220 / 928
18-10 トオル
そんな話は初耳 やった。おかんが帰宅するとは。アキちゃんのところに寄越 す手紙には、そんなこと一言もなかったで。
「ウチなあ、茂 ちゃん。頼 まれましてん。息子はまだ若輩 やさかい、あんたが秋津 を守っておくれやすって。登与 ちゃんが、不在 の間な。それに、任 しといてて約束しましたんや。これでまた、何のお役にも立てずやったら、ウチはもうあかん。これが正念場 やねん。登与 ちゃんが、式 を全部出したんや、ウチかて出せます」
「張り合うための場やないんやで、お蔦 ちゃん」
しかめた顔を、苦笑で隠して、大崎 茂 はたしなめたけど、蔦子 さんは相変わらず、ぼんやり頷 いただけやった。
「分かってます。そやけどな、二十年前には、ウチはびびってもうて、お断りしたんや、登与 ちゃんに。信太 を寄越 せと頼 まれたんどす」
突然出てきた虎 の話に、俺は静かにびっくりしていた。
テレビの野球中継では、熱狂した声のアナウンサーが、虎虎虎 の快進撃 やと怒鳴 るように解説していた。もはや解説になってない。自分も燃えてもうてるだけや。
「本家 と分家 を合わせたら、中でも信太 が一等強い式神 なんどす。せやから、あの子を供物 に捧 げて、それで済ますのが筋 やったんや。なのに、ウチは踏 ん切りつかんでなあ、嫌 やわって登与 ちゃんに言うてもうて。ほんならよろし、って事 も無 げに言うもんやから、どこか他で調達 したんかと。ましか自分の式 をあらいざらい食わせるやなんて、思いもよらへんかったんや……」
苦々 しく言い終えてから、蔦子 さんはムッとしたような顔をした。それはどうも、自己嫌悪 の顔やったらしい。
「いいや、ほんま言うたら、困 ればええわと思ったんかもしれまへん。嫌 は嫌 やしな、ウチかて信太 を出すのは。それは本音 のとこどす。せやけど、茂 ちゃん、あんたが言うように、こんなヘタレの坊 にその痛みを押しつけて、またもやウチは胸撫 で下ろす、そんなことでは情けない。意地 を見せます、ウチかて秋津 の女やで。惜 しまへん、式神 の一人や二人、それが血筋 の務 めやて言うんやったら、鯰 にでも何でも食わせてみせます」
蔦子 さんは、ものすご激 しく断言していた。
それが式神 を誰も連れてきてない理由やったんや。そいつの口から信太 に漏 れたら困るからか。聞いたあいつがビビってトンズラこいたら恥 やもんな。
でもな、逃げへん。信太 は逃げへんような気がするわ。だって昼間はそう言うてたやんか。蔦子 さんが死ねと言えば死ぬって。あれは冗談 とか、ええ格好 して言うてるような目ではなかった。
もしかして、あいつ、知ってたんちゃうんか。こういう話になるって、もっと前々から、よく知ってたんやないか。
もう最後やしと思って、可愛 い鳥さんと仲良うしてたいんやないか。アキちゃんのおとんが、出征 する前に、鞍馬 でおかんと蜜月 やったみたいにな。
でもそんな、無責任な。どうすんの、それで遺 されるほうの気持ちは。
鳥さん、アホやからええの。信太 おらんようになったわあ、って困 るやろけど、別にええんか。他にも居 るみたいやしな、面倒 みてくれそうな奴らが。
だけど寛太 はお前が好きやて言うてんのやで。
そんなんやったら、俺はあいつを焚 き付けたりせえへんかった。虎 が死ぬ気で居 るんやったら、愛 やろなんて教えへんかったで。
気がつかへんまま別れたほうが、鳥さん絶対ラクやったんやから。それこそアホやねんから、俺さえ妙 なこと吹 き込まへんかったら、あいつ自力 では気づかんままで済んだかもしれへんのにさ。
やってもうたよ、亨 ちゃん。よかれと思ってやったんやけど、痛恨 のエラーやで。絶対に客席からブーイングとか座布団 とか飛んでくる。ヤカンまで投げられるかもしれへん。投げられてもしゃあないような、要 らんことをした。そんな気がする。
せやけど俺は、因業 な蛇 なんや。それやったら代わりに俺が行こか、って、到底 言われへん。怖いもん。アキちゃんと、ずっと一緒に居 りたいもん。どうせ誰かが泣く羽目 になるんやったら、俺やアキちゃんやのうて、他のがやってくれって、それが本音 やもん。
鳥さん泣いたら可哀想 やけど、ええやん別にフェニックス。あいつが泣けば皆喜ぶ。そういうことでハッピーエンドやって、それやったら、あかん?
あかんよなあ……。
それはあまりに俺も気まずい。誰にって、誰よりも、この話を聞いてくれてる皆に気まずい。亨 ちゃんサイテーみたいな、そんな白い目で見られると、俺もつらい。
かくなる上は、狐 に死んでもらおか。まあええかて本人言うてるしさ。別にええんちゃうか。
さようなら秋尾 さん。忘れへん、あんたのことは。俺が永遠に語り継 いでやるから、恨 まず成仏 してくれ。俺かて狐 の怨霊 は怖い。
そう思ってチラ見すると、秋尾 はにやにや笑って俺を見た。
「ほな先生、ここで決めても何やから、籤 取りは明日以降にでも、有志 が出尽 くした頃に改めてしましょうか」
いかにも事務的な口調で、狐 は朗 らかに場を取り仕切った。いかにも秘書 らしい仕切り方やった。
ともだちにシェアしよう!