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17-5 アキヒコ
神聖なことやと。どういう意味や。俺にヤハウェを讃 えろ言うんか。願い下げやでジュニア。言うとくけどな、俺はヤハウェより年上や。神殿やら天使やなんてウザい。気ままにやるのが好きなだけやねん。馬鹿にせんといてくれへんか、って、ご機嫌 悪そうに言われたわ。
ハイ。すみません。もう頼 みません。
何歳なん。水煙 。歳 訊 いたことない。訊 いたら悪いかなあと思って。
とにかく、めちゃめちゃ年上や。そして、神楽 さんとの相性 は、めちゃめちゃ悪い。
もともと悪かった神楽 さんの顔色は、この会話以降、ますます末期的 に悪くなってた。
「神の名を、みだりに口にしてはいけません……十戒 に、そう定められています」
神楽 さんが水煙 に、はじめて語りかけた言葉はこれやないかと思う。
でも水煙 、フン、て言うてた。そんなんローカルルールやろ。名前も隠 してケチくさい。匿名 さんでは話にならへん。この世に神は他にもいるんや。名前なしでは区別もつかへん。それはヤハウェでもアッラーでも同じやで。自分だけ特別扱いせえて言うても無駄やねん。我 が儘 言うなって取り合わず、顔面蒼白 でいる神楽 さんに優雅 に名乗った。
俺は水煙 やで。みだりに口にしてもええけどな、舐 めたら溶 かして食うてまうからな、覚悟 しとけよと。
うちの式 はな、みんなえげつないねんて。秋尾 さんがそう言うてた。
秋津 の式 はみんなえげつない。昔めちゃめちゃ虐 められたわって。
そんな話は聞いていたものの、えぇ、水煙 は優しいのにって、俺はちょっと思ってたんやろなあ。
でもそんなもん幻想 やったんや。水煙 も結局 は、えげつない神やねん。全然優しくない。俺に特別優しかっただけ。
凄 む水煙 を目 の当 たりにして、俺は少々引いていた。
それにはっとしたのか、水煙 は急にキラキラしてきて、気を取り直した可愛 い調子で言った。さ、行こか、ジュニアと。
「エグいわあ、水煙 」
亨 が感心して言うた。まるで見習ってるみたいに。
アホか、そんなん見習わんでも、お前も充分 エグい性格や。むしろお前のほうがエグいくらいや。
俺なんか、お前と水煙 に挟 まれて、退路 無しやないか。
知りたくなかった、水煙 は俺の心の安らぎやったのに。心のどこかで何かが切 なく砕 け散 ったで。
しかし、めそめそしている場合ではない。
船ではもうとっくに何かが始まってるような気配 がしてた。えげつない決意式 が終了したらしいチームの面々 で、突堤 へと急いだ。
船はどこにも接岸 してなかったけど、行くならそこが一番近い。まさか泳いで行くわけにもいかへんし、突堤 には警察カラーの小型船が一艘 、横付けされていた。それが電話の声の言うてた、水上警察の人らやろう。
俺は初めて見た。船に乗ってるお巡 りさんていうのは。
馬に乗ってるお巡 りさんは、見たことあるけど、船は初めてや。
京都には居 るねん、平安騎馬隊 と言うて、馬に乗ってるお巡 りさんが。御所 の警備とか、時代祭や葵祭 の時にはパトロールしてはるで。
でも水上警察は見たことない。京の都には海がないんやもん。俺は海って、実はほとんど見たことない。もしかして、まともに見たの、これが初めてやないか。
なんやこれ、深泥池 よりデカい。絵にある通りや。波が打ち寄せている。テレビや映画で見たのと同じやで。
水族館から眺 めたときも、すごいなあと思って、絵に描いててん。でも、波打ち際 までは行かへんかった。ここまで海に肉薄 したのは、この時が初回 やで。
コンクリートの突堤 の真下にはもう、海が迫 ってた。当たり前やった。そこから海に出て行く玄関口 や。港やねんから。
「すみません、あの船に乗りうつりたいんですが、どうすればいいでしょうか」
神楽 さんは迷わず特攻 やった。水上警察の人にやで。
紺色 の制服に、鮮 やかなオレンジ色のライフジャケットを着た警察のおじさんが、白黒に塗 り分けられた水上パトカーみたいな小舟の上から、じっと俺や神楽 さんを見た。
それだけでもう、すみませんて俺は言いたかった。
何しに来てんお前らって、お巡 りさんはそう思うやろうという気がして。
だって、誰やねんみたいな二十歳 そこらの男が三人、いきなりやってきて、その船乗せてって、それは無いやろ。通らへん。普通に考えて。
街でパトカー見て、ちょっとそこまで行きたいし、乗せてくれって頼む奴 が居 るか。居 るわけない、非常識すぎる。船やいうだけで、パトカーみたいなもんなんやで。
せやけどこの日は居 ったな。神楽 さんは明らかにそういうニュアンスで言うてた。
何を言うてんのや君は、って、船のお巡 りさんが今にも言いそうな顔になったところで、携帯の着信音が鳴った。
六甲卸 やった。阪神タイガースの応援歌や。歌まで入ってた。せやから着うた。
険 しい警戒顔のまま、おっさんは電話に出ていた。
そして、もしもしと言う間も与えず、電話の向こうの声が話した。
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