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18-1 トオル

 スポーツ・バーは外道(げどう)で満員なってた。  店の人には、()(がた)いんか、迷惑なんか、さっぱりわからへん。  晩飯時(ばんめしどき)からわらわら現れた人ならぬお客さんやら、それを連れてる巫覡(ふげき)の皆さんやらで、細長い店内はあっというまに超満員。  普段そこの席を()めてる常連さんや、たまたまちょっと(のぞ)いてみようかという普通人(ふつうじん)の一見さんは、今夜はなんでか都合(つごう)が悪うなったり、家族で()ごそかと思ったりして、偶然(ぐうぜん)()えへんかったらしい。  そんなん、霊振会(れいしんかい)の手にかかれば何とでもなる。アキちゃんみたいなのが、うようよいてる会なんやから。一般の人は、ちょっと遠慮(えんりょ)してくれへんかって思うだけで充分(じゅうぶん)なんや。  アキちゃんと俺と、そして水煙(すいえん)様を(したが)えて、海道(かいどう)蔦子(つたこ)おばちゃまはスポーツ・バーに乗り込んだ。  今日は前に見たような、黄色い縞々(しましま)(とら)応援(おうえん)ルックやのうて、夏とはいえ、これでもかと()の張りそうな薄鼠(うすねず)牡丹(ぼたん)訪問着(ほうもんぎ)を着込み、(すそ)には金糸の刺繍糸(ししゅういと)をきらきらさせてる。  せやけど(おび)(とら)やった。(おび)のお太鼓(たいこ)に、ほんまもんの金糸(きんし)で描かれた(とら)が、ガオーて言うてる。それが鬱蒼(うっそう)(しげ)(つた)と、青海波(せいがいは)濃紺(のうこん)(かざ)られている。  その上の空には、赤い千鳥(ちどり)が飛んでいた。泣きながら。たぶんそうなんやろうと思う。(なみだ)か雨か、そんな(しずく)のようなもんが、銀の糸で刺繍(ししゅう)されていた。  背景には六甲山(ろっこうさん)。その(いただき)には白々(しらじら)と雪が降り()もっていた。  他にも何やいろいろと、これは何やろと意味深(いみしん)な絵が浮かんでたけど、じろじろ見るなて言われたもんで、ちら見で分かったのはそのへんまでや。  たぶんそれは蔦子(つたこ)さんの式神(しきがみ)を描いた絵やった。(とら)信太(しんた)で、千鳥(ちどり)寛太(かんた)やろ。それから六甲山(ろっこうさん)の雪はたぶん、あの眼鏡(めがね)銀髪(ぎんぱつ)や。なんて言うたかな、名前。 「啓太(けいた)」  本人がいた。  いかにも冷徹(れいてつ)そうな真面目顔(まじめがお)をした、銀髪(ぎんぱつ)眼鏡(めがね)くんを(ねぎら)う声で、蔦子(つたこ)さんは席を温めていた式神(しきがみ)の名を、挨拶(あいさつ)()わりに呼んでいた。  温めてたというより、むしろ冷やしてたというべきか。何とはなしに、ひんやりした空気を(まと)ってる。こいつは氷雪(ひょうせつ)(せい)なんやと、確か信太(しんた)が言うてたはずや。 「あんたはもう、帰ってよろし。会合(かいごう)手配(てはい)、お(つか)れさんやったな。皆さんお(そろ)いのようで……」  テレビではもうとっくに試合が始まっていた。店の壁には、でっかいスクリーンがあり、そこに阪神タイガースの試合中継が映し出されてる。  蔦子(つたこ)さんはそれを一時(いっとき)、じいっと見たけど、点数表示が0対0なのをチェックすると、ふんと小さいため息をついて、自分のために()いていた席にすとんと腰掛(こしか)けた。  そこは長いテーブル席やった。蔦子(つたこ)さんの席は中央あたりにあり、その横にアキちゃんと俺を座らせた。水煙(すいえん)は剣やったから、椅子(いす)は無し。行き場もなくてジュニアの(ひざ)の上やしな、お役得(やくとく)やで。  こんな店やけども、集まった面々(めんめん)はみんな、正装(せいそう)していた。男はだいたい和装かスーツ。女の人らも着飾っている。それで蔦子(つたこ)さんはアキちゃんに、おめかしして来いて言うたんやな。  ドレスコードどおりに、アキちゃんは久々でスーツを着ていた。学生のくせに、(わり)とよう着こなしている。  昔から、おかんのお(とも)で大人のいる席に出ることが多くて、アキちゃんはなんと幼稚園のころからスーツ着用の餓鬼(がき)やったらしい。  半ズボンやで。嵐山(あらしやま)の家で写真見たもん。可愛(かわい)いねんで。俺は幼児趣味はないけどな、それがアキちゃんやと思うと()()えで、べろんごっくんしたいぐらいや。  育ったら育ったで、()()えやけどな。まったく、せっかくアキちゃんがスーツ着たのに、そのままベッドに押し倒せないとは、なんというつらい夜やろ。とっとと帰って()がさなあかん。  そういう俺はスーツではない。そんなもん用意されてなかった。  その代わりに、いかにもこれを着ろという感じで一揃(ひとそろ)い、前に信太(しんた)が言うてたような、グレーの錦蛇(パイソン)(がら)のパンツと、若干(じゃっかん)ウエスタン調(ちょう)の白いシャツがクロゼットの戸に()けられていた。  いいよ。なんでも着るよ、(とおる)ちゃん。  でもな、ほんまにこんな格好(かっこう)でええの。これが、おめかししたという服なの? ただのネタやないの?  せやけどまさかアロハ着ていくわけにもいかへんしな、他には普段着のラフな格好(かっこう)しかない。それやったらもうパイソンでも何でも同じようなもんやろ。  それはどうも、(へび)なんやから(へび)っぽい格好(かっこう)をしろという意味らしかった。  店にたむろする式神(しきがみ)たちは、皆それぞれ、なんとはなしに正体(しょうたい)(にお)格好(かっこう)をして現れていた。信太(しんた)()ったら、きっと(とら)の絵のあるアロハで来てたやろ。  けど、信太(しんた)の姿は見えへんかった。鳥さんもおらへん。  蔦子(つたこ)さんは、店の段取りをやらせたらしい氷雪(ひょうせつ)(せい)を帰してしまうと、一人も式神(しきがみ)を連れてない丸腰(まるごし)やった。  他の巫覡(ふげき)は、最低でも一人は連れて来てるようやのに、なんで蔦子(つたこ)さんは単身(たんしん)乗り込んできたんやろ。あいつらも阪神戦、見たかったやろうにな。  しかしこれは、野球を見る会ではなかったんや。

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