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15-12 アキヒコ
怖い怖い。それにもうどうせ、とっくに死んでるような奴 やから、食うとこないわと言う。骨 だけになってるわ、って。
それはたぶん、水煙 の情 けやろ。
大阪では容赦 なく食うてたで。こいつは優しい神さんではない。腹が減ったら飯 を食う。
鬼でも人でも何でも食らうんやけど、ほんのちょっとの気まぐれで、時々優 しいことがある。
きっと同情 したんやろ。口ごもったまま死ぬしかなかった気の弱い餓鬼 に。もうちょっと大人になるまで生きてたら、違う未来もあったかもしれへんのになあ。
とにかく死んだ。突然 死んでもうたんや。ぐらっと揺 れて、突然 死んだ。
ほんで、それきり人生が終わりやったんや。無念 やったやろ。納得 なんかいくはずないわ。
それが鯰 という神のもたらすものの中で、一番恐 ろしいところやった。
突然の終末 。大勢 が一時に死ぬ。
悪意のない自然のなせるわざやけど、それでも戦うしかない。
こっちも大人しく死ぬわけにはいかへんのやから。生きてる限りは、明日も生きなあかん。
「帰りましょうか、神楽 さん。怪我 してる。病院行きましょうか」
険 しい顔してへたり込み、呆然 としてる神楽 さんに、俺は膝 をついて視線を合わせようとした。
どこ見てんのか分からんような青い目やけど、この時、神楽 さんはほんまにどこも見てへんかった。ぼうっとしてた。
「どうすんのや、神楽 さん。ずっとここに座ってるわけにはいかへんで」
肩を揺 さぶって、説教 声で耳に話すと、はっとしたように青い目が俺を見た。
なんで俺が神父に説教 せなあかんねん。普通はこっちが説 かれる立場やで。俺は悪魔 の僕 になってて、あんたは悪魔祓い で、俺を助ける言うてたんやから。
「どうしたらいいか分かりません」
泣きそうな目で、神楽 さんは俺を見た。可愛 かった。若干 な。
「どうしたらって、したいようにしたらええやないですか。帰りましょうか。なんで自分の傷は治せへんのですか。治せるやろ。俺も治せるけど、嫌 やし。舐 めなあかんから、そんなん嫌 でしょ。俺は絶対嫌 やから」
くよくよ言うて、俺は神楽 さんを立たせようとした。
でもな、ほんまに腰 抜 けてたらしいわ。よっぽど堪 えたんやろな。
「ええ……もう、担 いでいこか。世話 焼 ける人やな、あんたは」
なんで俺がそんなことせなあかんのやろ。赤の他人やし、俺のツレやないんやけどなあって、ますますくよくよしてきて、見るからに痛そうな胸の傷を見るにつけ、この際 、舐 めとく? みたいな気がした。傷が痛くてへたってんのかなと思って。
「舐 めます? 嫌 やけど。あんたも嫌 やろうけど……」
どうしようかって、俺はほとほと困 った目で訊 いた。
水煙 がそれに、くすくす笑ってた。どうしようもないなジュニアと思ってたんかな。
それともこの後の展開 を察知 してて、それで可笑 しくて笑ったんやろか。
「舐 めんといてくれませんか、人のもんなんやから。君には亨 をやったやろ」
めちゃめちゃ面白 そうに言われて、俺はぎょっとした。
中西 さんやった。いつの間 に来たんや、あんた。
振 り返ってみると、納骨堂 の薄暗 がりに、今朝見たスーツの男が立っていた。
「何か嫌 な予感 がしてなあ。飛んで来たんや。来てみてよかったなあ。本間 先生に舐 められるところやった」
うっふっふと含 み笑いして、中西 さんはへたってる神楽 さんの前に片膝 をついた。
「どうしたんですか、神父様。えらい怪我 してはりますけど。俺も怪我 治せるらしいんですけど、試 しに舐 めましょうか」
からかうような口調 やった。もしかしてこの人も、実はけっこう照 れ屋 かと、俺は危 ぶんだ。
神楽 さんが青い顔して、わなわな来てたからやねん。
「そんなん言わんとき。意地悪 やなあ、そんな男やったっけ」
亨 の声がして、俺はまた、がばっと振 り向いた。
ああもう絶対嫌 や、一刻 も早く出たいという怖気 だった顔をして、亨 が石のロッカーの合間 に立っていた。
よかった。舐 めんでよかった。
神父舐 めてるとこ見られたら、どんだけ怒られたやろって、俺はビビった。
水煙 舐 めてたのも怒ってたしな、こいつ。ほんまは分かってたんやで。
でもあれは俺のせいでできた傷 やし、亨 怒るし無視 でええかみたいなのは、あまりにもひどいやろ。せやから治したんやけど、神楽 さんの怪我 は俺のせいやないから。
それにもう一人、舐 めていい人来たから。その人にお任 せで!
「どしたんや、遥 。痛 くないんか」
小声 で中西 さんは訊 ねた。
それに神楽 さんはまだ真っ青な真顔 をしていた。
「仕事どうしたんですか」
「どうって、ほったらかしやないか。早く戻らな怒られる」
仕事の鬼は切 なそうに答えた。
「じゃあ、なんで来たんですか」
なんでって、と、誰もが思うことを神楽 さんは訊 いてた。
それともそれは誘 い文句で、答えてほしかっただけかもしれへん。
「お前が心配やったんやないか。その怪我 どうしたんや。痛 いやろ?」
優 しく訊 かれて、神楽 さんは顔を歪 めた。
そして何かに詫 びるような、頭抱 えた苦悩 の姿で、やがて小さく、呻 くように答えた。
「痛 い……」
甘えたような声やった。それにもう、カッチカチの標準語ではない。
神楽 さんはまるで、ちびっこい餓鬼 みたいやった。
そうやなあ、たぶん十歳くらいやないか。
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