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16-4 トオル
そんなこと、あんたが知らんわけない。非常に詳 しく知っていた。
せやから俺が怖 かったんやないか。溺 れてもうたら俺も終わりと、必死で逃げてた。怖 い怖 い魔性 の蛇 から。
「そうやろ。それに、お前はもはや外道 に堕 ちたしな。相当 に若返 ってもうたし。このまま永遠にトシとらんのやったら、女房 や娘とは縁 切っといたほうがええで。なんせ相手が京都のボンボンやしな、娘もそいつの家族に、うちのお父さん血吸うし、トシとらへんし、彼氏おるんやけどよろしくって、紹介 できへんやろ。新婚 早々 、腹ぼてのまま突き返されるわ」
「ご返品かなあ」
俺が、お気の毒にと請 け合 うと、藤堂 さんは皮肉 にくすくす笑った。
「まあいい。大したことや無い。ケ・セラ・セラやで。ひとり娘が片付いて、俺も肩 の荷 が降りたわ」
ほんまにもう心残りはないように、藤堂 さんは言うていた。
切 ないやろけど、確 かに選択 の余地 はない。
人間としてのお前は、もう死んだ。ほんまやったら墓 の下や。
Que Sera Sera とは、なるようになるという意味の言葉で、そういう歌の歌詞 でもある。
ビートルズとかと同じで、藤堂 さんの好きな曲。似合 わん曲が好きなんやなあと、前は思ったもんやった。
Que Sera Sera, Whatever will be, will be.
(ケ・セラ・セラ、なるようになるさ)
The future's not ours to see, Que Sera Sera.
(未来は誰にもわからない、ケ・セラ・セラ)
"Que Sera, Sera"(1956 / 歌:Doris Day / 作詞:Ray Evans / 作曲:Jay Livingston)より引用
いつも渋面 やった苦悩 の藤堂 さんも、俺が歌を歌うと喜んだ。
ちょっと困 ったみたいな顔で、微笑 むこともあったんや。
たぶんこの人は歌が好き。そして、歌歌ってる俺が好きやった。
それにほんまは、そんな固い人でもなかったんかもしれへん。
ただちょっと、ハマってもうてただけ。仕事の鬼みたいになって、正気 やなくなってた。
そんな感じで突き進み、行き着くとこまで行ったんやろ。それでポックリ逝 ってもうて、やっと気がついたんやないか。何をやってたんやろ俺は、って。
人生、仕事よりも大事なもんがあったんやないか。
娘の運動会に行ってやるとか、俺と手繋 いで歩いてやるとか。
でも、もう、それは、過 ぎてもうた過去 のことやしな。
せやけど平気や、大したことや無い。ケ・セラ・セラやで。未来は誰にも見えへんもんや。俺には永遠に未来 がある。やり直そうかって、そんなふうに思える人やったんやろ。
しぶといわ藤堂 さん。前よりずっと男前 やわ。
俺もクリスマス・イブの夜、女房 と娘が神戸からいきなり来たし、仕事もあるしって、全然俺にかまってくれへんあんたにキレたりせえへんと、あとちょっと待っといたらよかったんかもしれへん。
どうせ死んでたやろ。そして復活 していた。今みたいな、気楽なおっさんにリニューアルして。
そしたらきっと、俺に何でも許してくれたやろ。今ごろ、仲良く、よろしくやってたかもしれへん。
それはそれで、楽しいコースやったやろけどな。
でも、もしそんなコースやったら、あの夜のアキちゃん、可哀想 やったよなあ。
俺に会うこともなく、一人でバーで酒飲んで、酔 いつぶれて帰る。もしかしたら飲酒運転で免停 やったかもしれへんし、下手 すりゃ事故 って死んでもうてたかも。
それはあんまり可哀想 やしな、俺は耐 え難 い。やっぱり俺が居 といてやってよかったで。
コーヒー飲みたい面 をして、紅茶 を飲んでるツレを見て、俺はそう納得 していた。
藤堂 さんのほうは、惜 しいけど、こいつにやろうか。
ロレンツォ・お前に訊 いたんやない・余計 な口挟 まんでええねん・名前長すぎる・遥 ・神楽 ・スフォルツァに。
「別れましょうか?」
怒ったような冷たい声で、長い名前の金髪美青年は言った。
突然 なに言うとんねんお前。
「突然 なに言うとんのや、遥 」
同感 やったらしい藤堂 さんはびっくりしてた。
びっくりするのにも、びっくりするけどな。お前がおると娘に気まずいみたいな話を本人のいるとこでして、気まずいって思わへん、お前が気まずい。
こんな鈍 い男やったんやと思いつつ、俺は店が問答無用 で出してきた紅茶 を飲んだ。
いかにもな、英国式朝飯向け紅茶 やった。徹底 して「いつも朝飯 」やな。
「ご迷惑 でしたら出ていきますが」
「ご迷惑 って、出ていってどうするんや。また教会帰るのか。スピード離婚 やな。昨日結婚して今朝離婚 や」
そのオチになんでか俺は紅茶 を吹 きそうになってた。若干 吹 いてた。
アキちゃんが仰 け反 ってたから、若干 ツレにかけたんやろけど、それはまあいい。
「結婚!?」
腕 で口元を拭 いながら、俺は必死で訊 いていた。
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