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17-21 アキヒコ
俺はもちろん知らへんかった。どうでもええことや。俺にとっては。阪神勝とうが負けようが、俺の生活には何の関係もない。
せやけどそれは大問題やった。蔦子 さんと、その一門 と、そして亨 にとって。
「どないなったんや、昨日。俺まだ結果見てへん」
亨 はそわそわ禁断症状 みたいな顔をした。それでも平静 そうな小声やった。
たぶん、歩 み去る中西 さんが、まだ聞こえるところに居 たからやろう。野球に一喜一憂 してると知られたくないんやな。
お前はまだそんな無駄 な努力を続行してんのか。情けない。俺は正直情けない。
「さすがモグリやな、亨 ちゃん。しょせん俄 ファンや。俺なんか試合中にリアルタイムで携帯に実況メールが来ちゃうから」
虎 は虎模様 の携帯電話を、これを見よという、水戸黄門 の印籠 ばりの態度で俺と亨 に見せた。電話まで虎 か。工事中みたいやで。
「昨日はな……負けた。だから今夜、蔦子 さんには近づくな。今夜負けたら敗退 や。その時の蔦子 さんは、正気やない」
キレた蔦子 さんに気絶 以外の特殊 モードがある。そんなことを匂 わせる口調で、虎 はしみじみ言うていた。
そういえば、俺にもある。気絶か胃痛以外のブチキレモードが。
今夜は、蔦子 おばちゃまに、お会いしたくない。俺はそう思い、しみじみ怖 いと思いつつ、亨 と部屋に引き上げた。
そして部屋の電話に、メッセージが録音 されているという印 の、赤い小さなランプが灯 っているのを見つけてもうた。
俺はもちろん、それを聞いた。誰やろうと、深く考えはせず。
そして電話は話した。蔦子 おばちゃまの声で。
『もしもし、坊 か? なんで部屋にいてませんのや。今夜な、このホテルの近所に、スポーツ・バー言うて、テレビで試合見ながらお酒飲める店があるそうなんどす。コンシェルジュの人が教えてくれましたんえ。そこへ行きますよって、あんたが車で送りなはれ。よろしいな。八時にロビーで待ってますから、おめかしして来なはれ。大事な話もあるんや。すっぽかしたら、ただでは済ましまへんえ』
果 たし状 やった。殺人予告というか。
俺は内心震え上がっていた。
とうとう来たかと思ったんや。蔦子 さんが話したいのは、竜太郎 のことに違いないと。
うちの大事な跡取 りに手出したら承知 しまへんえ的 なことを言われるに違いない。
出すわけない、蔦子 さん、俺もそこまで変態 やないから。
たぶん。
そんな一言が、ついつい追加されてまう程度に自信はなかったけども、それは俺のせいやない。血筋 の呪 いや。
それでも蔦子 さんには、一言 言 い訳 させてくれ。俺が誘 ったわけやない。竜太郎 が勝手に惚 れた。不可抗力 やねん。そこんとこちゃんと理解しといてもらわへんかったら、俺も立場が無さ過ぎる。
どうやって話そうかって、そんなことばかり考えて、俺は暢気 やったな。夜も二人でのんびりできへんのかと、ぷんぷん怒ってる亨 に平謝 りをしつつ、何着ていこかと困 ってた。おめかしって、どんな格好 なんやろか。
言うほど着替え持ってきてないねんけども。
そう思って開いたクロゼットの中には、いつの間にやら、確か海道家 で見たのと同じ、ずらっと並ぶ新品の服がつり下げられていた。
しかもスーツが、これを着ろと言う気配むんむんで、開いた扉の内側に吊 されていた。
たぶん、蔦子 さんたちがチェックインするときに、ついでに持ってきたんやろ。
そうか、このためのスーツやったんかと、俺は納得をした。海道家 でクロゼットを開けたとき、なんでスーツあるんやろと思ったもんやったけどな。
そやけど蔦子 さんは、この日のことが視 えていたんか。だとしたら、あの人は、何日先まで視 られるんやろ。
そんなことも俺は、知らへんかった。おかんの親友で、おとんの死のショックで三年寝込んだという、海道 蔦子 という人のことを、なんも知らん。
そしてこの夜、知ることになる。血筋 の定 めというやつが、皆に等 しく試練 を与えていくことを。
蔦子 さんは、お見通し。おかんと同じで、何もかも知っている。
ただ、うちのおかんが知っているのは、すでに起きた過去のことだけで、蔦子 さんが気の毒なのは、まだ起きてへん未来のことまで、お見通しということやった。
――第17話 おわり――
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