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17-16 アキヒコ

 水煙(すいえん)を見ただけで、新開(しんかい)師匠には、それが分かったらしい。  ぱっと見普通やのに、新開(しんかい)師匠も普通の人ではない。水煙(すいえん)見えてるし、それに、その時俺が(まと)っていた、死の舞踏(ぶとう)()り捨てた灰の名残(なごり)のようなもんも、師範(しはん)には見て取れた。  小夜子(さよこ)さんにも、見えるんやろかと、俺は初めて、それを思った。  たとえば見えてんのか、他のモンは目に入らんような顔をして、中西(なかにし)さんと話してる神楽(かぐら)さんが、むらむら赤薔薇(あかばら)にまとわりつかれているのとか、俺が抜き身のサーベルを、うろうろ持ち歩く男やということが。  小夜子(さよこ)さんは昔から、道場の運営にはノータッチやった。稽古(けいこ)が終わると、おやつ食わしてくれる優しい奥さんで、竹刀(しない)なんか(にぎ)ったこともない。  うちのおかんの暴虐(ぼうぎゃく)で、道場に化けモン出るって悪い(うわさ)をたてられた時にも、小夜子(さよこ)さんはにこにこしていた。  門下生(もんかせい)激減(げきげん)してもうて(こま)ったやろけど、お(じょう)さんみたいな人で、これで神戸帰れるんやし(うれ)しいわあって、そんなのんきさやったんや。  お化けなんて、私には見えへんかったけど。皆、臆病(おくびょう)な子ばっかりねえと、小夜子(さよこ)さんは笑っていたような記憶がある。  つまり、小夜子(さよこ)さんは普通の人なんやないか。それも相当(にぶ)い。霊感(れいかん)ゼロみたいな、ゼロどころかマイナスみたいな。  見えてない。()ずかしさ大爆発の、神楽(かぐら)さんの赤薔薇(あかばら)も。水煙(すいえん)も。その他の様々な怪異(かいい)も。  巫覡(ふげき)たちが歩いてる、鬼道(きどう)の世界も。 「なんで、こんなとこ来はったんです?」  俺も小声で師範(しはん)()いた。新開(しんかい)師匠は苦笑していた。 「しゃあない。()ばれたんやもん。俺も霊振会(れいしんかい)の会員さんやから」 「(うそ)やん……師範(しはん)、そんなこと一言も言うてなかったやないですか」  俺は(うら)んで話してた。 「そんなん、なんでいちいち言わなあかんのや。必要ないやろ。期待しとるで、新会員くん。肩の荷重いやろけど、お前ならやれる。本気出していかなあかんのやで」  にやにや(あわ)れむような苦笑をして、師範(しはん)(とおる)にめそめそ抱きつかれている俺の肩をぽんと(たた)いた。  神楽(かぐら)さんは運転席に戻ってきそうもない。  ホテルの配車係の人がやってきて、なんとなく燕尾服(えんびふく)を思わせる制服の黒も目に(あざ)やかな白手袋で、あたかもお屋敷の執事(しつじ)か使用人、そんな感じのきりっとした低姿勢から、お車をお(あず)かりいたしましょうかと、にこかやに俺に聞いた。  俺はこの人の顔に見覚えないけど、向こうはこっちを憶えてる。これが俺の車やということを、憶えてたんやから。さすがプロ。  お願いしますと俺は(たの)んで、車を明け渡すことにした。  助手席のドア開けて、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)が降り立った。ふうんという薄い笑いでホテルの建物を見上げ、奴は(にお)いを()ぐような顔つきをした。 「外道(げどう)だらけやな、先生」  それが(この)ましいというような口ぶりやった。  視線(するど)い切れ長の目で、湊川(みなとがわ)はいろいろ(なが)めたようやった。仲睦(なかむつ)まじい支配人と元神父。小夜子(さよこ)さんと新開(しんかい)師匠。エントランスの丸く()られた鉢植えの常緑樹。そしてロビーに見える沢山の人影を。  そして、にやっと笑った。 「ええホテルやな。気に入ったわ。信太(しんた)どこやろ」  親しげに名を呼ぶ口調は独り言めいていた。重そうな(びょう)(チェーン)に飾られた低めのベルトに指をかけて、モデルみたいな軽快なリズムをとる足でロビーに消えた。  ちゃらちゃら銀の鳴る音が、いつまでも耳に残るような、残像めいた余韻(よいん)のある(やつ)やねん。 「綺麗(きれい)な人やわあ……」  心底感心したというふうに、立ち去る湊川(みなとがわ)(なが)め、小夜子(さよこ)さんがほっぺたに片手をあてて、またため息ついていた。  ()たへんで、小夜子(さよこ)さん。このホテル、入っていくつもりなんやったら、いちいち綺麗(きれい)やわあ、そしてため息、みたいなんやってたら、何にもでけへんようになる。スルーせなあかん。美形がいてもスルー。  今やこのヴィラ北野(きたの)は、まさに妖怪ホテルそのものの様相(ようそう)で、霊振会(れいしんかい)の貸し切りによる巫覡(ふげき)とその式神(しきがみ)どもとで、ほぼ異界(いかい)みたいになっていた。  今日から()まるという新開(しんかい)夫妻を連れて、チェックインのためのフロントに行くと、顔を見るたび俺の胸がなぜかズキズキ痛む、例の綺麗(きれい)なお姉さんがいて、美しい笑顔と完璧な接客により、書類に記入している新開(しんかい)師匠の相手をしてくれた。  そうして住所と名前なんかを書き込む間にも、小夜子(さよこ)さんは見てるこっちが笑えてくるぐらい、あの人綺麗(きれい)やわあ、まあ、あの人も綺麗(きれい)やわあ、まあまああの人も……みたいなため息地獄に(おちい)っていた。  (とおる)はそれを、あんぐり(あき)れて見てた。  水煙(すいえん)は、ひさかたぶりに燃えたのに、よっぽど満足してたんか、剣のままやったけど、俺の手に戻り、ぐうぐう寝てるみたいやった。その、満ち足りた寝息のようなもんを、俺はなんとなく感じてた。  ここは、普通の世界やない。  こんなとこに()まって、小夜子(さよこ)さんは平気かな。普通の人やのに。 「綺麗(きれい)やわあ。私ね、(あこが)れてたんよ。ここに()まるの。前々から良かったらしいんやけどね、改装されて、もっと良くなったみたいって、宝塚(たからづか)で会った観劇(かんげき)仲間の子が言うてたの。それでいっぺん()まってみたくてね……まさか浩一(こういち)さんが、連れてきてくれるなんて、(うそ)みたいやわあ」  (うれ)しそうに(ほほ)()めて、小夜子(さよこ)さんは俺に話した。  それに俺は、なんと言うてええやら分からず、ただ曖昧(あいまい)な苦笑をしただけやった。

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