古い(りゅう)が。(ぎょく)(さが)している。  いいこと教えてあげましょう。お前は可愛(かわい)いから。  東海(トムヘ)の王に会ったら、(ぎょく)(さが)しているのだろうと答えなさい。謎々(なぞなぞ)の答えはそれよ。  お役に立ったら何くれる。(みな)(やさ)しい口付けを。ひとりにひとつずつ。(とろ)ける心地(ここち)になるまでよ。  そこまで聞いて、目を開いて見ると、歌うように話していた人魚(にんぎょ)は、ガラスの向こうでふと沈黙(ちんもく)して、ゆったりと笑い、白い舌で舌なめずりをした。  その舌に見覚えがあった。そっくりやねん。水煙(すいえん)のと。  俺はついつい、抱いたままでいた水煙(すいえん)(くちびる)を見た。 「えらいことやなあ、ジュニア。海のモンと取引したらあかんで。海に引っ張り込まれるわ。やつらはなんでか、(おか)の男が好きでなあ……」  同じ白い歯と白い舌で言う水煙(すいえん)は、俺の耳にひそひそと耳打ちする声で話してた。  ()れる息がくすぐったいような声やねん。何か、(たま)らん感じと、俺には思えて、(あわ)てて水煙(すいえん)を引き離した。 「何て言うてたか、アキちゃん、わかったか?」  自分も耳を当ててみてたらしい(とおる)が、なんもわからんかったわという顔をして、俺を見上げた。 「東海(トムヘ)の海の王が(ぎょく)(さが)してて、それが謎々(なぞなぞ)の答えやと言うてた」 「意味わからんな……東海(トムヘ)ってなに?」  耳慣れないその単語を、(とおる)は顔をしかめて()り返したが、俺も知らんかった。  竜太郎(りゅうたろう)はまだガラスに耳を当てていた。こいつにも何か聞こえるのかもしれへん。俺の親戚(しんせき)やしな。 「東海(トムヘ)は、日本海のことやで」  物知り水煙(すいえん)が教えてくれた。 「昔はそういう名前やった。今もそうとも言える。こっち側から見たら日本海。あっち側から見たら東海(トムヘ)。人間は海に名前をつけるけど、岸辺(きしべ)にはいろんな国があるからな。海には(いく)つも名前があるんや」 「どれがほんまの名前なん?」  竜太郎(りゅうたろう)真面目(まじめ)に聞いたが、水煙(すいえん)可笑(おか)しそうに笑った。 「海に名前があるかいな。人の世界やないんやで」

ともだちにシェアしよう!