173 / 928

15-11 アキヒコ

 それは親が(あわ)ててイタリア帰るはず。  家具を売ってる場合やないわって、おとんもビビってもうたんやろ。  それでも悲しい話やな。自分は知らん、悪魔(サタン)仕業(しわざ)やて言われて、ぽいっと()てていかれたら。お前は別に正気(しょうき)やったんやもんな。  ()えて()わへん。神楽(かぐら)さんには。  でも思うんやけどな、神楽(かぐら)さんが十歳のとき、ほんまに悪魔(サタン)はいたんか。  実はそんなもん、おらへんかったんやないか。  ()いて言うならこの人が、小さい悪魔(サタン)やっただけのことなんやないか。  それを親や(まわ)りがビビってもうて、これは悪魔(サタン)仕業(しわざ)やと、小さい(よう)ちゃんに教えた。  お前は怪我(けが)や病気を治せるけども、それは神の奇跡(きせき)やて。  お前は男を誘惑(ゆうわく)するけど、それは悪魔(サタン)仕業(しわざ)やて。  (えら)いローマの(ぼう)さんに、そう教え込まれて、素直(すなお)に信じたんやろ、神楽(かぐら)さん。  そうでないと、生きていかれへんて、あんたもビビってもうたんか。  それでも多分、あんたは元々(もともと)、そういう人やねん。ずっと気づいてないふりしてただけで、ほんまはそういう(やつ)やったんやって。  男が好き。我慢(がまん)してたんや。  そうやなかったら、たった一夜(いちや)()けるはずがない。  ちょっと抱かれて(あえ)いだくらいで、また元の通りの悪魔憑(あくまつ)きに戻った。そんなん変やろ。  ほんまは元々(もともと)、好きやったんやないんか、中西(なかにし)さんのこと。  いずれにしても結果は同じ。もう戻らへん。過ぎ去った時も、死んでもうた(もん)も。 『(よう)ちゃん()れて帰らせて』  俺は(おに)(たの)まれた。これ欲しいって、神楽(かぐら)さんを(ゆび)さして。 「お前が()れて帰ったら、この人も死んでまうんやで」 『なんであかんの。なんであかんの。なんであかんの』  かたかた鳴るような声色(こわいろ)で、骸骨(がいこつ)()り返し俺に()いた。  なんであかんのかな。俺にもよう分からんのやけどな。  でもたぶん、俺があかんと言わへんかったら、神楽(かぐら)さんは()れて行かれる。  殺すなら殺せって、そんな顔して(こら)えてる、青ざめた顔を見てると、そういう予感(よかん)がするんや。  この人はたぶん、(つみ)意識(いしき)があるんやろ。裏切(うらぎ)って逃げた、そんなつもりで心が(いた)んで、この骸骨(がいこつ)といっしょに行ってやったら、それで(ゆる)されるような気がしてる。  でもそうかなあ。()たしてそうか。  それなら何で、俺に電話してきたんや。助けてくれって。それは何のためやねん。  いろいろ頭の中で()(もど)してみて、俺は考えた。なるべく一瞬で。  頭の中を猛烈(もうれつ)なスピードでいろいろ()ぎった。  今朝見たホテルの庭にいた神楽(かぐら)さんの、好きやっていう目。  めろめろみたいな、そんな動転(どうてん)した顔で中西(なかにし)さんを見たときの、(せつ)なそうやった息遣(いきづか)い。  あかんやろそれは。それで()ったらあかんと思うで。  だって、あんたは生きてんのやし。こいつは死んでる。  あんたが殺したわけやない。(なまず)()った。地震(じしん)のせいや。  それは天地(あめつち)仕業(しわざ)やで。誰の(つみ)でもない。  せやからその罪滅(つみほろ)ぼしに、あんたが死んでも意味がない。  それに俺に電話する前、あんたはまずあっちに電話したんやろ。(すぐる)さんに。  助けてくれって言えばよかった。俺の電話番号なんか、のんきに()いとらんと。今すぐ来てくれって泣きつくとこやろ。  なんで俺やねん。それで正解(せいかい)やったけど、それでも俺のこと、好きでもなんでもないくせに。  この(ほね)のこと、死ぬほど好きでもないくせに、なんで心中(しんじゅう)しよかなんて、そんな適当(てきとう)なこと思うとんのや、神楽(かぐら)さん。  逃げたらあかんやないか。そんなの全然、罪滅(つみほろ)ぼしにならへんからな。 「死んでもええんか、この人が」  俺は(たず)ねた。(ほね)動揺(どうよう)せんかった。  それでも無理もない。餓鬼(がき)に分かるわけない。  こいつにも(つみ)はないやろ。ただ好きで、執着(しゅうちゃく)してた。それで()けて出てもうたんやから。 『かまへん。一緒にいたいんや。(よう)ちゃん……一緒に死んで』  (ほね)は甘く(さそ)うような(のろ)いの言葉を()きかけた。  神楽(かぐら)さんはそれに、(うなず)いたように見えた。  これはもう(おに)になってる。可哀想(かわいそう)やけど、()るしかあらへん。 「あかんで、(ゆる)さへん。それはな、愛とは違う。ただの怨念(おんねん)や。(うら)むんやったら、俺を(うら)め」  それでも好きは好きやったやろ。  俺は()り上げた剣を(にぎ)る手に力を()めた。  (ほね)は飛びつく(いきお)いで、神楽(かぐら)さんの首を(つか)んだ。  それが何をしようとしたのか、結局(けっきょく)わからん。  食らいつこうとしたのか、それとも抱こうとしたのか。  でももう(ほね)になってもうてる。キスしようにも(くちびる)がない。  それが死んだということなんや。大多数(だいたすう)の普通の人間にとって。  水煙(すいえん)一撃(いちげき)(ほね)霧散(むさん)する灰色(はいいろ)(きり)に変えた。  (やみ)にも(かがや)鋭利(えいり)白刃(はくじん)が、ばっさり肩から神楽(かぐら)さんの体も一閃(いっせん)したが、それは一滴(いってき)の血も流させへんかった。  神楽(かぐら)さんはまだ人の身で、水煙(すいえん)には()られへん。それとも(ゆる)さんかっただけかもしれへん。水煙(すいえん)も。  ()()るように()りまかれた(ほね)残骸(ざんがい)を、水煙(すいえん)は吸い取りはしなかった。  それは晴れ始めた紫色(むらさきいろ)濃霧(のうむ)()って、天井にある明かり取りの窓から差し込む午後の()に、きらきら光って()けるように消え失せた。  食わへんのかと、俺は(たず)ねた。  食うたら(うら)まれそうやから、やめといたわと、水煙(すいえん)は答えた。

ともだちにシェアしよう!