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17-13 アキヒコ

 囁(ささや)くような声やったし、それに床(ゆか)で泣く気の毒な人らには聞こえていないようやった。亨(とおる)も全く無反応。それにムッとしないような奴(やつ)ではないのに。  言葉もなく、俺は首を振(ふ)って、それを拒(こば)んだ。お前に教える愛なんかない。  次から次に、そんなんばっかり出てきてもな、俺は耐(た)えられへん。一人でええねん。愛し合う相手なんて。亨(とおる)ひとりでいい。  抜(ぬ)き身(み)の水煙(すいえん)を床(ゆか)に突き立てて、俺は亨(とおる)のところへ行った。なんかもう、離れてるのがつらい気がして。  頭がくらくらする。気分も悪いし。俺は不愉快(ふゆかい)で、どことなく気弱になってた。  そういう時に逃げていくのが亨(とおる)のとこやというのが、いかにも自分勝手で参(まい)る。  亨(とおる)がもたれる隣(となり)の壁(かべ)にもたれると、そこにも花は飾(かざ)られていた。白とピンク。嘘(うそ)くさいような華(はな)やかさ。  でも結婚のお祝いやから、いくら派手(はで)でも華(はな)やかすぎるということはない。 「アキちゃん……俺は要(い)らんかったな。水煙(すいえん)居(お)れば足りてたな」  苦笑して言う亨(とおる)の手を、俺は探して握(にぎ)ってた。 「そんなことない。俺はお前が居(お)らんと駄目(だめ)や。頭痛い。なんか吐(は)きそう。なんとかしてくれ亨(とおる)」  俺が嘆(なげ)くと、亨(とおる)は笑った。困(こま)ったように。 「船酔(ふなよ)いかあ……それは治したことないなあ。神父に頼(たの)めば?」  意地悪(いじわる)そうに亨(とおる)はそう勧(すす)めたが、俺は首を横に振(ふ)ってた。亨(とおる)に抱き寄せられながら。  亨(とおる)は背中に回してきた腕で、抱くようにゆっくり俺の背を撫(な)でた。 「よしよし、アキちゃん、可哀想(かわいそう)になあ。船に酔(よ)うやなんて。なんでもないよ、揺(ゆ)れてるだけや。海は皆のおかんやで。おかんに抱かれて、ゆらゆら揺(ゆ)れてるんやと思えばええねん」  苦笑したように笑みを含(ふく)んだ声色(こわいろ)で言う亨(とおる)の頭の中には、たぶん、うちのおかんが居(お)ったやろ。お前はマザコン野郎やと、ちょっと皮肉を効(き)かせたつもりなんや。  せやけどお前は俺を誤解(ごかい)している。確かにそうや、おかん大好き。俺は救いようのないマザコン野郎やけども、この時はおかんのことは考えてへんかった。  亨(とおる)に抱かれてゆらゆら揺(ゆ)れてる。かすかな波のローリングが感じられる。肩にもたれてそれを感じると、確かに心地いいような気がしなくもない。  でも離れてもうたら、また苦しいだけの波やで。船なんか嫌いや。どんな波でもお前と抱き合って揺れるんやったら、気持ちいいかもしれへんけど、一人やとつらい。一緒がええんや。 「ほんまにお前は、どうしようもない男やな。水煙(すいえん)様と相性(あいしょう)ぴったりみたいなのを、選(よ)りに選(よ)って、この俺のいる前で見せつけてくれたりして。どないなっとんねん、アキちゃんの脳の神経回路は」  ぼやく口調で優しく咎(とが)めて、亨(とおる)はそれでも俺の背を撫(な)でていた。  悪い子ぉやわ、アキちゃんは。昔、おかんが、俺によくそう言うてた。ぼやくみたいに。ちょうど今の、亨(とおる)みたいに。  おかんは優しい。怖いけど綺麗(きれい)やし、俺がどんなに悪い子しても、結局は許してくれる。泣いて戻れば、抱いてよしよししてくれる。そんなんやからマザコンやめられへんねん。  亨(とおる)もそうかもしれへんかった。俺にとっては、おかんみたいなもん。  今となってはもう俺も、いくらなんでも、おかんには、弱音は吐(は)かへん。二十一やで、ええ歳して、十やそこらの餓鬼(がき)やない。  それでも弱い男やねん。ヘタレな坊(ぼん)なんやからな、弱音吐(は)きたい時もある。  そういう時に頭に浮かぶのは、なんでか亨(とおる)の顔やねん。この白い手。白い腕。それに抱かれて甘えたい。そんなことを考えている。  マザコンより強い、水地(みずち)亨(とおる)コンプレックス。不治(ふち)の病(やまい)や。しかも症例(しょうれい)は世界に俺ひとりだけ。そうであって欲しいところや。 「吐(は)くなよ……アキちゃん。なんか嫌(いや)な予感すんで……」  俺を抱きながら、亨(とおる)がいかにも焦(あせ)ったように言った。 「吐(は)かへん。吐(は)きそうなだけや……」  俺の返事を聞いて、亨(とおる)はびくっとした。 「水煙(すいえん)、アキちゃん連れて戻るわ。陸(おか)に返さな、こいつは陸(おか)の生きモンらしいで。海は無理!」  俺の腕を引いて出ていく亨(とおる)にビビったように、水煙(すいえん)が怒鳴(どな)った。もちろん声ではない声で。  アホか! 俺を置いていく気かと。 「泳いで帰れ」  亨(とおる)は、しれっとしてそんな事を答えてた。  泳げるわけないやん。歩かれへんのに。  それとも泳げんのかな、水煙(すいえん)。  そういえば水族館(すいぞくかん)で見た人魚(にんぎょ)、何とはなしに水煙(すいえん)と同じ系統に見えた。同じシリーズというか。イルカとクジラは同種族みたいな程度には近いような。  水煙て、もしかしたら、陸(おか)に這(は)い上がった人魚(にんぎょ)か。だから歩かれへんのか。  でもお話の人魚姫は歩けてたで。足痛いだけで。ダンスもしていた。  ほんで王子様と結婚できひんで、あえなく海の泡(あわ)に。そういう魔法がかかってるんや。確かそういう話や。  まさか水煙(すいえん)も、そういう話やないやろな。  まさか水煙(すいえん)とも結婚せなあかんとか、そういう事はないよな。それは重婚、というか、一夫多妻、というか。ハーレム状態。

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