202 / 928

17-13 アキヒコ

 (ささや)くような声やったし、それに(ゆか)で泣く気の毒な人らには聞こえていないようやった。(とおる)も全く無反応。それにムッとしないような(やつ)ではないのに。  言葉もなく、俺は首を()って、それを(こば)んだ。お前に教える愛なんかない。  次から次に、そんなんばっかり出てきてもな、俺は()えられへん。一人でええねん。愛し合う相手なんて。(とおる)ひとりでいい。  ()()水煙(すいえん)(ゆか)に突き立てて、俺は(とおる)のところへ行った。なんかもう、離れてるのがつらい気がして。  頭がくらくらする。気分も悪いし。俺は不愉快(ふゆかい)で、どことなく気弱になってた。  そういう時に逃げていくのが(とおる)のとこやというのが、いかにも自分勝手で(まい)る。  (とおる)がもたれる(となり)(かべ)にもたれると、そこにも花は(かざ)られていた。白とピンク。(うそ)くさいような(はな)やかさ。  でも結婚のお祝いやから、いくら派手(はで)でも(はな)やかすぎるということはない。 「アキちゃん……俺は()らんかったな。水煙(すいえん)()れば足りてたな」  苦笑して言う(とおる)の手を、俺は探して(にぎ)ってた。 「そんなことない。俺はお前が()らんと駄目(だめ)や。頭痛い。なんか()きそう。なんとかしてくれ(とおる)」  俺が(なげ)くと、(とおる)は笑った。(こま)ったように。 「船酔(ふなよ)いかあ……それは治したことないなあ。神父に(たの)めば?」  意地悪(いじわる)そうに(とおる)はそう(すす)めたが、俺は首を横に()ってた。(とおる)に抱き寄せられながら。  (とおる)は背中に回してきた腕で、抱くようにゆっくり俺の背を()でた。 「よしよし、アキちゃん、可哀想(かわいそう)になあ。船に()うやなんて。なんでもないよ、()れてるだけや。海は皆のおかんやで。おかんに抱かれて、ゆらゆら()れてるんやと思えばええねん」  苦笑したように笑みを(ふく)んだ声色(こわいろ)で言う(とおる)の頭の中には、たぶん、うちのおかんが()ったやろ。お前はマザコン野郎やと、ちょっと皮肉を()かせたつもりなんや。  せやけどお前は俺を誤解(ごかい)している。確かにそうや、おかん大好き。俺は救いようのないマザコン野郎やけども、この時はおかんのことは考えてへんかった。  (とおる)に抱かれてゆらゆら()れてる。かすかな波のローリングが感じられる。肩にもたれてそれを感じると、確かに心地いいような気がしなくもない。  でも離れてもうたら、また苦しいだけの波やで。船なんか嫌いや。どんな波でもお前と抱き合って揺れるんやったら、気持ちいいかもしれへんけど、一人やとつらい。一緒がええんや。 「ほんまにお前は、どうしようもない男やな。水煙(すいえん)様と相性(あいしょう)ぴったりみたいなのを、()りに()って、この俺のいる前で見せつけてくれたりして。どないなっとんねん、アキちゃんの脳の神経回路は」  ぼやく口調で優しく(とが)めて、(とおる)はそれでも俺の背を()でていた。  悪い子ぉやわ、アキちゃんは。昔、おかんが、俺によくそう言うてた。ぼやくみたいに。ちょうど今の、(とおる)みたいに。  おかんは優しい。怖いけど綺麗(きれい)やし、俺がどんなに悪い子しても、結局は許してくれる。泣いて戻れば、抱いてよしよししてくれる。そんなんやからマザコンやめられへんねん。  (とおる)もそうかもしれへんかった。俺にとっては、おかんみたいなもん。  今となってはもう俺も、いくらなんでも、おかんには、弱音は()かへん。二十一やで、ええ歳して、十やそこらの餓鬼(がき)やない。  それでも弱い男やねん。ヘタレな(ぼん)なんやからな、弱音()きたい時もある。  そういう時に頭に浮かぶのは、なんでか(とおる)の顔やねん。この白い手。白い腕。それに抱かれて甘えたい。そんなことを考えている。  マザコンより強い、水地(みずち)(とおる)コンプレックス。不治(ふち)(やまい)や。しかも症例(しょうれい)は世界に俺ひとりだけ。そうであって欲しいところや。 「()くなよ……アキちゃん。なんか(いや)な予感すんで……」  俺を抱きながら、(とおる)がいかにも(あせ)ったように言った。 「()かへん。()きそうなだけや……」  俺の返事を聞いて、(とおる)はびくっとした。 「水煙(すいえん)、アキちゃん連れて戻るわ。(おか)に返さな、こいつは(おか)の生きモンらしいで。海は無理!」  俺の腕を引いて出ていく(とおる)にビビったように、水煙(すいえん)怒鳴(どな)った。もちろん声ではない声で。  アホか! 俺を置いていく気かと。 「泳いで帰れ」  (とおる)は、しれっとしてそんな事を答えてた。  泳げるわけないやん。歩かれへんのに。  それとも泳げんのかな、水煙(すいえん)。  そういえば水族館(すいぞくかん)で見た人魚(にんぎょ)、何とはなしに水煙(すいえん)と同じ系統に見えた。同じシリーズというか。イルカとクジラは同種族みたいな程度には近いような。  水煙て、もしかしたら、(おか)()い上がった人魚(にんぎょ)か。だから歩かれへんのか。  でもお話の人魚姫は歩けてたで。足痛いだけで。ダンスもしていた。  ほんで王子様と結婚できひんで、あえなく海の(あわ)に。そういう魔法がかかってるんや。確かそういう話や。  まさか水煙(すいえん)も、そういう話やないやろな。  まさか水煙(すいえん)とも結婚せなあかんとか、そういう事はないよな。それは重婚、というか、一夫多妻、というか。ハーレム状態。

ともだちにシェアしよう!