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16-13 トオル
「今日は、休みでしょう、卓 さん。出かける約束は……?」
訊 ねる神楽 は最高に哀 れっぽかった。
そんなんで、いちいちヘコタレとったら続かへんで。すっぽかしはこのおっさんの常套手段 やからな。仕事やったら約束チャラにしてええと思ってる。本気やで。
「また今度な、それどころやないわ」
財布 から札 を出しつつ、藤堂 さんは煙草 も出した。
葉巻 やない紙巻 の、昔吸ってたやつや。何も変わりない。
仕事中に葉巻 は吸われへんから、代わりに紙巻 吸うわけやけど、ヘビースモーカーやねん。
そんなんしてるから癌 になるんやで。今更 もう、体は壊 さへんやろけど、やめたんちゃうの、仕事の鬼。
やっぱこっちも、死んでも治らん病気やったんかなあ。
「それどころやないって……卓 さん。昨日結婚して、今日はもう仕事?」
そんなアホなっていう、呆然 と立っている神楽 の電話が、ぴりりと鳴っていた。
日本来て、使い始めたばっかりやからか、その音は初期設定 のままの電子音やった。
「電話鳴っとうで。お前も仕事や」
ふかした煙草 で指されて言われ、神楽 はぐっと堪 える顔をした。
それでも電話に出んわけにはいかんらしい。元・神父は今も神父みたいな顔をして、それでも痛恨 の様子で目を伏 せながら電話に出ていた。そしてこちらに背を向け話す。
「はい……神楽 です。いいえ、何もしてません。すぐ行きます、司教様 」
そして電話を切っていた神楽 に、笑いながら藤堂 さんは言った。
「パパだらけやなあ、遥 。お前は不実 な悪い子や」
「仕事です……」
言われた軽口 にぐったり来たんか、神楽 はうな垂 れていた。
「ひとりで平気か。本間 先生についていってもらえ」
えっ、なんでそんな話に。
えっ、なんで俺がって、アキちゃんもそんな顔をしていた。
せやのに藤堂 さんは頭を下げた。
「よろしくお願いします、先生。また昨日みたいなことになったら困 るから」
笑顔ひとつでツレを俺のツレに押し付けて、藤堂 さんは帰るみたいやった。一人で。
店主は慣 れた様子で会計用のカウンターに頬杖 をつき、にこにこと愛想 よくそれを送り出した。
良い一日を 、卓 さん。と店主は挨拶 をし、藤堂 さんはそれににこやかに手を振 って、君もね 、ジョージ。と答えた。
毎朝、来てる。確かそう、言うてたな……。
ほんまもう、殺さなあかん。もしも今まだ俺のツレなんやったら。
よかった。もう、俺のやのうて。
「ジョージ……卓 さん……」
呆然 と、神楽 はそう呟 いた。
アキちゃんはものすごく、気まずそうやった。目を逸 らしてた。目が合ったらどんな目に遭 わされるんやろって、恐れてる顔やった。
「普通やで、神父。普通やろ? お前もイタリア人なんやから、仲良ければ普通にファーストネーム交流やろ?」
俺は後輩 を慰 めてやった。
せやのに神楽 はゆっくりと、首を横に振 っていた。
「僕は、日本人です。寝言 も、日本語で言うし。それに、ちょっと店で会う程度 の相手を、ジョージなんて呼びません」
「しゃあない、藤堂 さん、外国暮らし長かったんやから。あの人ときどき、英語で寝言 言うで?」
なにげにした思い出話のせいで、俺はキッと神父に睨 まれた。
怖 ッ。思わず目を背 けてもうた。
「知りません、そんなの。まだ寝言 なんか言うたことありません。行きましょう本間 さん。車出してください。今、自分で運転したら確実に事故 るから」
確かに神楽 はわなわな来てた。その手でハンドル握 ったらヤバそうやった。
確かにそうなんやけど、アキちゃん、付いて行くことに決定されてる。なんでそうなるんや。
俺ら今日は特に予定がなくて、ゆっくりいちゃつこうかなあみたいな、そんな胸算用 やったのに。それかて大事な用事やで?
しかし神楽 はお構 いなしやった。
「ああもう早う行かなあかん。さあ行きましょう、本間 さん。悪い子やて言うんやったら、僕かて悪い子してやろかな」
ぷんぷん怒って、神楽 はアキちゃんの服を引っ張り、ずかずか店を出ようとしていた。
会計はと焦 るアキちゃんに、店主はにこにこ面白そうに見る頬杖 のままで、卓 さんが全部払ったよって、英語訛 りの日本語で教えてやってた。
それに一言の挨拶 もせずに、無礼な神父は出ていった。
からんころんとドアに吊 るされたベルを鳴らして。
You were Suguru-san's sweet heart, weren't you?
(君は卓 さんのイイ子やった子やろ?)
ジョージは俺にそう訊 いた。
そうや。俺は黙 って頷 いた。
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