171 / 928

15-9 アキヒコ

 めちゃくちゃ走る人々の、気持ちが全然分からへん。スピード出して何になるねんて、免許をとった直後から、ずっとそう思ってきたけど、なんで無意味にアクセル踏(ふ)み込む奴(やつ)がおるんか、今ちょっと分かった気がする。  けっこう気持ちええやん。 「降りろ、亨(とおる)」  竜太郎(りゅうたろう)どうしようと悩(なや)みながら、俺は運転席を出て、後部座席の水煙(すいえん)の、シートベルトを外(はず)しにかかってた。 「いや、無理。絶対ありえへんから」  亨(とおる)がシート越しに後部(こうぶ)を振(ふ)り返ってきて、怒鳴(どな)るようにそう答えた。  命令口調が嫌(いや)なんか。こんな時にそんな細かいこと言わんといてくれって、俺は焦(あせ)った。 「お願いします!」 「お願いされても無理やから。教会やでここ。絶対行かへん。これはトラウマやから。行かへんで俺は!!」  亨(とおる)はシートに齧(かじ)り付いていた。俺はぽかんとそれを見た。 「な……なんで?」 「俺は蛇(へび)やで、アキちゃん。教会やら神父やらには悲しい思い出がたっぷり詰(つ)まってる。論外(ろんがい)論外(ろんがい)! 駐車場の時点(じてん)ですでに論外(ろんがい)やから!」  別に全然平気そうやのに、亨(とおる)は必死でそんなことを言うてた。  平気そうやで、お前。めちゃめちゃ顔色ええやんか。  行ってみたら行けるって。食わず嫌いみたいなもんやで。  俺は悪魔(サタン)やない、蛇神(へびがみ)やから、ちょっと通りますよみたいなノリでバーンと行ったらええやん。なんであかんの。  せやけど亨(とおる)を引き剥(は)がして連れて行く間(ま)も惜(お)しいぐらいやないかと思えて、俺は諦(あきら)めた。 「水煙(すいえん)、剣に戻れ」  俺の命じる言葉を聞いて、水煙(すいえん)は一瞬で剣に戻ってた。  空気の抜けた人形が、しゅるっと引き戻されるような、目にも止まらぬ一瞬があって、きらきら輝く白刃(はくじん)を持つサーベルが、俺の手に収(おさ)まっていた。  その柄(つか)を握(にぎ)りしめ、俺は車のドアを閉じてロックをかけた。 「アキ兄(にい)、僕は!?」  窓に張り付いて、竜太郎(りゅうたろう)が焦(あせ)って訊(き)いたが、それを振り返る間(ま)もなく、俺は教会の扉(とびら)を目指して坂(さか)を駆(か)け上がっていた。  亨(とおる)がおるんや、あいつに任(まか)せとこ。  駆(か)け込(こ)んだ礼拝堂(れいはいどう)の中で、にこやかに現(あらわ)れたこの前の神父さんに挨拶(あいさつ)をして、俺は納骨堂(のうこつどう)はどこかと訊(き)いた。  神父さんはにこやかに教えてくれた。礼拝堂(れいはいどう)の地下にあると。  でも、そこは今ちょっと立ち入り禁止であると、にこやかに言う神父さんには、水煙(すいえん)が見えてへんかった。  神父や言うても、皆が皆、神楽(かぐら)さんみたいにはいかへんのやろ。  電話で神楽(かぐら)さんに呼ばれたんやと言い置いて、ついてくるなと俺は神父さんを止めた。  どうなってるやら分からんのやし。まさかと思うが、すでに神楽(かぐら)さんが生きてない可能性もある。  その時どうなってまうんやと、一瞬嫌(いや)な予感がしたけど、それでも迷(まよ)っている場合でもなかった。  十字架(じゅうじか)の飾(かざ)りのある木の扉(とびら)をあけて、地下へ続く細い螺旋(らせん)階段を駆(か)け足(あし)で降りていき、そこにまたもう一枚あった扉(とびら)を開くと、異界(いかい)が俺を待っていた。  神楽(かぐら)さんはそこに入るとき、戸口(とぐち)に蓋(ふた)をしていたらしい。  俺が遠慮(えんりょ)無く開いた扉(とびら)のせいで、封(ふう)じられていた結界(けっかい)が破(やぶ)れ、中にあった暗い空気が、あっというまに漏(も)れていこうとした。  それはあかんと咄嗟(とっさ)の気合(きあ)いで、俺はそれを引き戻した。  どうやってやったんか、自分でもわからへんけど、漏(も)れ出ていった暗い紫色(むらさきいろ)の煙(けむり)みたいなもんが、するする巻(ま)き戻(もど)されるように引き戻(もど)されてきて、俺の背後でばたんと扉(とびら)が閉じた。  似(に)たような暗い紫色(むらさきいろ)の渦(うず)が、ずらりと石のロッカーみたいなもんが並(なら)んでる部屋に充満(じゅうまん)していた。  その、コインロッカーみたいな棚(たな)のひとつひとつには、人の骨(ほね)が入っているらしい。つまり、ここは墓(はか)なんや。  なんで遺骨(いこつ)がロッカーに入ってるんやろかと、俺は一時ぽかんとしてた。  なんで墓(はか)の下に入れとかへんのや。そういうもんやないか、墓(はか)って。  キリスト教の人って、死んだら石のロッカーに入ることになんのか。  不思議(ふしぎ)や。いろんな世界がある。 「神楽(かぐら)さん!」  感心(かんしん)している場合ではない。俺は電話してきた男の名を呼んだ。  返事は返ってけえへんかった。  もう死んでんのかと、背筋(せすじ)に嫌(いや)な汗(あせ)が湧(わ)いた。  落ち着けジュニアと、剣が話しかけてきた。その声を聞き、俺はちょっと平静さを取り戻した。  奥やろ。何か骨(ほね)のようなモンが居(お)る。神楽(かぐら)遥(よう)も生きている。早う行っておやりと水煙(すいえん)が語り、俺はそれに頷(うなず)いて、暗い障気(しょうき)がますます暗くたれ込めるほうへと足を進めた。  骨(ほね)のようなモンは、確(たし)かにそこにいた。  神楽(かぐら)さんは、納骨堂(のうこつどう)の壁際(かべぎわ)の、かすかに光る水の輪(わ)の中に膝(ひざ)をついていた。怪我(けが)をしてるなと、見た目にも分かった。  今日は最初に見た時と同じ、黒い僧服(そうふく)を身につけていて、胸には銀の十字架(じゅうじか)が、あることはあったけど、白いカラーが真っ二つに裂(さ)け、そこから始まる傷(きず)がずっと腹のほうまで開いてた。  僧服(そうふく)が黒くなければ、それが血染(ちぞ)めなのが分かったやろ。  でかい爪(つめ)で一閃(いっせん)されたような怪我(けが)やった。  まるで神楽(かぐら)さんの前に立つ、ちょっと小柄(こがら)な骸骨(がいこつ)が、骨(ほね)だけになった手を伸(の)ばしてきて、神楽(かぐら)さんを捕(つか)まえようとしたような傷(きず)や。  たぶんその通りなんやろう。骸骨(がいこつ)の右手は血に染(そ)まってた。  骸骨(がいこつ)が血を流すはずはない。神楽(かぐら)さんの血なんや。

ともだちにシェアしよう!