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16-3 トオル

 藤堂(とうどう)さんの葉巻(はまき)を吸う手にある指輪見て、俺は物欲(ものほ)しそうやったんかもしれへん。  アキちゃんはじっと、俺の顔を見た。  未練(みれん)がましい顔したらあかんな。アキちゃん気分悪いやろ。  俺は正直言うて、藤堂(とうどう)さんが()しかったわけやない。それもちょっとはあったかもしれへんけど、昔はとことん、つれなかった男が、今はそうでもないらしいのが、(うら)めしかっただけやねん。  俺のなにが、そんなに(いた)らんかったんやろ。どこに不足があったんや。  この金髪(きんぱつ)で長い名前の元・神父と俺と、どこがどう違うんや。 「お前が改訂(かいてい)したんやろ? えらい目()うたで、外道(げどう)にされて。死んだと思ったら生き返るし。女房(にょうぼう)には捨てられるし。娘の結婚式には出られへんし」  真顔(まがお)でぼやく藤堂(とうどう)さんを、俺はぽかんとして見た。  ほんまにぼやいてるらしい。 「結婚したん、あんたの娘」  俺はその子の写真を見たことがある。姿も見たことがある。  おかんと()()って、ときどきホテルに来てた。藤堂(とうどう)さんに似た綺麗(きれい)な子やった。  おかんは、まあ普通。宝塚(たからづか)に住んでる、ええとこのお(じょう)さん。  どっかのホテルで藤堂(とうどう)さんを見初(みそ)めて、結婚した女。  実はこいつのおとんがホテル(ぎょう)のえらいサンで、藤堂(とうどう)さんは娘より、そのおとんが目当てで結婚したらしい。出世(しゅっせ)が目当て。えげつない男やで。  そやから奥さんには頭が上がらんかったわけ。  それに、その女もクリスチャンやったしな、けっこう真面目(まじめ)に教会通いしてたで。  仕事休むのは日曜の朝だけ。礼拝(れいはい)に行くんや。  カトリックのキリスト教徒は離婚(りこん)できへん。それは神様が禁じてるから、教会が許さへんのやって。まあ、ルールブック的にはそうなんや。  今にして思えば、なんでそんな理由って思うけど、藤堂(とうどう)さんはそれが人間としての最後の一線(いっせん)と、(かた)く信じてたわけ。  死が二人を分かつまでと、神に(ちか)った。その男としての義理(ぎり)(よめ)とあるから、神との約束は(やぶ)られへんと。  でも、ああ。そうか。おっさん死んだしな。それで契約(けいやく)終了やったんや。死によって、藤堂(とうどう)さんは神との約束を果たした。任期満了(にんきまんりょう)やな。  ビジネスライクやなあ、藤堂(とうどう)さん。それで()っ切れてもうたんや。もうええわって。 「結婚したした。しょうもない男と。できちゃった(こん)やで。いやいや、そうやのうて、こちらの業界(ぎょうかい)では(さず)かり(こん)というんやけどな。京都の東山(ひがしやま)の例のホテルで、もう結婚式もしたんやないかな。  まさか俺がプロデュースした礼拝堂(チャペル)で、腹ぼてなった娘が、俺抜きで結婚するやなんて、想像だにせんかったわ。客にはよくある話やったけどな、まさか自分とこの娘がなあ。京都のボンボンとやで。あのホテルで()うたんやって。まったくどこのボンボンや、ホテルで会うただけの相手にいきなり手出すなんて、手癖(てくせ)が悪すぎるやろ」  アキちゃんげほげほ言うてたわ。痛い話やったな。  藤堂(とうどう)さんは意味分かってへんのか、(けむ)たいですかと気をつかい、アキちゃんのために葉巻(はまき)を消してやっていた。  (にぶ)いねん。藤堂(とうどう)さん。  でも知らんのやからしゃあないな。俺は藤堂(とうどう)さんにはアキちゃんとの(くわ)しい()()めは話してへんもん。  調べたんかと思ってた。探せば追えたはずやで。  (とおる)どこ行ったんやって、必死で()いて回れば、俺がホテルのバーから男をひとり連れて、タクシーで出ていったことぐらい、簡単にわかったんやないか。  でも、調べへんかったんや。なんで。格好(かっこう)悪いからか。  ()るなら()れって、そういうことやったんか。  ほんまはちょっと、ほっとしたか。俺が消えて、悪い夢から()めたみたいに。 「ええやん、別に。今時そんなん(めずら)しくもないで?」  俺は一応フォローしといた。 「そうやけど、仮にもクリスチャンの娘がやで、おとんが死にかかっとうのに、行きずりの男とやるか? しかもその娘がやで、おとんが男とやっとうから(いや)やて言うて、花嫁姿(はなよめすがた)も見に来るなというんやで。俺はやってへん、お前からも一言、うちの娘にそう言うてやってくれ」 「はあ。なんて。お前のおとんは俺とはやってへんて?」  俺が真面目(まじめ)に取り合うと、藤堂(とうどう)さんは面白そうに笑っていた。 「ひどい話やな。滅茶苦茶(めちゃくちゃ)やでお(たが)いに。俺も大概(たいがい)滅茶苦茶(めちゃくちゃ)やけど、生き返ってきたおとん見て、そんなんやったらいっそ死んどいてくれたらよかったのにて言う娘もすごいわ。なんか知らんうちに家庭が崩壊(ほうかい)していた」 「すまんなあ、藤堂(とうどう)さん。俺のせいでそんな目に()うて」  俺は半分皮肉(ひにく)で言うたんやけど、藤堂(とうどう)さんは全く気がついてないみたいやった。 「いや、お前のせいやない。俺が家ほっといて仕事ばっかりしてたんがまずかったんやろ。娘にはいっぱい(うら)(ごと)言われたわ。幼稚園の運動会に来なかったことから始まってやな、長い愚痴(ぐち)やったけども、いちいちごもっともで反論(はんろん)余地(よち)もなかったわ。女房(にょうぼう)はおいおい泣くしやな、修羅場(しゅらば)やったで。最高に格好(かっこう)悪かった」  よっぽど格好(かっこう)悪かったんやろ。藤堂(とうどう)さんはしみじみ言うてた。 「そんなに悪いことかな。おとんの相手が男というのは」  可笑(おか)しいてたまらんみたいに笑って、藤堂(とうどう)さんは俺に()いてた。 「あかんやろ、それは。普通に考えてあかん」  俺は正直(しょうじき)に教えてやった。

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