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18-23 トオル

 秋尾(あきお)痛恨(つうこん)の表情で押し黙っていた。 「僕も知りませんよ、見たことないんやもん」 「絵は見たことなくても、身に(おぼ)えはあんのか」 「ありませんよ、そんなん。暁彦(あきひこ)様の意地悪(いけず)やろう。そんなん描いたら先生怒るやろうと思って、ふざけて描かはったんですよ」 「怒るわ!」  宣言(せんげん)どおりにプンスカ怒って、大崎(おおさき)(しげる)はがつんとビールのグラスをテーブルに戻した。  俺は、ほんまの話かと思って、殊勝(しゅしょう)に首を()れている眼鏡(めがね)(きつね)(ぬす)み見た。  その視線に気がついたんか、(きつね)もちらりと俺を見た。そして、一瞬、にたりと笑った。()れくさそうな、気まずいけども、根性悪(こんじょうわる)そうな()みやった。  (きつね)やからな。大崎(おおさき)(しげる)では調伏(ちょうぶく)できない、伏見(ふしみ)白狐(びゃっこ)なんやろ、秋尾(あきお)正体(しょうたい)は。  (しき)は自分を支配してる巫覡(ふげき)(うそ)はつけないんやけどな、こいつはほんまに大崎(おおさき)(しげる)(しき)やろか。実はただの守り神やないのかな。自分の意志で()いている。  俺がアキちゃんとの契約(けいやく)を切った後にも、(いま)だに取り()いて離れへんみたいに、大崎(おおさき)(しげる)が気に入って、ただずっと居座(いすわ)ってるだけやないのか。式神(しきがみ)みたいな顔をして。  式神(しきがみ)が他の(げき)から使役(しえき)を受けるなんて、そういうこともあるんかな。アキちゃんのおとんのほうが、大崎(おおさき)(しげる)よりも能力が上で、そやから秋尾(あきお)変転(へんてん)させられたんか。  アキちゃんのおとんて、そんな悪い子やったん。他人の(しき)寝取(ねと)ろうなんて、そんな悪党(あくとう)やったんや。  ふうん。さすがはアキちゃんのおとんやな。手癖(てくせ)が悪い。 「(いく)らや」  ドスの()いた声で、大崎(おおさき)(しげる)藤堂(とうどう)さんに()いた。 「売りません」  豆食いながら、藤堂(とうどう)さんはにこにこ言うた。 「なんで売らんのや。素人(しろうと)がそんな絵持ってても、ええことないで!」 「けっこう可愛い(きつね)やし、気に入ってるんです。でも、そうやなあ、先生。今回うちで何してはるか、(くわ)しく教えてくださったら、俺も考えます。それが(いや)なんやったら、俺も素人(しろうと)やから、(たた)るような絵やった怖いし、西森(にしもり)に言うて競売(きょうばい)にでもかけましょうか。先生の知らんところで」  うふって笑って、藤堂(とうどう)さんは機嫌(きげん)が良かった。  こんな悪い子やったっけ、藤堂(とうどう)さん。まさか俺の血?  それとも、もともと、仕事場ではこんな、根性悪(こんじょうわる)いおっさんやったんかなあ。 「……藤堂(とうどう)(すぐる)」  (うな)るみたいな声で、大崎(おおさき)先生は呼んだ。その歯がみしそうな歯列(しれつ)の中に、(するど)犬歯(けんし)が混ざってた。  大崎(おおさき)先生は相当な(とし)やろうけど、歯は全部そろってた。肌の色も綺麗(きれい)やで。(じじい)なんやけど、色白(いろじろ)で健康そうな肌や。  ほんまやったら、とっくに死んでるような(とし)かもしれへん。それでも超人的な胆力(たんりょく)で生きている。たぶん、狐憑(きつねつ)きやし、ちょっとばかし混ざってもうてんのやろ。(きつね)と仲良うしすぎたんかな。 「中西(なかにし)(すぐる)」  藤堂(とうどう)さんは、わざわざまた訂正(ていせい)していた。にこにこと。 「どっちでもええわ! この、外道(げどう)めが。何が目当てや」  (じじい)、マジで怒ってた。それでも藤堂(とうどう)さんは余裕(よゆう)で豆食うてたわ。 「いやあ。目当てというか。ひとつには、うちのホテルで好き勝手せんといてくれという話ですけどね。もうひとつには、せっかくお()まりいただいているんで、当方でも何かお役に立つことはないかと思いましてね」 「お役に立つやと?」 「地震でしょ、先生」  藤堂(とうどう)さんは、ちょっと(せつ)なそうに苦笑した。 「うちの親は、先の震災(しんさい)で死んだんです。妹夫婦もね。(おい)っ子たちも。皆、長田(ながた)に住んでましたんで。火事でやられてもうたんです。それに、うちの従業員にも、被災(ひさい)した者は多いです。みんな地元の子やからね。これも何かのご(えん)でしょう。こそこそせんと、一枚()ませてくださいよ」  にっこり笑って、(きつね)とは違う(へび)(きば)のある口元を、藤堂(とうどう)さんは見せた。 「そんなん……最初からそう言うたらええやないか」 「いや、(うら)んでるから、大崎(おおさき)先生のこと」  むっちゃ(さわ)やかに、藤堂(とうどう)さんは教えてやっていた。大崎(おおさき)(しげる)はそれに憮然(ぶぜん)としたけども、言い返しはせえへんかった。  まあ、そりゃあ、禿鷹(はげたか)みたいに、藤堂(とうどう)さんが死んで、あの絵が戻ってくんのを待ってたんやで。(うら)まれてもしゃないよな。  そいつのホテルに泊まろうなんて、大崎(おおさき)(しげる)も無神経というか、ええ(つら)(かわ)なんやで。  しかしやな、そんなことは、大事(だいじ)の前の小事(しょうじ)である。神楽(かぐら)(よう)の言葉を借りれば。  些細(ささい)(うら)みや鞘当(さやあ)てで、ギスギスしている場合ではない。総力(そうりょく)をあげて戦うべきときだ。他ならぬ大崎(おおさき)(しげる)が、ついさっきそう言うてた。 「わかった。始まればな、何日かかるか分からへん。できたら近隣(きんりん)の住民の避難所(ひなんじょう)にもしたいんや。野戦(やせん)病院というかやな。普通の怪我(けが)やないからな、死の舞踏(ぶとう)にやられた怪我(けが)は。そういうのに、お前のホテルを使(つこ)うてもええか」 「いいですよ。人を()めんのが商売やから。それに、うちには最近、医者も()るしね」  それで満足したように、藤堂(とうどう)さんは灰皿(はいざら)をとって、煙草(たばこ)()み消した。  そして大崎(おおさき)(しげる)と、おとなしく聞いていた(もち)大司教(だいしきょう)の空っぽなってたグラスに、ビールをなみなみと()いでやり、自分のグラスも手酌(てじゃく)で満たした。 「大司教様(ファーザー)」  カトリックの礼儀(れいぎ)やわ。まずは高僧(こうそう)酒杯(しゅはい)を上げて首を()れ、藤堂(とうどう)さんは敬意(けいい)(ひょう)した。  そして大崎(おおさき)先生に、自分と乾杯(かんぱい)させていた。

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