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18-7 トオル

 眼鏡の奥の糸目(いとめ)から、(きつね)(しき)がちらりと流し目をくれて、横にいる主人を(なが)めていたわ。  アキちゃんは、真顔(まがお)で押し(だま)っていた。いつも顔や、テンパってる時のアキちゃんの。なんて返事していいかわからへん、頭真っ白っていう時の顔やんか。 「先生、()出口(でぐち)相済(あいす)みませんけどやな……」  やんわりとそんな前置きをして、(きつね)口利(くちき)いた。 「なんや、うるさいぞ、秋尾(あきお)」  (ののし)ったけど、大崎(おおさき)(しげる)(しゃべ)るのを止めたわけではなかった。(だま)れとは言わへんかったんや。 「秋津(あきつ)にはもう、ろくな式神(しきがみ)()らんのですわ。この(へび)と、あとは水煙(すいえん)、それで全部やろ。(まい)登与姫(とよひめ)さまが連れていってもうたし、だいたい、あいつは前も食い残された。水煙(すいえん)もあかんのですやろ、(なまず)様は鉄気(かなけ)は食わんとかで……」  横目にチラ見しながら話す(きつね)のほうを、大崎(おおさき)(しげる)はチラとも見ずに腕組みをして、どことなくぼけっとして見えるアキちゃんを(にら)み付けていた。 「それはそうや。そやけど(へび)()るやないか。十年前にたらふく食うて眠った後や、何かの拍子(ひょうし)目醒(めざ)めてもうたけど、何かちょっと(つま)みたいという程度なんやで。(へび)一匹食えば足りるやろ」  ほんま洒落(しゃれ)ならん。  大崎(おおさき)(しげる)はじろっと俺を見た。値踏(ねぶ)みするような目やったわ。目利(めき)きが絵やら骨董(こっとう)やらを、じっと鑑定(かんてい)するみたいなな。  俺は目を(すが)めてそれと向き合っていた。  何が(へび)一匹食えば足りるやねん。こっちにもこっちの都合(つごう)があるわ。  そんな簡単に食われるわけにはいかへんで。食われたら死んでまうやんか。死んだらアキちゃんと永遠に生きられへんやんか。ハッピーエンドにならへんで。 「そやけど先生、それはどうですやろなあ。昔の秋津(あきつ)は確かに三都(さんと)守護(しゅご)する巫覡(ふげき)宗主(そうしゅ)で、どえらい式神(しきがみ)もぎょうさんお(かか)えやったけども、こう言うたらなんやけど、年々それも(おとろ)えてきて、(さき)(いくさ)の後にはもう、宗主(しょうしゅ)というほどの権勢(けんせい)はあらしまへん。なんというても今時の世や、民主主義(デモクラシー)ですやろ、四民平等(しみんびょうどう)やんか、お殿様(とのさま)とそのご家来(けらい)みたいな、そんな時代やないんですやろ?」  しんみり話す(きつね)の話を、大崎(おおさき)(しげる)は顔をしかめて聞いていた。 「お前は、いつの時代の話をしとるんや。四民平等(しみんびょうどう)明治維新(めいじいしん)やで。(わし)もまだ生まれとらんわ。そんな昔の話すな」 「はい、すんまへん。そんな昔のことやったっけ……」  (きつね)にとっては百年(ひゃくねん)一昔(ひとむかし)らしかった。マジでボケてたみたいな顔をして、(きつね)はしおしおなってた。  そんな有様(ありさま)にイラッと来たんか、大崎(おおさき)(しげる)はばしばしテーブル(たた)いて言った。 「要点(ようてん)はなんや、お前は何が言いたいんや。イラッと来るわ、お前と話しとると」  大崎(おおさき)(しげる)はイラチらしかった。イライラ言われて、(きつね)はおっかないわあという(ふう)に、小さく首をすくめていた。 「(よう)するにですねえ、先生。民主主義(デモクラシー)の世や。ここは公平(こうへい)に、(くじ)取りで決めたらどないですやろ。秋津家(あきつけ)にだけ厄介(やっかい)を押しつけて、後は知らん、お殿様(とのさま)やから、それで当然や言うてやっていうてたら、今後はもうあかんのやないか。だって実際のところ、それでやっていけるだけの力が宗家(そうけ)にあらしまへんやろ?」 「ない」  大崎(おおさき)(しげる)は勝手に断言してやっていた。  他人の家やで、大崎(おおさき)先生。アキちゃんが言うならまだしもや、それか蔦子(つたこ)さんくらいまでやろ、うちはもう落ちぶれてるからって言うてもええのは。なんで他人のあんたがそんな事まで言えるんや。  しかしな、この(じい)さんは、秋津家(あきつけ)マニアというかやな、自分もその血族の一員であるかのような意識が根強くある男やった。  赤ん坊の頃に嵐山(あらしやま)のお屋敷(やしき)(あず)けられ、(げき)として一人前になって(ひと)り立ちするまでいたらしい。聞けば、十六、七の頃まで住んでたそうや。  そうして家を出される時に、登与姫(とよひめ)(よめ)として(もら)い受けたい、うちの実家は豪商(ごうしょう)やし、決して不自由はさせへん。お姫様みたいに大事にするって、ほんまに土下座(どげざ)して(たの)んだらしい。  でもあかんかってんて。お前は力が足りんと言われ、血が(にご)るから論外(ろんがい)やと()られたらしい。登与(とよ)ちゃんにやないで、その親にやで。  まあでも、登与(とよ)ちゃん本人に(たの)んだところで、どうせ()られるということは、大崎(おおさき)(しげる)は知っていた。それでも駄目(だめ)もとで親に土下座(どげざ)してみたんやないか。  案外、ええよって言うかもしれへんしな。娘は兄貴に()れてるけども、兄妹(きょうだい)ではさすがにまずい。ヘタレの(しげる)でええかって、万が一にも言うかもしれへん。  しかし結果は玉砕(ぎょくさい)で、登与姫(とよひめ)はなんか関東のほうの、鬼道(きどう)の家の跡取(あとと)りと、結婚させられることに決まってたらしい。  そやけど、そいつも戦争で死んでもうてな。登与(とよ)ちゃん、いかず後家(ごけ)やないか。  そやのに結婚してくれへん。いつの間にやら誰の(たね)とも知れん子を産んで、それがアキちゃんなんや。  鞍馬(くらま)のカラス天狗(てんぐ)の子やと、おかん、大崎(おおさき)(しげる)には言うてたらしい。それは(うそ)やけど、一種の愛やろ。知ったら傷つくと思うたんやろ。

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