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17-3 アキヒコ
そんな縁 では頼 りない。だから、結婚しようかなんて、そんなアホみたいなこと発作的 に言うてもうたんかも。
今さらまた式 になれなんて言われへん。でも他人も嫌 や。何か絆 がほしい。えらい我 が儘 やけどな。
亨 はもしかして、嫌 やったんかな。うんとは言わへんかった。
振 られてた、俺? 痛い話やなあ。
「アキちゃん、そんなケチなこと、俺は言わへん。契約 なんか関係ないやろ。お前が困 れば俺は助ける。そういうもんやろ。連れて行ってくれ」
亨 はちょっと困 ったように、俺に頼 んだ。
それでええんかなあ。もはや何の義理 もない俺のために、場合によっては死闘 やで。そんなことお前にさせられへん。元々、納得 してへんかったしな。
「どしたんアキちゃん……早う行かな。神父キレ顔やで」
情 けなそうに言うて、亨 はさっさとシートに消えた。
確かに今はうだうだ言うてる場合やないらしい。助手席 からの危険なオーラは俺も感じる。早うせいみたいな、そんな神楽 さんからのトゲトゲしたテレパシーを。
俺は諦 めて、運転席に座り、シートベルトしながらエンジンかけた。
「どこ行けばええんですか」
イライラしてるらしい神楽 さんに、俺は控 え目に訊 いた。
「中突堤 です。ポートタワーを目指してください。道案内はします」
カーナビ要らんと、神楽 さんは言っていた。
道は頭に入っているらしい。神戸 の道は、大して複雑ではないんや。
海岸線と並行 して走る幹線道路 を行って、目的地が近づいたら、右折するか左折するか。後は何となく走れば着いている。
それにポートタワーというのは、神戸では有名な塔 や。海辺に建つ、赤く塗 られた骨組みの、神戸といえばこの風景 やていう、象徴的 な建物で、ランドマークというほど目立つもんではないらしいけど、神戸 在住者 にとっては、それがどこにあるのか分からんわけはない場所のひとつらしい。
たぶん京都人にとっての御所 みたいなもんやろ。京都には京都御所 があるやろ。昔、天皇さんの住まいやった内裏 やで。
京都の住所は今でも、南北 ではなく、あれに近づくか遠ざかるかを意味する、上がる下がるで解説される。
そやから御所 より南にいるか北にいるかで、上がるというのが、北上するのか南下するのか逆転 してまう。
タクシー乗るとき気をつけて。地元の運転手さん、ここ上がるんですか、下がるんですかって訊 いてくるから。地元民なら普通やねん、いつも頭の地図に御所 があるから。
神戸の人にはその代わりに、いつも頭に六甲 の山並 みがあって、海岸線がある。ポートタワーも建っている。
山側から順に並行して、阪急電鉄 、JR西日本、阪神電鉄 の路線が走り、街を横切っている。それより海側とか山の手とか言うて、場所を特定している。
京都は碁盤 の目みたいな格子状 の街やけど、神戸はどこまでも平行に走る街や。海に寄り添 って拡 がっている。
車で走ると、それが分かる。どこまで行っても海がある。
海が懐 かしいらしい。運転席側の窓から見え隠れする海を、神楽 さんはじっと見ていた。
でもそれは、海を見てた訳ではないのかもしれへん。仕事のことを考えていたんかも。
それとも中西 支配人のことを考えていたんか。
昔、神楽 さんが小さな遥 ちゃんやった頃、中西 さんはまだ藤堂 さんで、ポートタワーの傍 にあるホテルにいたらしい。
その縁 で、遥 ちゃんもおとんに連れられて、そのホテルに何度も来たことがある。
その頃 はなんとも思ってへんかったやろ。優 しいホテルのおっさんやった。
好きは好きやったやろ。中西 さんはその頃 も、格好 いいおっさんやったらしいから。
せやけど、縁 は異 なものや。そのおっさんと結婚することになるとはな。
そんなことでも思ってたんかな。昔見たのと何も変わらへん海でも見ながら。
「突堤 横 の駐車場に停めていっていいそうです、根回 ししてもらえてるらしいので」
俺にその場所を教え、神楽 さんは携帯 から電話をかけた。俺はその電話の相手の声に聞き覚えがあるような気がして、車を停めつつ、思い出そうとした。
でも、わからへん。若い男の声やった。しかし知り合いではない。
「神楽 です、到着しました。船はどこでしょう」
また例の、カッチカチの標準語になって、神楽 さんは電話の相手に訊 いていた。
どうもこの人、真面目 んなると方言 消えるな。お仕事モードというか、神父さんモードになると消えるらしいで。
いけ好かへんな神楽 さん。訛 ってる時のほうが可愛 いのに。
要らんか、可愛 さなんて、悪魔祓い やるのに不要 か。
だけど着替えてきてへんかったで。神楽 さんはもう、神父の服は着いひん。
あれは神聖なもんやから、もう着ないんやって。
着てもしゃあない、もう神父やないし、神も見放 す穢 れた身やのに、格好 だけつけてもしゃあないと、神楽 さんはそういう価値観 の人。
『突堤 の船です、神父様 。ちょっと離れて停泊 してるやつです。突堤 に水上警察 の人らがいとうから、そこで訊 いてください』
にこにこというか、にやにや笑ったような神戸弁 で、電話の相手は言った。
その声にはやっぱり聞き覚えがあり、話し方にもなんとなく聞き覚えがあった。
なんとなくやけど、虎 に似ている。最初に電話してきたときのあいつに。
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