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18-12 トオル
そういえばそうやった。アキちゃん、車で蔦子 さんの送り迎えしてやる約束なんやった。
そんな現実的なこと考える余裕あるんや。実は見かけほど脳みそ死んでない?
「ほなミルクでも飲む?」
冗談 なんやろ。狐 は笑いながら、アキちゃんにそんな意地悪 なことを訊 いていた。
アキちゃんはそれを、真顔 で見つめた。注文とって、伝えに行こうとしている下僕 の狐 を。
「俺って、そんなにあかん奴 やろか、秋尾 さん」
なんでアキちゃんは、狐 に訊 いたんやろ。
たまたまその場にいたからやろか。それとも、自分が死ぬかもしれへんのに、にこにこ余裕の顔をして、注文とってる狐 の後光 に中 てられてもうたんか。
アキちゃんは、お告げを求める顔やったで。
「あかんことないよ、坊 は逸材 やでえ。きっとそのうち、立派 な覡 になれる。何飲む。ほんまにミルク?」
励 ます口調で狐 は答えたけども、アキちゃんはさらに険 しい顔になってた。
「何かないの、秋尾 さん。そのうちやのうて、今すぐ立派 な覡 になる方法って。なんか無いんですか……」
悔 やむように言い、目を閉じるアキちゃんを、狐 は可愛 い坊 やなあという目で見下ろしていた。
「無いよ、そんなもん。ゆっくりなったらええんやないか。別に焦 ることない。坊 にはたっぷり時間あるやんか」
「無いねん、無いやんか、あと三日やないか。それでどないすんねん。地震 来たら人死にますよ。それはどないすんねん、ビール飲んでる場合やないです」
飲もうとしてた餅 の大司教 を指 さして、アキちゃんはほとんど八 つ当たりみたいにビシッと言うた。
それに大司教 は申し訳なさそうに、上げかけていたグラスを引っ込めた。しかしその横で、大崎 茂 は遠慮無く、アサヒをごくごく飲んでいた。
「熱うなるな、秋津 の坊 。しゃあないねん、それは……天災 なんやから」
いさめる年長者の口調になって、大崎 茂 はアキちゃんを止めた。
「鯰 に食われずに死ねば、また転生 できるしな。しゃあない、天地 のなさることやから。それから見たら儂 ら人の子なんて、虫けらみたいなものや」
「奇跡 は?」
またビールを飲みかけていた大司教 に、アキちゃんはめっちゃキツい口調で訊 いていた。それで餅 は気の毒に、またグラスを引っ込めた。
「奇跡 は、とは?」
目をしょぼしょぼさせて、餅 はアキちゃんに聞き返してた。
「本日この場でなんか奇跡 起きますて、はじめに言うてはったやないですか。あれ、どこ行ったんです?」
約束違うやんか、って、アキちゃんはものすご遠慮無く言うてた。
アキちゃんてな、約束違うの耐えられへんねん。そういう性分 の子やねん。
怖いよ。買った商品に問題あったら、クレームの電話とかも平気でするよ。ソフトウェアの契約書とかもな、普通の人が「同意する」ってボタンを何かに操 られるように自動的に押す、あの画面、アキちゃんはちゃんと全部読むよ。
それで納得いかへんかったらな、開発元に電話すんねん。普通やないよな。本人気がついてへんけど、その点についても普通やないねん、アキちゃんは。ネチっこいねん。
「どこと言われましても……」
「ものすごい奇跡 が起きて鯰 キャンセルとか、そういう事はないんですか」
アホみたいな話を、アキちゃんは大真面目 な顔して大司教 に訊 いていた。
餅 はそれに、困ったように目を瞬 いたが、結局答えたのは、その番兵 のほうやった。
「本間 さん、この八月の厄災 は予言 されているんです。ヴァチカンにその予言書 があります」
今いるコースでは地震 は絶対起きる。見えてるレーンを走らへんジェットコースターなんかない。乗ってもうたら、二回転半ヒネリやろうと、百メートル垂直落下やろうと、そういうコースであるかぎりは、ヒネるし落ちる。やっぱやめよかって、直前で言うても無理やねんアキちゃんて、神父は諭 そうとしてた。
「でも神楽 さん、言うてたやんか。俺が鯰 退治 の依頼 を請 けんかったら、予言書 の内容そのものが書き換 わるんやないかって。ものすごい大災害 になって、もっとひどいことになるように」
「そうです。可能性論ですが、そのほうが辻褄 が合っています」
「なんの辻褄 ?」
真面目に答える神楽 遥 に、アキちゃんは何か引っかかったんか、鋭 く問いただしていた。
「なんの、って……神の予言 が成就 しないはずはないからです。とにかく地震 が予言 され、それが起きる世界で、あなたが鯰 なる悪魔 を地獄 へ追い返せると記 されています。ですが、もし、あなたが依頼 を請 けず、悪魔 を追い返さないのであれば、予言書 自体が書き換 わるしかありません。神は時空 をも支配しておいでです、ですから、あらゆる時空 の未来をご存じなのです」
「あらゆる時空 ? いわゆる平行世界 ?」
いわゆる平行世界 って何や、アキちゃん。それって常識?
微妙 なところや。従 って、ここで解説しよう。
時空 、すなわちこの世には、人の目で見て、過去から現在、そして未来へと流れる一つの流れしかないが、実はそれと平行して流れる別のコースがあるという考え方がある。
この、隣 り合った別の流れというのが、平行世界 や。
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