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18-13 トオル

 もしもあの時、俺とアキちゃんが出会ってなくて、もうちょっと我慢(がまん)して藤堂(とうどう)さんとこに居ってたら、今ごろどないなってたかな。  あるいは、あの時天丼(てんどん)やのうて、カツ(どん)食うてたら、どないなってたかなみたいな、そんな「もしもあの時」によって分岐(ぶんき)する、別の流れや。  そんな、今の現実と大体同じやけど、肝心(かんじん)なとこがちょっと違う、別の時空(じくう)があるという考え方。  そんなん、無数にありすぎや。ほんまにあると思われへん。どっかでリニューアルした藤堂(とうどう)さんと、よろしくやってる俺がいる宇宙があるやなんて。  そんなん、時たまでええから一瞬()われ。未練(みれん)ないけど、好奇心(こうきしん)やんか。いっぺんやってみたいねん。  話()れてる。平行宇宙(パラレルワールド)や。  とにかくその、無限「もしも」ワールドみたいなのがあるという考え方は、SFマニアには定番らしい。宇宙が一個だけやのうて、沢山あるんやないかという考え方も、物理学の世界では割とマジもんらしいで。  変な奴らやなあ。そんな夢みたいなこと、真面目(まじめ)に考えてるなんて。  まあ、(しき)悪魔(サタン)や天使やなんて、そんなもんが実在してるなんていう事が、実は内緒(ないしょ)の現実なんやから、平行宇宙(パラレルワールド)、んなアホななんて、俺が言うたらあかんかなあ。  あるかもしれへんよなあ。俺がこの世にいるんやから、平行宇宙(パラレルワールド)はあると信じてる奴らが()るんやったら、あるんかもしれへん。それも一つの信心(しんじん)やからな。 「それってつまり、地震もなんも起きひんコースがあるってことでしょ?」  アキちゃんはしつこかった。神楽(かぐら)(よう)眉間(みけん)(しわ)寄せて、(なや)む目をした。 「可能性としてはあるでしょうが……ですからすでに、八月の厄災(やくさい)は予言されています。それは必ず起きて、あなたが何とかするんです、本間(ほんま)さん。私たちは(すで)にそういう時空(じくう)にいるんです。逃れようがありません」 「何とかって……何をするんです、俺は。()(にえ)(ささ)げて(なまず)に寝てもらうって、そこに書いてあったんですか」 「いいえ、方法論までは……でも、事実なんとかしつつあるじゃないですか?」  今さらそんな話をするなという顔で、神楽(かぐら)はアキちゃんと言い合っていた。大人たちはそれを、ああもうビール飲もかという顔で、他人事のように(なが)めてる。舌戦(ぜっせん)は若いモンに任せて、自分らは休憩(きゅうけい)入ってる。 「お(たく)の神さん、全知全能(ぜんちぜんのう)なんやなかったんですか。人死ぬの、なんで放置すんの?」  ずばり()きますみたいな無遠慮(ぶえんりょ)なアキちゃんに、神楽(かぐら)の目は一瞬泳いだ。(もち)はその横で、ごくごく美味(うま)そうにビール飲んでた。  ぷはあみたいな顔をして、空っぽになったグラスを置いて、大司教(だいしきょう)(あわ)い苦笑を浮かべた。 「(おぼ)()しです、本間(ほんま)さん。人は生まれて、いつか死ぬ、これは(おぼ)()しです。どのように死ぬかは、人それぞれです。残念ながら、神はそれに頓着(とんちゃく)なさいません。与えられた時を、いかに生きるかが人生なのです」  神楽(かぐら)が言葉に()まるところを、(もち)心得(こころえ)ていたらしい。まるごと話を引き取っていってた。 「ほな、全知全能(ぜんちぜんのう)とは言えへんやないですか」  アキちゃんは大司教(だいしきょう)を相手にしても、ちっとも舌鋒(ぜっぽう)(にぶ)らへん。このケバい(おび)したおっちゃんが、どんな偉い人か知らんからやろう。日本でいちばん偉い神父の一人なんやで。  しかし(もち)はそんな偉そう(かぜ)はちっとも吹かさず答えてやっていた。 「言えなくないことはないです。動機の問題です。神に、地震によって死ぬ人々を、生きながらえさせる動機があるかです。死は一種の救済でもあります。死後には天国に行けるのですから。善人だったらね」  うっふっふと笑って、(もち)(しゃく)をとろうとした(きつね)に、どうもどうもみたいな仕草(しぐさ)でグラスを差し出していた。(もち)の丸っこい手で持ってると、グラスがすごく小さく見えた。 「死んでもええわということですか」  愕然(がくぜん)みたいに、アキちゃんが言うた。(もち)はそれに、ゆっくり何度か(うなず)いてやっていた。 「そういうことです。残念ながら。それがうちの神さんの特性なんです。キリスト教では、この世に生きることは(ばつ)なんです。原罪(げんざい)への(むく)いです。刑務所みたいなもんです。ですから、真面目(まじめ)健全(けんぜん)なる良き一生を、精一杯(せいいっぱい)豊かに終えて、労働や出産、家庭を守る義務などを善良に果たして天寿(てんじゅ)(まっと)うし、天国へと旅立つことこそが、(さいわ)いなのです」 「そんなアホな……」  アキちゃんは二千年来の教義(きょうぎ)を一瞬で蹴飛(けと)ばしていた。  せやけどそれは、ボンボンならではの発想や。もしくは幸福な日本の、豊かに育って今も平和な人生送ってる奴の。  俺は死ぬのは怖いけど、生きていくのも怖かった。  明日はどこで寝てんのか、分からんような毎日なんやで。死んだらラクになるんかなと、思うたことないと言えば(うそ)になる。それでも死ぬ方がよっぽど怖いと思えたもんで、しつこく生きてきただけや。  だって俺には天国は待ってない。ただ消えてまうだけか、今より怖い地獄に行くんやって、そう思ってたんやもん。楽園は現世に求めるしかないわ。  とうとうそれを、見つけたけどな。俺にとってはアキちゃんのところが天国で、楽園やねん。もう離さへん。

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