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15-9 アキヒコ
めちゃくちゃ走る人々の、気持ちが全然分からへん。スピード出して何になるねんて、免許をとった直後から、ずっとそう思ってきたけど、なんで無意味にアクセル踏 み込む奴 がおるんか、今ちょっと分かった気がする。
けっこう気持ちええやん。
「降りろ、亨 」
竜太郎 どうしようと悩 みながら、俺は運転席を出て、後部座席の水煙 の、シートベルトを外 しにかかってた。
「いや、無理。絶対ありえへんから」
亨 がシート越しに後部 を振 り返ってきて、怒鳴 るようにそう答えた。
命令口調が嫌 なんか。こんな時にそんな細かいこと言わんといてくれって、俺は焦 った。
「お願いします!」
「お願いされても無理やから。教会やでここ。絶対行かへん。これはトラウマやから。行かへんで俺は!!」
亨 はシートに齧 り付いていた。俺はぽかんとそれを見た。
「な……なんで?」
「俺は蛇 やで、アキちゃん。教会やら神父やらには悲しい思い出がたっぷり詰 まってる。論外 論外 ! 駐車場の時点 ですでに論外 やから!」
別に全然平気そうやのに、亨 は必死でそんなことを言うてた。
平気そうやで、お前。めちゃめちゃ顔色ええやんか。
行ってみたら行けるって。食わず嫌いみたいなもんやで。
俺は悪魔 やない、蛇神 やから、ちょっと通りますよみたいなノリでバーンと行ったらええやん。なんであかんの。
せやけど亨 を引き剥 がして連れて行く間 も惜 しいぐらいやないかと思えて、俺は諦 めた。
「水煙 、剣に戻れ」
俺の命じる言葉を聞いて、水煙 は一瞬で剣に戻ってた。
空気の抜けた人形が、しゅるっと引き戻されるような、目にも止まらぬ一瞬があって、きらきら輝く白刃 を持つサーベルが、俺の手に収 まっていた。
その柄 を握 りしめ、俺は車のドアを閉じてロックをかけた。
「アキ兄 、僕は!?」
窓に張り付いて、竜太郎 が焦 って訊 いたが、それを振り返る間 もなく、俺は教会の扉 を目指して坂 を駆 け上がっていた。
亨 がおるんや、あいつに任 せとこ。
駆 け込 んだ礼拝堂 の中で、にこやかに現 れたこの前の神父さんに挨拶 をして、俺は納骨堂 はどこかと訊 いた。
神父さんはにこやかに教えてくれた。礼拝堂 の地下にあると。
でも、そこは今ちょっと立ち入り禁止であると、にこやかに言う神父さんには、水煙 が見えてへんかった。
神父や言うても、皆が皆、神楽 さんみたいにはいかへんのやろ。
電話で神楽 さんに呼ばれたんやと言い置いて、ついてくるなと俺は神父さんを止めた。
どうなってるやら分からんのやし。まさかと思うが、すでに神楽 さんが生きてない可能性もある。
その時どうなってまうんやと、一瞬嫌 な予感がしたけど、それでも迷 っている場合でもなかった。
十字架 の飾 りのある木の扉 をあけて、地下へ続く細い螺旋 階段を駆 け足 で降りていき、そこにまたもう一枚あった扉 を開くと、異界 が俺を待っていた。
神楽 さんはそこに入るとき、戸口 に蓋 をしていたらしい。
俺が遠慮 無く開いた扉 のせいで、封 じられていた結界 が破 れ、中にあった暗い空気が、あっというまに漏 れていこうとした。
それはあかんと咄嗟 の気合 いで、俺はそれを引き戻した。
どうやってやったんか、自分でもわからへんけど、漏 れ出ていった暗い紫色 の煙 みたいなもんが、するする巻 き戻 されるように引き戻 されてきて、俺の背後でばたんと扉 が閉じた。
似 たような暗い紫色 の渦 が、ずらりと石のロッカーみたいなもんが並 んでる部屋に充満 していた。
その、コインロッカーみたいな棚 のひとつひとつには、人の骨 が入っているらしい。つまり、ここは墓 なんや。
なんで遺骨 がロッカーに入ってるんやろかと、俺は一時ぽかんとしてた。
なんで墓 の下に入れとかへんのや。そういうもんやないか、墓 って。
キリスト教の人って、死んだら石のロッカーに入ることになんのか。
不思議 や。いろんな世界がある。
「神楽 さん!」
感心 している場合ではない。俺は電話してきた男の名を呼んだ。
返事は返ってけえへんかった。
もう死んでんのかと、背筋 に嫌 な汗 が湧 いた。
落ち着けジュニアと、剣が話しかけてきた。その声を聞き、俺はちょっと平静さを取り戻した。
奥やろ。何か骨 のようなモンが居 る。神楽 遥 も生きている。早う行っておやりと水煙 が語り、俺はそれに頷 いて、暗い障気 がますます暗くたれ込めるほうへと足を進めた。
骨 のようなモンは、確 かにそこにいた。
神楽 さんは、納骨堂 の壁際 の、かすかに光る水の輪 の中に膝 をついていた。怪我 をしてるなと、見た目にも分かった。
今日は最初に見た時と同じ、黒い僧服 を身につけていて、胸には銀の十字架 が、あることはあったけど、白いカラーが真っ二つに裂 け、そこから始まる傷 がずっと腹のほうまで開いてた。
僧服 が黒くなければ、それが血染 めなのが分かったやろ。
でかい爪 で一閃 されたような怪我 やった。
まるで神楽 さんの前に立つ、ちょっと小柄 な骸骨 が、骨 だけになった手を伸 ばしてきて、神楽 さんを捕 まえようとしたような傷 や。
たぶんその通りなんやろう。骸骨 の右手は血に染 まってた。
骸骨 が血を流すはずはない。神楽 さんの血なんや。
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