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15-11 アキヒコ
それは親が慌 ててイタリア帰るはず。
家具を売ってる場合やないわって、おとんもビビってもうたんやろ。
それでも悲しい話やな。自分は知らん、悪魔 の仕業 やて言われて、ぽいっと捨 てていかれたら。お前は別に正気 やったんやもんな。
敢 えて問 わへん。神楽 さんには。
でも思うんやけどな、神楽 さんが十歳のとき、ほんまに悪魔 はいたんか。
実はそんなもん、おらへんかったんやないか。
強 いて言うならこの人が、小さい悪魔 やっただけのことなんやないか。
それを親や周 りがビビってもうて、これは悪魔 の仕業 やと、小さい遥 ちゃんに教えた。
お前は怪我 や病気を治せるけども、それは神の奇跡 やて。
お前は男を誘惑 するけど、それは悪魔 の仕業 やて。
偉 いローマの坊 さんに、そう教え込まれて、素直 に信じたんやろ、神楽 さん。
そうでないと、生きていかれへんて、あんたもビビってもうたんか。
それでも多分、あんたは元々 、そういう人やねん。ずっと気づいてないふりしてただけで、ほんまはそういう奴 やったんやって。
男が好き。我慢 してたんや。
そうやなかったら、たった一夜 で化 けるはずがない。
ちょっと抱かれて喘 いだくらいで、また元の通りの悪魔憑 きに戻った。そんなん変やろ。
ほんまは元々 、好きやったんやないんか、中西 さんのこと。
いずれにしても結果は同じ。もう戻らへん。過ぎ去った時も、死んでもうた者 も。
『遥 ちゃん連 れて帰らせて』
俺は鬼 に頼 まれた。これ欲しいって、神楽 さんを指 さして。
「お前が連 れて帰ったら、この人も死んでまうんやで」
『なんであかんの。なんであかんの。なんであかんの』
かたかた鳴るような声色 で、骸骨 は繰 り返し俺に訊 いた。
なんであかんのかな。俺にもよう分からんのやけどな。
でもたぶん、俺があかんと言わへんかったら、神楽 さんは連 れて行かれる。
殺すなら殺せって、そんな顔して堪 えてる、青ざめた顔を見てると、そういう予感 がするんや。
この人はたぶん、罪 の意識 があるんやろ。裏切 って逃げた、そんなつもりで心が痛 んで、この骸骨 といっしょに行ってやったら、それで許 されるような気がしてる。
でもそうかなあ。果 たしてそうか。
それなら何で、俺に電話してきたんや。助けてくれって。それは何のためやねん。
いろいろ頭の中で巻 き戻 してみて、俺は考えた。なるべく一瞬で。
頭の中を猛烈 なスピードでいろいろ過 ぎった。
今朝見たホテルの庭にいた神楽 さんの、好きやっていう目。
めろめろみたいな、そんな動転 した顔で中西 さんを見たときの、切 なそうやった息遣 い。
あかんやろそれは。それで逝 ったらあかんと思うで。
だって、あんたは生きてんのやし。こいつは死んでる。
あんたが殺したわけやない。鯰 が殺 った。地震 のせいや。
それは天地 の仕業 やで。誰の罪 でもない。
せやからその罪滅 ぼしに、あんたが死んでも意味がない。
それに俺に電話する前、あんたはまずあっちに電話したんやろ。卓 さんに。
助けてくれって言えばよかった。俺の電話番号なんか、のんきに訊 いとらんと。今すぐ来てくれって泣きつくとこやろ。
なんで俺やねん。それで正解 やったけど、それでも俺のこと、好きでもなんでもないくせに。
この骨 のこと、死ぬほど好きでもないくせに、なんで心中 しよかなんて、そんな適当 なこと思うとんのや、神楽 さん。
逃げたらあかんやないか。そんなの全然、罪滅 ぼしにならへんからな。
「死んでもええんか、この人が」
俺は訊 ねた。骨 は動揺 せんかった。
それでも無理もない。餓鬼 に分かるわけない。
こいつにも罪 はないやろ。ただ好きで、執着 してた。それで化 けて出てもうたんやから。
『かまへん。一緒にいたいんや。遥 ちゃん……一緒に死んで』
骨 は甘く誘 うような呪 いの言葉を吐 きかけた。
神楽 さんはそれに、頷 いたように見えた。
これはもう鬼 になってる。可哀想 やけど、斬 るしかあらへん。
「あかんで、許 さへん。それはな、愛とは違う。ただの怨念 や。恨 むんやったら、俺を恨 め」
それでも好きは好きやったやろ。
俺は振 り上げた剣を握 る手に力を込 めた。
骨 は飛びつく勢 いで、神楽 さんの首を掴 んだ。
それが何をしようとしたのか、結局 わからん。
食らいつこうとしたのか、それとも抱こうとしたのか。
でももう骨 になってもうてる。キスしようにも唇 がない。
それが死んだということなんや。大多数 の普通の人間にとって。
水煙 は一撃 で骨 を霧散 する灰色 の霧 に変えた。
闇 にも輝 く鋭利 な白刃 が、ばっさり肩から神楽 さんの体も一閃 したが、それは一滴 の血も流させへんかった。
神楽 さんはまだ人の身で、水煙 には斬 られへん。それとも許 さんかっただけかもしれへん。水煙 も。
飛 び散 るように振 りまかれた骨 の残骸 を、水煙 は吸い取りはしなかった。
それは晴れ始めた紫色 の濃霧 を割 って、天井にある明かり取りの窓から差し込む午後の陽 に、きらきら光って溶 けるように消え失せた。
食わへんのかと、俺は訊 ねた。
食うたら恨 まれそうやから、やめといたわと、水煙 は答えた。
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