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17-1 アキヒコ

 神楽(かぐら)さんは、ものすごく落ち込んでいた。  それも無理ない、デートをすっぽかされたんやから。デートというか、まさかプチ・ハネムーンやろか。神戸港に船乗りにいくという予定やったらしい。  恐ろしい話や。結婚するなんて。  そんなこと俺は、いっぺんも考えてみたことがない。男同士で結婚できるなんて、これっぽっちも想像したことがない。  固定概念(こていがいねん)というのは恐ろしい。なんで(とおる)が女やなかったら結婚できへんと思ってたんやろ。もちろん、それが常識やからやけど。  しかし、世の中には、相手が異性(いせい)でなくても正式に結婚できる国もあるらしい。それは後々聞いた話やけども、中西(なかにし)支配人はそういうのを知っていて、それで、結婚しよかという話を神楽(かぐら)さんにしたらしい。  そやけど神楽(かぐら)さんにすれば、ほな、しよか、というような、簡単な話やない。  元はといえば、同性愛はあかんと言うてた人なんやで。それは教会がそれを禁じてるから。ヴァチカンが同性愛を認めてないから。社長があかんと言うてるからや。  (さっ)するに、神楽(かぐら)さんは長年それで苦しんできた人やった。だって、ほら、初恋の相手からして、たぶん男やったんやんか。同じ教会に通うてる、ちょっと年の離れた兄ちゃんなんや。  きっと、竜太郎(りゅうたろう)が俺を好きやというようなもんなんやろう。子供の頃って、年上の兄ちゃんに(あこが)れたりするもんや。  それがちょっと本気すぎたってだけやろ。相手が下手(へた)(こた)えへんかったら、それはそれで適当に誤魔化(ごまか)してやっていけたんやろ。  しかし神楽(かぐら)さんは割とマジやった。中西(なかにし)さんのことも、ほんま言うたら前々から、けっこうマジで好きやったんやないか。  神楽(かぐら)さんのおとんは、家具を(あつか)貿易商(ぼうえきしょう)。妻子を連れてイタリアに帰ったものの、事業を()めたわけではなかった。会社は依然(いぜん)として日本にあったし、その拠点(きょてん)神戸(こうべ)やった。  中西(なかにし)支配人は、まだ藤堂さんやった頃から、そのおとんと親交があった。ホテルに家具入れたりする縁故(えんこ)があったんや。それがきっかけで、六甲(ろっこう)神楽(かぐら)・スフォルツァ(てい)(まね)かれたりもしていた。  それに、なんせどっちもカトリックの信者(しんじゃ)やし、家もけっこう近かった。  ひとつの教会が担当しているエリアのことを教区(きょうく)と呼ぶらしいんやけども、その、同じ教区内(きょうくない)に家があり、つまりは毎週同じ教会で顔を合わせていた(なか)やった。  もしかすると中西(なかにし)さんは、小さい(よう)ちゃんに悪魔(サタン)()いた話も、なぁんとなく知っていたんかもしれへん。  イタリアに帰った後も、この家族の親交は途切(とぎ)れへんかった。  中西(なかにし)さんが、その当時はまだ藤堂(とうどう)さんやったやろけど、仕事でイタリア行ったついでに、神楽(かぐら)さんのおとんの家を(たず)ねていくこともあったらしい。  そこで神楽(かぐら)さんは藤堂(とうどう)さんに会っていた。ヴァチカンはキリスト教徒(きょうと)にとっては巡礼(じゅんれい)の地や。せっかく近場(ちかば)まで行ったら()りたいもんらしい。  藤堂(とうどう)さんは家族を連れてきていた。奥さんと娘。全員カトリックやで。  その三人家族を連れて、神楽(かぐら)さんはヴァチカンを案内してやった。大聖堂(だいせいどう)に美術館。神聖な祭礼(ミサ)。  もう小さい(よう)ちゃんではない。神父様と、藤堂(とうどう)さんは冗談(じょうだん)めかして神楽(かぐら)さんのことを呼んだ。神学生(しんがくせい)やったからや。  神楽(かぐら)さんにしたら、久々に話す日本語やったんやろ。楽しかったんやって。  自分は日本人やと、その時気づいた。  フォロロマーノの古い遺跡(いせき)を見て、円形競技場(コロッセオ)を見て、トレビの(いずみ)を見て、真実の口を見る。古い(みやこ)や、見るとこだらけ。  藤堂(とうどう)さんは英語はぺらぺらやけど、イタリア語は話せへん。神楽(かぐら)さんは教会から休暇(きゅうか)をもらい、何日もかけて観光に付き合ったらしい。通訳(つうやく)(けん)ガイドやな。  せやけどその時にはもちろん何もない。  藤堂(とうどう)さんは結婚してた。そして自分は神学生(しんがくせい)。  思えばおかしい。  神楽(かぐら)さんが悪魔祓い(エクソシスト)として派遣(はけん)されてきた時、藤堂(とうどう)さんはいっぺん死んで、(よみがえ)って、そして離婚(りこん)してた。それで中西(なかにし)さんになったんやで。  教義(きょうぎ)に合わへんモンが(きら)いで、白黒つけたい神楽(かぐら)さんが、俺を紹介してくれたとき、中西(なかにし)さんにはにこにこ挨拶(あいさつ)してた。  (した)しげやった。会えて(うれ)しいみたいに見えた。この人は中西(なかにし)さんですと紹介した。  それはただの人物紹介やけども、神楽(かぐら)さんは(とおる)みたいに、いつまでもあの人のことを藤堂(とうどう)さんとは呼んでへん。  実は喜び(いさ)んで、この人は日本に戻ってきたんやないか。  中西(なかにし)さんは奥さんと別れて、今フリーやし。駄目(だめ)もとで(たの)んでみた。霊振会(れいしんかい)の人ら()めてやってくれへんかって。そしたらまた、顔を合わせる口実(こうじつ)にもなる。  それでどうこうしたいって、そんな勇気はなかったやろけど。でも無視しては通られへん。六甲(ろっこう)派遣(はけん)されて、すぐ近くに()るのに、素通(すどお)りはできひんかった。  引き寄せられる。(えん)の力に。あるいは愛か欲か、そんなようなもんの引力(いんりょく)によって。ぐいぐい引かれる。  そして今はもう、これ以上近づきようもないぐらい近くに()る。抱き()うて眠ってる。俺と(とおる)寝坊(ねぼう)したみたいに、神楽(かぐら)さんも今朝は寝坊(ねぼう)した。  そして外で一緒に朝飯(あさめし)食いたいって、甘えて(たの)んだ。(すぐる)さんに。そして船遊び(クルーズ)デートの予定やった。

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