185 / 928

16-10 トオル

 はためく黒い(はね)の色は、鉛筆(えんぴつ)のタッチもそのままの、絵の(ちょう)やった。  それが黄色い目を(ひらめ)かせ、ひらひらとテーブルの上を舞い、そんな馬鹿なという形相(ぎょうそう)神楽(かぐら)(よう)の目の前を、これでどうやと見せ付けるように、行きつ戻りつした。 「すごい、まさに奇跡(きせき)や」  (おどろ)いたような、いかにも(うれ)しいという声で、藤堂(とうどう)さんが()めた。ようやったと、おとんが息子を()めてるような声やった。  アキちゃんはそれに、にやりと苦笑のような、(こら)えた笑みをした。  ほんまはにっこり笑いたいんやないか。なんかそんな感じ。  (うれ)しいんか、このおっさんに()められて。  いったいアキちゃんの脳みそは、どういう造りになってんのかな、神経おかしい。 「こんなのは、奇跡(きせき)では、ありません。ただの幻覚(げんかく)です」  往生際(おうじょうぎわ)悪く、神楽(かぐら)(よう)苦虫(にがむし)()(つぶ)したような顔をしていた。  そんな元・神父に、そんなことない、俺は(さわ)れるよと言うように、(ちょう)はひらりと舞い降りて、テーブルの上にあった神楽(かぐら)(よう)の白い手に、そっと止まった。  ()れる感触(かんしょく)があったんやろう、神楽(かぐら)(よう)の手が、ぴくりと(ふる)えた。 「奇跡(きせき)と、ただの幻覚(げんかく)って、どう違うんです?」  アキちゃんは、(こま)ったなあという顔で、わなわな来てる神楽(かぐら)(よう)の顔を見た。 「信仰(しんこう)の、ある・なしです」  断言(だんげん)する神楽(かぐら)(よう)は、それ以上は何か言う気配もなかった。  ただじっと、手の(ちょう)を振り払いたいのを()えてて、それで精一杯(せいいっぱい)ですという感じ。  そんな相方(あいかた)の顔を、やれやれみたいに(なが)め、藤堂(とうどう)さんが代わりに話した。 「キリスト教の神の奇跡(きせき)はな、信仰(しんこう)深い者だけが起こせることになっとうのや。天使もまあ、基本的には信者の前にしか現れへん。でも例外はあるはずやで。神がその存在を異教徒(いきょうと)にも(あか)そうというときに、誰の目にでも奇跡(きせき)は見えへんとおかしい」  そうですよね神父さんと、藤堂(とうどう)さんは相方(あいかた)に話を(うなが)した。それで神楽(かぐら)(よう)は、口が()けるような気になったらしい。 「そうです……そういう例は、確かにあります。キリスト生誕(せいたん)の時には、天空(てんくう)に天使の()れが現われて、神を(たた)える歌を歌うのが、信者ではない者の目にも見えました。その時にはまだ、キリスト教は宗教としては存在しなかった訳ですからね、信者はいません。それでも近隣(きんりん)にいた羊飼いたちには、その天使が見えました。聖書にはそう(しる)されています」 「ほな、ええやん。本間(ほんま)先生に天使が見えても」  そんな小さいことに(こだわ)ったらあかんでお前と、そんな口調で藤堂(とうどう)さんは神楽(かぐら)(よう)(なだ)めていた。  しかし、そんな藤堂(とうどう)さんを、元・神父はじろっと(にら)んだ。 「いいえ。天使の降臨(こうりん)はともかく、奇跡(きせき)を起こせるのは神に選ばれた信仰(しんこう)(あつ)い者だけです。それ以外は皆、悪魔(サタン)仕掛(しか)ける妖術(ようじゅつ)です」  悪魔(サタン)や言われて、アキちゃんは少々引いていた。  それでちょっとだけ言いよどんだけども、結局言うてた。 「妖術(ようじゅつ)……やと思いますけど、なんか、まずいですか。それやと」  ちょっとビビってるみたいやった。なんでビビんの、この元・神父に。  信者でもないし、キリスト教なんかほとんど知らん、クリスマス・イブに女とホテル()まって、セックスしようみたいな男がやで、何を恐れることがあんの。  そん時にはまだ敬虔(けいけん)な信者やった藤堂(とうどう)さんが、何してたと思うんや。  家族で教会行ってたんやで。真夜中のカトリック教会に。  クリスマスのミサに列席(れっせき)するためにやで。  そしてまた仕事に戻り、俺をほったらかしにしていた。その(すき)にお前が俺をゲットしたんやないか。  クリスマスに人間がやることとしては、最もキリスト教の信仰から遠い。  救世主(メシア)生誕(せいたん)を祝う聖なる夜に、てめえは悪魔(サタン)口説(くど)いてたんやから。思いっきりの(アンチ)キリストや。  そして極東(きょくとう)の島の妖術(ようじゅつ)使いですよ。まさにそれです、アキちゃんは。キリスト教、一切関係なし。  家は神道(しんとう)、おかんは巫女(みこ)、おとんは大明神(だいみょうじん)、そして本人も(げき)や。クリスマスはサンタクロースの日やと思うてる。  だってホテルのバーで飲んだくれながら、アキちゃんはいろんな愚痴(ぐち)()いていたけど、うちにはサンタが来たことがないって言うてたもん。  サンタなんかいまへん、迷信(めいしん)どす、っておかんが一蹴(いっしゅう)して、クリスマスはなんもなし。代わりに正月に新しい服と玩具(おもちゃ)をもらえたらしい。  別にええけど、うちは普通やない。なんでそうなんやろ。普通のうちのクリスマスには、サンタが来るもんやろ、とアキちゃんは俺に言うてた。  しゃあない。悪い子やから()えへん。  それに、あれは普通、おとんが()けるもんやろ。  おとん、()らへんのやからしゃあない。  ()ったけど、おとん大明神(だいみょうじん)がサンタに()けて出たら、それはそれでアキちゃん怖かったやろ。サンタなんか居ないって、ほんまは知ってたみたいやから。  信じてへんから()えへんのんや。  あれの中身はおとんやと、お前が知ってたからあかんねん。  信じてれば、来たかもしれへんで、サンタクロース。信じてる子のとこにしか、あの(じじい)は現われへんねん。  そういうもんやろ、神や怪異(かいい)というのは。

ともだちにシェアしよう!