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17-17 アキヒコ

 師範(しはん)はたぶん、仕事で来たんやで。  そのついでにというか、自分も行きたいとせがまれて、小夜子(さよこ)さんを連れてきてもうたんやろか。  そうやない。師範(しはん)は奥さんを愛してた。  これは会員特典というやつや。ヴィラ北野(きたの)霊振会(れいしんかい)に貸し切られていた。(きた)る四日後の(なまず)出現に備え、会の偉いさんたちは、ホテルに一種の結界(けっかい)を張っていた。大地震に襲われても、この大本営(だいほんえい)が無事に生き残り、その機能を果たせるように。  そのためにここに巫覡(ふげき)式神(しきがみ)を集めたんや。結界(けっかい)張れる能力のある(やつ)らは、自分の身に被害が(およ)びそうになると、無意識にしろ意識的にしろ、それを()けようと防御用の結界(けっかい)を張るもんらしい。  そやから、そんな(やつ)らをここに()まらせておくことで、突然襲ってきた地震にも、とっさの防御網(ぼうぎょもう)を張ることができる。  それが俺が最上階のど真ん中の部屋に()められている理由やったんや。  会長・大崎(おおさき)(しげる)は読んでいた。俺はあの秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)と、登与姫(とよひめ)さまの間にできた子や。きっと、えげつないほどの力を秘めている。  火事場の馬鹿力で、アホみたいな力を出すかもしれへん。そうでなくても駄目(だめ)もとやと。  そんなホテルは、神戸に()るなら一番の安全圏(あんぜんけん)やった。  新開(しんかい)師匠は秘密にしてたんや。自分の血筋(ちすじ)の持つ力とか、普通ではない自分のことを。  せやから小夜子(さよこ)さんには、どうしても言われへんかった。あと四日したら大地震が起きるから、どこか安全なところへ逃げろって。  それでやむなく連れてきた。ヴィラ北野(きたの)()まってみたいわあっていう、お(じょう)さんみたいな奥さんを、(うれ)しいわあっていう気分のまま、何も説明せんと連れてきてたんや。  それを意気地(いくじ)がないと、俺は責めへん。  俺もそうしたかもしれへん。どっかの剣道の大会に出て、そこで自分に()れてくれた、何の力もない(にぶ)くて可愛い普通の女の子と結婚してたらな。  知られたくない。今時の世やのに、俺には血筋(ちすじ)(さだ)めがあるんや。鬼と戦う義務がある。そのための神剣を受け継いでいるやなんて。言うに言われへんよ、普通でなさすぎ。 「本間(ほんま)君と(とおる)ちゃんもここに()まってるの? なら今晩、いっしょに晩御飯(ばんごはん)食べましょうね」  にこにこ(うれ)しそうに、小夜子(さよこ)さんは俺らを(さそ)ってくれた。 「若い人らの邪魔(じゃま)したらあかんで、小夜子(さよこ)。若いモンどうし遊ぶほうが楽しいんやから」  訳知り顔の苦笑で止めて、新開(しんかい)師匠は部屋に案内しようというホテルの人についていくよう、小夜子(さよこ)さんに手招きをした。  師匠はもちろん知っていたやろ。俺と(とおる)がどういう間柄(あいだがら)やったか。(とおる)が人ではないことも。そしてロビーにたむろする顔の綺麗(きれい)な連中がみんな、人ではないことも。  三人そっくり同じ顔した、長い長い巻き毛の黒髪をした女を(はべ)らせて、ロビーのソファに腰掛けている白髪(はくはつ)の老人が、タイトな真っ黒いパンツスーツに身を包んだ女たちの、乳バーンみたいな露出度大の胸元を()り寄せられて、何かをしきりに強請(ねだ)られているのを見て、小夜子(さよこ)さんは目が点になっていた。  女たちの息ははあはあ荒かった。たぶん血が欲しいんやろ。あの(じい)さんが三人相手に頑張れると思えへん。  それとも頑張れるのか。それはそれで異界(いかい)や。三つ子のセクシーダイナマイツとジジイ。想像するだに目の毒や。  それだけやったらまだええよ。  よりによって小夜子(さよこ)さんは、その(となり)のソファで(とら)とめちゃめちゃキスしてる湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)を見てもうて、もともと点やった目が、さらに宇宙の彼方ぐらいに遠くなり、()かれた赤い絨毯(じゅうたん)にけつまずきながらエレベーターホールに消えた。  なんで()るねん、ここに。しかもなんでキスしてんねん、(とら)。DJのお兄さんと。  しかも(となり)に鳥さん(はべ)らせて。鳥さん、ぽかーんみたいな顔で見てるやないか。  さらに言うなら、(とら)はその鳥さんと手を(つな)いでた。赤いのと薄茶のと、左右に(はべ)らす(とら)さんやった。  俺はそれに、開いた口が(ふさ)がらん。人のこと言えた義理ではないかもしれへんけど、そんなことしてええんかお前。  あかんやろ、いくら鳥さんがぽかんと見るだけで怒らんとしても、立場が逆やったらお前はどういう気がするねん。  しかしそれは、(やつ)らの感覚では浮気(うわき)には(ふく)まれないらしい。うちでは吸血(きゅうけつ)浮気(うわき)に含まれないという合意が、なし(くず)しに成立していたように、(とら)にとってキスは性行為ではない。  給餌(きゅうじ)や。エサ。飯食わせてるようなもんらしい。  信太(しんた)は口移しに何か精気(せいき)(かたまり)というか、(あめ)水飴(みずあめ)みたいなもんを与えてやれるらしい。  鳥が(ひな)にエサやる時に、とってきた食いモンを吐き戻して食わせるみたいなもん。  (とら)は神やと祈る人々から吸い上げた、まさに(とら)並みのお力を、信太(しんた)は仲間に分け与えてやっていた。  そうやって赤い鳥も育てた。欲しい言うたら、それが湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)でも、しゃあないなあってくれてやる。それが目当てで(やつ)信太(しんた)と付き合っていた。  そやから、しょうがない。(しき)(なつ)くのは、エサが見当てや。通常、それ以外に理由はない。  見なかったことにしよう。俺はそう思って目を()らそうとした。

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