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18-21 トオル
せやけどアキちゃんは、絵描きを志 していた。タダで絵描くのやめようって、思ったらしかった。
どうもそれは、おかんの教えらしい。タダで働いたらあかんえと、あのおかん、息子に教えてたらしいわ。
おかんは無料では舞 わへん。アキちゃんにとっては絵がそれに当たるもんなんやから、タダで絵描いてやったらあかんらしい。それが稼業 や、それで一族を養 っていくわけやからな、当主 としての心構 えやで。
でも、描くの俺なんやろ。俺も一家のひとりなんや。そらそうやろな、結婚すんねんから。家族やもんな。
ていうか元もと、アキちゃんに養 われてる身なんやけど、俺は。アキちゃんのおかんに養 われているというかやな。
それが先々はアキちゃんが絵筆一本で俺を養 うつもりらしいで。勇気あるなあ。
それに不足があるとは思えへんのやけども、どうせやったら俺も働こうかなあ。アキちゃんと一緒になんかできるんやったら、それはそれで幸せ。トミ子のお陰 で、俺も絵描けるようになったしな。何とはなしに女くさい絵なんやけど。この際、贅沢 言うなやで。
「ええやろ、亨 」
一応、今さら訊 いてくれたアキちゃんに、俺は渋々 頷 いた。まだ恥 ずかしかったんや。
だって藤堂 さんが心底 驚 いたという顔で俺を見た。
「絵、描くの。お前が? 絵、描けんのか?」
めちゃめちゃ真面目 に真正面 から目を見て訊 かれた。
お前、俺んとこ居た時には、そんなんせえへんかったやんかという事やろう。
「うるさい。描けるようになったんや、諸般 の事情で。お前にはもう関係ないやろ、ほっといてくれ!」
「どんな絵描くんや。いっぺん見てみたい」
「絶対見せたくない。見んといてくれ」
ほんまに見んといて。ファンシーな絵なんやから。それはトミ子の画風 なんやと思うけど、いちいちあいつが来て描かせてるわけやない。たぶん俺が描いてんのや。綺麗なお花とか、そんなセンチメンタルな絵をさ。
それが猛烈 につらいのよ、俺のキャラと合 うてへんのよ。恥 ずかしいのよ、藤堂 さん。
「届 いたら、見せてあげますよ」
悪魔 そのものみたいな声で、神楽 遥 が藤堂 さんに囁 いていた。
おのれ神父。まだまだ俺を苦しめる気か。羞恥 プレイや、ひどすぎる。
ていうか、おっさん、何しに来てん。要 らんやん、藤堂 さん。要 らんのに居 るからやな、こんな恥 ずかしい思いを俺がするんや。
帰れ。お前も帰りなさい。霊振会 の人と違うんやから。ただの宿泊先の支配人やろ。素人 やんか。
「さて、そちらのお話は終わりましたか、大崎 先生」
ああ、しんど。狐 とビール飲もかって、こっちに心持ち背を向けていた大崎 茂 に、藤堂 さんはにこにこ声をかけていた。
「んっ。なんや、まだ居 ったんか、藤堂 卓 」
ビール飲みかけていた大崎 茂 は、なんでかちょっと気まずそうに、わざとらしくびっくりしていた。
「中西 卓 」
にこやかに、藤堂 さんは訂正 を入れた。大崎 先生はそれを斜 に見た。
「それがどないしたんや、死にぞこないが、儂 になんか用かいな」
「いくら打診 しても会 うていただけないんで、こんなところまでお邪魔 しまして。うちのホテルの構造がおかしい件で、先生にちょっとお伺 いせんとあかんと思いまして」
「なんでこんな会合 の場所まで知ってんのや、しつこい男やな」
「蛇 の道は蛇 です。情報源なんかいくらでもあります」
その情報源は誰の目にも神楽 遥 やったけど、破戒 神父は完璧 に居直 っていた。フンみたいな顔をして、ごくごくビールを飲んでいた。
案外いける口らしい。薔薇 の花びらに埋もれたグラスから、軽く一杯飲み干 して、注 いでやろかという大司教 様から、遠慮 なく酌 を受けていた。
「うちのホテルは七十五室しかありません。どうやって二千人も泊まってらっしゃるんですか」
「うるさい。金払うて言うてるやろ。ごちゃごちゃ言うな。儂 を誰やと思うてんのや」
追求を受けて、大崎 先生は駄々 っ子みたいな返答をした。
それに狐 は苦笑してたが、特に諫 めはせえへんかった。
甘やかしてるらしい。お前が甘やかすから、こんな爺 になってもうたんやないか。
「大崎 先生、あんたはマナーの悪い客や」
にこにこしながら、藤堂 さんは断言した。それに大崎 茂 はむっとしていた。
「契約書 、読んでないんですか。ホテルの設備 に損害 を与えるようなお客様は、ご宿泊をご遠慮 いただくことになってます。勝手なことしてもろたら困るんです、あんたのホテルやのうて、俺のやから」
スーツの内ポケットから煙草 を出して、藤堂 さんは銀色のライターで火をつけた。その一口目の薄煙 を、ふはあと吐 くと、大崎 茂 は隣 の隣 の隣 やのに、敏感 そうに鼻を覆 って、ものすご嫌 そうな顔をした。
「やめろ、煙草 を吸うな。儂 は喘息 の気 があんのや。それに癌 にでもなったらどないしてくれんねん」
「しんどいですよ、癌 は。どんだけしんどいか。早う死ねみたいに思ってくれはって、ありがとうございました。まだまだ死にませんから。たぶん先生よりも先まで生きてる。絵をお譲 りできそうもなくて残念です」
めちゃめちゃ嫌 みに、藤堂 さんは言うた。
それに大崎 先生は、さらにむかっと来ていた。
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