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15-10 アキヒコ
「神楽 さん」
もう一度呼ぶと、朦朧 としたような表情で、神楽 遥 は俺を見た。
ただもう跪 くだけで、なにか戦ってるようには見えへんかった。
何をしても無駄 やったんか、まるで死ぬのを待ってるみたいや。
「そいつを斬 ればいいんですか」
どっから行こかって、俺は間合 いを考えつつ、水煙 を上段 に構 えた。
場所は狭 い通路で、石のロッカーの合間 みたいなところやからな。壁 までびっしり棚 になってる。
長いサーベルを振 り回すような空間 はない。剣を切り返せへんから、一刀 で頭から、一撃 で決めなあかんかな。
こいつは強い敵なのかと、俺は水煙 に訊 いた。
いいや。大した敵やないと、水煙 は答えた。
お前にとっては、何でもない敵やと。
これはただの、いかれた死者やと、水煙 は俺に教えた。
死んだ人間が、残した想 いによって、化 けて出てるだけ。
一緒に死のうと誘 っているだけのことやから、一刀 浴 びれば霧散 する。
そう強い怨念 やない。苦 い心残 りみたいなもんや。
せやけど鬼 は鬼 やから、斬 り捨てて浄 めてやらな仕方がないと、水煙 は俺にすすめた。迷 わず行けと。
そやから俺は斬 ろうとしたんや。見ず知らずの死者やった。俺にとっては。
勝呂 を斬 るのとは訳 が違う。見た目は骨 やし、どう見ても悪 モンやったしな。迷 いも薄 い。
ただひとつ、気になったのは、これは子供やないかということやった。
背格好 が、小さいし、竜太郎 よりちょっと育ったくらい。
まだ中学生か、高校入りたてくらいの背に見えた。
なんでこんな幼 い奴 が、化 け出てもうたんやろか。可哀想 にと、俺は思った。
神楽 さんもそんな、哀 れむ目をして悪魔 を見てた。
悲しい、済 まない、許 してくれって、そういう顔をして。
しかし手はない。一気に斬 ろかと俺が踏 み込 みかけたとき、骸骨 が口利 いた。
『遥 ちゃん……』
明るいような声やった。
『なあ、どうしたん、遥 ちゃん。なんで黙 っとうのや』
親 しい友達みたいな声で、骸骨 が神楽 さんに話してた。
もしも骨 に肉がついてたら、きっとにこにこ笑ってるやろうみたいな声や。
『帰ってきたんやなあ。なんで俺んとこ、もっと早く来てくれへんかったんや』
切 なく責 めるような口調で言われ、神楽 さんは苦 しいという顔をした。
傷が痛 むみたいやけど、心も痛 い。そんなふうにな。
『なんで行ってもうたん。俺に意気地 がなかったからか。それでイタリア帰ってもうたん?』
切 なそうに、骨 は訊 ねた。
「帰らなあかんかったんや。僕は病気やったんや。悪魔 が憑 いてて、それで変やったんや」
言い訳めいた畳 みかけ方で、神楽 さんは骨 に詫 びてた。詫 びてるような言い方やった。
それには神戸 の訛 りがあって、ちょうど気さくに語る骨 と、親 しく口を利 くにふさわしい、地元 の子供同士みたいやった。
俺には想像がついた。この教会に毎日曜やってくる信者 の家族。上の礼拝堂 に並 ぶ使い込まれた木のベンチで、隣 り合う家の子供同士が親 しく話す。ちょうど今みたいに。
それが片方 、神父になってて、もう片方 は骨 になってる。それだけのこと。
『変ってなにが。遥 ちゃん、どこか変やったか。俺が好きやったこと? 鐘楼 で、キスしたこと? それとも、他のこと?』
けたけたと、骨 が笑った。
もう、斬 ろうか、神楽 さん。俺は聞いたら、まずい話やろ。
骨 と話しても、しょうがないしな。これはもう、鬼 やし、斬 るしかないねん。
待っても今でも、結果的には同じやで。
「悪魔 のせいやねん、ほんまにごめん。好きは好きやったけど、でも、自分の意志 とは違 うたんや。許 してくれ」
神楽 さんにはもう、戦う気合 いはないようやった。平謝 りや。
『手紙も出したやろ……遥 ちゃん。読んでくれへんかったんか。死んでもうたんやで、俺は。地震 で死んだ。それも知らんかったんか。薄情 やなあ、遥 ちゃん。お前が口説 いてきたんやないか?』
首を傾 げて聞く骸骨 に、神楽 さんは目を閉じていた。
とても正視 できへんと、そんな感じの苦痛 の顔をして。
「斬 りますよ、神楽 さん」
声をかけた俺に、神楽 さんは、うんとも、あかんとも返事せえへんかった。
ただ頽 れるように床 にへたりこんでいた。
それの代わりに骸骨 が、くるりと俺を振 り向いた。
『斬 らんといてくれ。遥 ちゃん迎 えに来ただけやねん……』
骨 の顔の、何もない眼窩 は、ただのがらんどうやった。
俺はそれと見つめ合った。
「そうか。可哀想 やけど、お前はもう死んでるんやしな。もう一緒 に行かれへん」
話したらあかんと思ったんやけどな、ほんまに餓鬼 くさい声やったんで、俺はつい答えてやってた。
神楽 さんが神戸 を離れたのは、確か、十歳の頃 やと話してた。
その時こいつは何歳ぐらいやったんやろか。
十歳言うたら、小学生やで。それが悪魔 に取り憑 かれて、口説 いた相手が中学生か、それとも高校なりたてか。
そんな無茶 な話があるんや。
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