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18-11 トオル

 大崎(おおさき)(しげる)は苦い顔して、それに(うなず)いただけやった。ウムて言うとけば(きつね)がなんでもそつなく処理するていう、そんな暮らしに慣れてるみたいな様子やったわ。  この人かて、秋尾(あきお)が死んだらつらいんやろか。つらいんやろうなあ。たぶん。  なんにも言わへんかったけど、眉間(みけん)(しわ)がめちゃめちゃ深い。まるで苦悩してるみたいや。  してるんかもしれへん。話によればこの(きつね)、大崎先生が赤ん坊の時に伏見(ふしみ)稲荷(いなり)から(つか)わされ、ずっと(つか)えてきた式神(しきがみ)らしいねん。  人ならぬ目をして生まれてきた赤ん坊にビビった親が、大金(たいきん)()んでお稲荷(いなり)さんに、どうかこの子が人並みの暮らしができますようにって願掛(がんか)けて、今では立派(りっぱ)に人並み以上の大名暮(だいみょうぐ)らしやろ。とっくの昔に大願成就(たいがんじょうじゅ)してんのや。  それでもしつこく(そば)()いてて、離れがたかった間柄(あいだがら)やねんから、契約(けいやく)以上の何かはあるわ。  ほんまは(しき)やないんやないか。だってもう契約(けいやく)切れてるはずなんやから。まだまだ人並みやないって、(きつね)が認めてへんだけや。 「皆さん、そんな段取りですので。供物(くもつ)の件は後日。死の舞踏(ぶとう)とのチャンバラは、もちろん全員態勢で。(りゅう)については予知ができたら発表と、そういうことで、よろしゅうお(たの)(もう)します」  にこやかに話をしめて、(きつね)大崎(おおさき)(しげる)()いた。先生、ビール飲まはりますか。ヱビスにしますか、それともキリンにしはりますかと。  ややあってから、大崎(おおさき)(しげる)は怒ったような声で答えた。アサヒにしろと。  (きつね)はそれに、はいそうしますと答え、それから蔦子(つたこ)さんにも何飲むかと(たず)ねた。蔦子(つたこ)さんは、よっぽど元気ないんか、(しげる)ちゃんと同じもんでええわと投げ()りに答えてた。クヨクヨするなら言わんかったらよかったのに、(ねえ)さん。  しかし、元気ないと言えば、この場で最も元気ないんは、アキちゃんやった。気配(けはい)薄い。()るのか()らんのか、全くわからんぐらいに気配(けはい)が死んでいる。  (となり)の席にいるアキちゃんの、じっと考えてんのか、もう脳みそ死んでんのか、よう分からんような微動(びどう)だにせえへん横顔を、俺は遠慮(えんりょ)しつつ見た。  アキちゃんは、(ひざ)の上にある水煙(すいえん)(つか)(にぎ)りしめていた。その(こしら)えには、秋津家(あきつけ)家紋(かもん)である蜻蛉(とんぼ)のマークが入ってる。  この剣が家督(かとく)象徴(しょうちょう)で、アキちゃんはこれを投げ捨てようか、それとも(にぎ)ったままでいようかと、悩んでいるように見えた。  でもな。投げたところで、どうすんの。俺とどこか遠い、地の果てまでも逃げてくれんのか。(とおる)が死んだら(いや)やって、そのことだけを考えて、一緒にトンズラこいてくれるんか。  そして何もかも忘れて、俺とふたり、面白おかしく生きていけるか?  時々ものすご暗い顔とかせえへん? あの時逃げたの間違いやったって、死ぬほど悩んだりせえへんやろか。  もしも逃げてもうたら、アキちゃんはもう二度と、大好きな京都には帰られへん。祇園祭(ぎおんまつり)も見られへん。嵐山(あらしやま)の家にも帰られへん。おかんにも、おとんにも合わせる顔がない。  ご先祖様にも申し訳が立たへん。絵ももう、描かんようになるかもしれへん。アキちゃんはきっと、生ける(しかばね)みたいになるわ。  それでもお前が生きてて良かったわって、俺を(いと)しく見つめてくれるか。  きっとそうやろ。アキちゃん優しい子やしな、俺のこと愛してくれてる。お前を守れてよかったわって、きっとそう思ってくれる。  その時のアキちゃんにとって、俺は世界の全てやろう。俺の他には何もない。そのために、全部捨ててもうた後なんやからな。  そうなったらいいのにと、ずっと願ってたような事やわ、俺にとってはな。  せやけど、何でやろ。ちっとも(うれ)しい気がせえへん。そんなアキちゃん見たくないわって、怖いような気がする。可哀想(かわいそう)やし見てられへん。  (とおる)が死んだら可哀想(かわいそう)やって、それに(ほだ)されトンズラこいたら負け犬や。そのままずっと生きていく。大阪で死んだ犬とか人間どものことさえ、時々思い出して、ものすご遠い目してたのに、今度はずいぶん事が大きい。  アキちゃん抜きでも、上手(うま)く行ったらええんやけどな、もしも失敗でもしてみ。アキちゃんきっと、激しく自分を責めるやろ。  目には見えへん自傷の傷で、満身創痍(まんしんそうい)みたいなツレを、俺は何百年、何千年と生かし続けなあかんのか。それはあんまり外道(げどう)やないか。あまりに切ない。  アキちゃんが幸せでないなら、一緒に何年生きようが、ハッピーエンドにならへんで。  これはどうも、トンズラこいたらあかん(ヤマ)やな。覚悟(かくご)決めろて(じじい)が言うんや。俺も俺なりに覚悟(かくご)決めてかからなあかん。  他のことならともかくも、他ならぬ(いと)しいアキちゃんのためなんや。こいつを男にしてやらなあかん。 「(ぼん)もビール飲むか?」  にこにこした優しい顔で、(きつね)がアキちゃんにも()いてやっていた。アキちゃんはそれに、小さく首を横に()っていた。  そんなもんは、(のど)通らんということなんか。それほど追いつめられてんのか、アキちゃん。 「俺、車で来てるんや、秋尾(あきお)さん……」  (けわ)しい顔で、アキちゃんは突然(しゃべ)った。むちゃくちゃ現実的な話やった。

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