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17-15 アキヒコ

「あんな短時間で陸酔(おかよ)いまでするなんて……(すぐる)さんがいずれ、お二人を(さそ)って、ホテルのクルーザーでも出そうかなんて言うてましたけど……やめますね」  気の毒というより面白いという顔をして、神楽(かぐら)さんがバックミラーの中から笑って俺を見ていた。  やっぱり小さい悪魔(サタン)や、お前は小悪魔系(こあくまけい)なんや。神父のくせして人の不幸を笑うとは。  そしてその、船酔(ふなよ)いも陸酔(おかよ)いもしない素敵(すてき)(すぐる)さんは、なんでかホテルの玄関(げんかん)で待っていた。  虫の知らせやと言うてた。もうじき戻ってくると、そんな気がしたんやって。  誰がって、(よめ)がやないか。神楽(かぐら)(よう)接近(せっきん)察知(さっち)できたらしいで。  別に超能力やないねん。なんとなく分かったらしい。ただの(かん)。当てずっぽうや。  たまたまその場に()ったんで、神楽(かぐら)さんに喜びそうな事を言うてやっただけかもしれへん。気障(きざ)なおっさんやからなと、それは(とおる)の意見。  お帰りと、中西(なかにし)さんはにこにこ言うた。それに神楽(かぐら)さんはぼうっとしてた。そしてその、恋しかったみたいな顔で呆然(ぼうぜん)と、ただいまと言うた。  二人は()ずかしげもなくホテルの玄関先で抱擁(ほうよう)していた。  俺と(とおる)はもちろんそれからは意図的に目を(そむ)けていた。  しかし湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)はもちろんガン見していた。 「おおすげえ! 薔薇(ばら)や! 背景に薔薇(ばら)が……」  さすがに()られて見てもうたわ。  神楽(かぐら)さんの背後から、半透明(はんとうめい)薔薇(ばら)がにじり寄っていた。ホテルの入り口で待ちかまえていたようやった。  神楽(かぐら)さんはそれに、気がついていない。  でも、うっとり抱かれてるその背をよしよししてやっている中西(なかにし)さんは、気がついている。笑いを必死でこらえてる顔してる。笑うたらバレてまう。バレたらお(はら)いされてまう。それは()しいって、思ってるらしい顔やった。  (とおる)は車の窓から半泣きでそれを見ていた。ハンカチあったら(はし)っこ()みそうな顔やった。 「藤堂(とうどう)さん、なんであんなんなってもうたんや。なんであんな、吹っ切れてもうたん?  遅い、遅いのよ、アホなるのが遅い……」  くよくよ指()んで言うてる(とおる)に情けなくなってきて、俺はハンカチ代わりに、うちの家紋(かもん)蜻蛉(とんぼ)(がら)の、いつも持ってる手拭(てぬぐ)いを貸してやった。  (とおる)(あん)(じょう)それを、びりびりに()()いていた。そんなに(くや)しいんかお前は。おかんが作らせてる秋津家(あきつけ)グッズになんて仕打(しう)ちを。 「アキちゃん、俺らも抱擁(ハグ)を、あそこに立って花背負(せお)って抱擁(ハグ)しよか!」  涙目(なみだめ)(とおる)に言い寄られ、俺はがっくり来てた。 「()り合うな……勝てるわけない。神楽(かぐら)さんの薔薇(ばら)はほんまもんの薔薇(ばら)(せい)やで。それに花なんか出せるか、抱擁(ハグ)したくらいで……」  さあ抱き合おうみたいに(せま)ってくる(とおる)をじわじわ()けて、俺はいじけた。  なんでまた中西(なかにし)さんなんや、神楽(かぐら)さん。働いたの俺やのに。お帰り言うただけの人に全部持って行かれてる。 「あらあ。本間(ほんま)君やないの」  どっかで聞いた女の人の声で言われ、(ほが)らかそうなその声のしたほうを、俺は探した。  後部座席側の窓をこんこんと、微笑(ほほえ)んでいる()(がみ)小夜子(さよこ)さんがノックしていた。  新開(しんかい)道場の奥さん、俺の剣の師匠の(よめ)さんや。  日傘(ひがさ)さしてる。白レースの。そして()(がみ)。そして白ブラウスに(こん)のフレアスカート。バレエシューズ。典型的(てんけいてき)な神戸ファッション。  そして(よめ)だけやのうて、新開(しんかい)師匠(ししょう)本人もいた。道着やない、ごく普通の半袖シャツとズボンで。 「師範(しはん)?」  窓開けて、俺は怪訝(けげん)(たず)ねてた。 「何や、その顔。あかんのか、俺も()ったら」  いつもの髭面(ひげづら)で、師範(しはん)はからかうような(しか)りつけ方をした。  どう見ても、中身は日本刀やろうという、紫色の(きぬ)にくるまれた長物(ながもの)を持っている。雷電(らいでん)やろう。新開(しんかい)道場に伝わるご神刀や。 「なんで、洋服着てはるんですか。日本刀まで持って。(つか)まりますよ、異常者やと思われて、警察連れて行かれる」  俺は心配して言うたんやで。師範(しはん)、しょっ引かれたら大事(おおごと)やと思うて。銃刀法違反(じゅうとうほういはん)やで、日本刀持ってうろうろしたら。 「アホか。刀ならお前も持って歩いてるやないか。それに俺が洋服着てたらあかんのか。いつも道着なわけないやろ!」  普通やわ、師範(しはん)。普通の服着てたら、髭面(ひげづら)がむさ苦しいだけの、普通のおっさんやった。  とても(かみなり)を呼ぶご神刀振り回す、その(すじ)の人とは思われへん。  おっさんのくせに体格(ガタイ)がいい。その程度にしか普通で無さがない。 「あの人、女の人かな。男の子? 綺麗(きれい)やわあ……宝塚(たからづか)のスターみたい」  ほうっと感嘆(かんたん)のため息ついて、小夜子(さよこ)さんがエントランスにいる神楽(かぐら)さんを見ていた。  またそれか、小夜子(さよこ)さん。また宝塚(たからづか)。あれ男です。神楽(かぐら)さん男の子やから。 「本間(ほんま)、お前……なんか()ってきたやろ。肩に塩()いとけよ、厄払(やくばら)いに」  顔をしかめた小声で、新開(しんかい)師匠は俺に(ささや)いた。小夜子(さよこ)さんがうっとりお(いの)りポーズで、向き合って話す中西(なかにし)支配人と、天然で赤い薔薇(ばら)が出せる男・神楽(かぐら)(よう)を見るのに夢中でいる間に。

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