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15-8 アキヒコ
それでも敢 えて出てみたら、それが神楽 さんやった。
『本間 さん。今どちらですか』
切羽詰 まったような声で、それでも努 めて冷静ですという気配 を漂 わせ、神楽 神父はいきなり訊 いた。いつも通りの標準語やった。
「須磨 です。親戚 の子を水族館に連れてきて、その帰りです」
『来ていただけないでしょうか。六甲 の、教会へ。剣はお持ちでしょうか』
鞘 を返すということかと、俺はぼけっと考えた。
そんなん、もう、後でええねんけどな。
水煙 も、割と機嫌 良く後部座席に納 まっている。竜太郎 となにか話してる。いかにも子守りという付き合い顔やけど、それでも不愉快 そうではない。
急いで剣に戻して、鞘 に収 めようかという感じでもない。
「鞘 なら、神楽 さん、次にお会いした時でいいですよ。お忙 しいやろから」
冷やかすつもりやなかったんやけど、そういう含 みが自分の声にあるのを聞いて、俺は少々参 った。
この世界観 、相当 板 についてきてる。世間的 に見て、全然普通でない男同士の恋愛に、なんの拒絶反応 もないんやけど、それでええんか俺は。
『忙 しいです。実は今、教会の納骨堂 に居 りまして。そこに悪魔 が現れるのですが、全く勝ち目がありません』
真面目 に言うてる神楽 さんの声に、俺は自嘲的 ににやにやしたまま思考停止 した。
えっ。それ。ピンチ?
『どうも無理なようです。治癒 能力は消えませんでしたが、悪魔祓い としての力は、もう全く無いようです。私が聖句 を唱 えても、悪魔 は全く畏 れる気配 もありません』
それで。どうなったんですか?
『聖水 で、結界 は張 りましたが、時間の問題かと思います。それで、どうしようかなと思いまして、ふと思いついたのが、本間 さんしかいなかったので』
「なんで、俺の番号知ってはるんです?」
『訊 いたんです。ホテルに電話して。卓 さん……ではなく、中西 支配人 に』
卓 さんでええから。もはや今さらやないか。往生際 悪い。
教会行って我 に返 ったんか。ほんで、そこで大ピンチか。なにをやってんのや神楽 さん。
『あのう。大変申し訳ないのですが、もしできましたら、増援 に来ていただけないでしょうか』
「誰か……他にいます?」
つまり増援 ということやで。他にも居 るんですよね、悪魔祓い の人。
『いません』
いないらしい。
「ほな、もし、俺が行かへんかったら、どうなるんです? 神楽 さん」
『死にそうです』
すごくまじめに神楽 さんは答えてくれた。
なんかもう。なんやろこの人って思った。
ギャー、とか、何かないの。助けてえ、みたいな。もっとピンチであることが克明 に伝わってくるような何か。
俺が焦 って今すぐアクセル踏 み込 むような何かがあるべきやんか。
「行くの?」
亨 が助手席から訊 いてきた。
行くんやろうなあみたいな、だるそうな言い方やった。
なんやねん、そのジトっとした目は。行くに決まってるんやんか、それが人の道やろ。
「六甲 教会」
カーナビを指さして、俺は亨 に操作 するように言った。
それはついつい癖 で命令口調やったかもしれへん。それを聞く義理 は亨 にはもうない。それでも何も言わんと、言うこと聞いといてくれた。
すまん。今度からちゃんと、お願いしますって言うから。
目的地まで、約、二十分ですと、カーナビが俺に教えた。
「神楽 さん、十五分で行くから……」
頑張 ってくださいねって、言おうかと思ったら、電話が切れていた。
つうつう言うてる通話終了の音に、俺は一瞬ぼやっとして、それからゆっくりとアクセルを踏 み込んだ。
しゃあないな。制限速度は目安 や。虎 がそう言うてた。
それって。神戸ルール。きっと違うんや、京都と神戸やと、道路交通法が。
俺は京都で免許 とったし。神戸では、違うんやろう。
「どこ行くの……アキ兄 」
急に速度をあげた車に、びっくりしたらしい竜太郎 が、シートから体を起こして訊 いた。
「六甲 や。悪いけど、つき合 うてくれ。飛ばすから、口閉じとけよ」
急ブレーキで、舌噛 むかもしれへんから。
俺はそのつもりで忠告 したんやけど、そんな必要なかったわ。
信号が、一回も赤にならへんかった。邪魔 やな避 けろと思った車は全部、道を譲 った。まさに飛ぶようなスピードで、車は疾走 していた。
途中 で見かけたスピード違反狙 いのお巡 りさんも、ちょっとすいません見逃してと俺が心で頼 むと、その気持ちを分かってくれた。
ようやった。俺も理力 の使い方がちょっと分かってきた。
今こそ借 りを返さななあかん。ロレンツォ・遥 ・神楽 ・スフォルツァに。
俺を免停 から救ってくれた男。その結果として、自分を救った男。
もしも俺が免停 食らってたら、絶対にこの時、助けに駆 けつけられへんかったんやからな。
まったく、情 けは人のためならずや。なんでも自分に返ってくるで。
おかんの言うてた通りやわ。昔の人はいいこと言うてる。
車は六甲 の坂 を駆 け上がり、タイヤを軋 ませて、白い教会の建つ敷地 の駐車場に滑 り込んだ。
俺って運転上手 いなと、その時ちょっと驚 いた。
こんな無茶苦茶 な走り方、やればできるもんなんや。
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