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18-24 トオル

「先生、お(だい)はがっぽり取りますからね」 「取れ取れ、(はろ)うたる。俺を誰やと思ってんのや。世界でも有数(ゆうすう)の大金持ちやで」  ヤケクソみたいに、大崎(おおさき)(しげる)は酒をくらってた。大司教(だいしきょう)もにこにこ付き合い酒やった。  秋尾(あきお)はほっとしたように、いつもの(あわ)い笑みやった。蔦子(つたこ)さんは、みんなアホやと言いたげな苦笑顔(くしょうがお)。そしてアキちゃんは、誰も見てないテーブルの下で、俺の手を(にぎ)ってた。  (とおる)、どうしようかと、アキちゃんの心が俺に(ささや)くのが聞こえてた。  心配せんでええねんジュニアと、水煙(すいえん)がそれを(なぐさ)めていた。たぶん俺のことも、水煙(すいえん)(なぐさ)めていた。心配することはない。秋津(あきつ)(もん)は俺が守ってやるからと。  だけどまだ、アキちゃんに打ち明けてない。水煙(すいえん)と俺が、あの犬を()(にえ)に出すつもりなことを。肝心(かんじん)祭主(さいしゅ)であるアキちゃんには、話してへん。  トミ子にも、相談できへんかった。結局(けっきょく)肝心(かんじん)のところは何も。  トミ子やない。(せい)スザンナやけど。それでも神聖な輪っかをかぶった身の上で、俺とアキちゃんを祝福(しゅくふく)してくれた。ええ(やつ)や、あいつはほんまに、ええ(やつ)なんやで。  厄災(やくさい)の日まで、あと三日。平和な夜は、あと三回しかない。  アキちゃんと抱き合って眠る平和な夜が、まさかあと三回しかないってことは、ないやろなって、俺は内心不安やったわ。  たぶんアキちゃんもそうやったんやろ。人前や。誰も見てへんけども、皆の()るとこやねん。そこでもずっと、俺の手を(にぎ)っててくれた。お前の手を離さへんて、そういう意味に思えたし、俺はその手の温もりに、なんとかギリギリ()やされていた。  皆が酒飲んで見上げるテレビ画面では、阪神がボロ勝ちしてた。今夜負けたら敗退(はいたい)と、心配していた信太(しんた)のことが、ちらちら脳裏(のうり)()ぎっていたけど、それはいつか、アキちゃんに抱かれて(おも)ったような、不実(ふじつ)(とら)幻影(げんえい)ではない。  まさかあいつが死ぬなんて、そんなことあったら、どうしよう。  何の義理もない(とら)やけど、それでも(えん)のある(とら)や。あいつが死んだら可哀想(かわいそう)。何とかできへんもんやろか。  アキちゃんには、そんなこと、どうでもええんやろか。信太(しんた)のこと、あんまり好きやないみたいやしな。せやけど、たとえそうでも、死ねばええよと割り切るような、そんな子やない、アキちゃんは。優しい子やねんで。  そうやろ、アキちゃん。  何とかしてくれるんやろ、って、何の根拠もない(たよ)る気分で、俺はアキちゃんのぼけっとしたような横顔を見た。  アキちゃんは、何か考えてんのか、何も考えてへんのか、よう分からんような、ちょっと遠い目の真顔でいたわ。  その手は水煙(すいえん)(つか)(にぎ)ったままやった。俺と手を(つな)いでへん、右手のほうには、それはそれで、しっかり離さん強さで、水煙(すいえん)(にぎ)りしめていた。  結局それが、本間(ほんま)暁彦(あきひこ)の人生の縮図(しゅくず)やった。右手に水煙(すいえん)、左手に俺の手を、(にぎ)りしめている。守るみたいに。あるいは、(たよ)るみたいに。その手を離すことはない。絶対離さへんて、そういう強さで(にぎ)っててくれる。  そうやって守ってやれるのは、精々(せいぜい)が俺と水煙(すいえん)だけで、アキちゃんには手が二本しかない。それで定員いっぱいや。(しき)を連れ合いにして、手を引いてつれていこうと思うてんのやったら、それがアキちゃんの、限界やねん。  おとんはどうやって、両手の指でも足りへんくらいの数の式神(しきがみ)を、(したが)えていたんやろ。  血をやってたと、水煙(すいえん)は言うてたけども、(けだもの)にエサやるみたいに、時々血を()めさせて、時々気ぃ向いたやつと寝てやってって、そういう毎日やったんかなあ。  そうして山ほど(しき)()るのに、それでもまだまだ欲しいと思えて、ヘタレの(しげる)白狐(びゃっこ)まで、ぶんどろうとしてた。  それは血筋の性癖(せいへき)かもしれへんのやけど、アキちゃんのおとんには、義務があったんやろ。手駒(てごま)として使える強い式神(しきがみ)を、たくさん(かか)えておかへんかったら、秋津(あきつ)総領(そうりょう)としての面目(めんもく)(たも)たれへん。  それはそれで必死やったんや。お殿(との)様かてな。  アキちゃんも、そんな(ふう)になりたいやろか。情けないわって、そんな(つら)そうな顔してた。秋津の家には、そんな力はもうないと、大崎(おおさき)(しげる)に断定されて、アキちゃんは死にそうな顔してた。  板挟(いたばさ)みやな、アキちゃんは。いつだってそうやねん。俺と水煙(すいえん)の間で苦しい。自分の恋愛感情と、家を愛する気分の間で、ゆらゆら()れてる。その波に激しく()まれている時にはいつも、苦しい苦しい船酔(ふなよ)いみたいな顔してる。  それでもこの時アキちゃんは、俺が心配して顔見ると、うっすらやけど、優しいような微笑(びしょう)を浮かべた。 「阪神勝ったみたいやな……(うれ)しいか?」  やんわり小声で(たず)ねられて、俺は苦笑で答えてた。  ほんま言うたら、もうどうでもええねん。それどころやない。(にわか)ファンやしな。どうせモグリやねん。アキちゃん心配やしな、日本シリーズどころやないで。 「指輪、買いに行こうか。この後」 「もう九時やで、アキちゃん」  普通の店は閉まってる。明日にしたら、って、俺はそういうつもりで教えてやった。  いくらアキちゃんの神通力(じんつうりき)がすごくても、もう閉まってる店を開けさせるのは、()(まま)やないか。ボンボンやから、別にええやろみたいな気がするんかな。

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