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18-25 トオル

 アキちゃんは苦笑の横顔をして、()()に答えた。 「ええねん、中西(なかにし)さんに(たの)むから」  ホテルのショップを開けてくれと(たの)むつもりらしいで。しかも俺の元カレに。  アキちゃんも(たい)した(つら)(かわ)やわ。せやけど元はと言えば、あのおっさんが(すす)めた縁談(えんだん)なんやしな、責任とるやろ、俺の元パパも。  それのスイート・ハートかて、大喜びで神父やるやろ。(すぐる)さんを誘惑(ゆうわく)してた悪い(へび)は、可能な限りさっさと片付けてまおうって思うはずやしな。 「三日だけかもしれへんけど、それでもええか」  ()れくさそうに、アキちゃんは俺に(たず)ねた。  そう言われた質問の意味を考えて、俺は真顔(まがお)になっていた。  アキちゃんは、死ぬつもりみたいやった。三日したら、もう死ぬけど、それでもええかって、俺に()いていた。何も説明されへんかったけど、そういう意味や。俺には分かる。  でも、なんでそうなんの。アキちゃんが死ぬ必要はない。なのになんで俺は死ぬって、覚悟(かくご)決めてるみたいな顔をしていたんやろ。  訳も分からんのやけど、()ずかしそうに俺を見る、アキちゃんがいつもよりずっと、大人みたいな顔してる気がして、俺はカタカタ(ふる)えが来てた。アキちゃんはその手を、もっと強く(にぎ)ってくれた。 「そのほうがええか。お前の(しょう)には合わんやろからなあ。ずっと俺に(しば)られてるみたいなのは……」  (まぶ)しいみたいな目で俺を見て、アキちゃんはいつもの、俺が好きやという顔やった。  いつもは(うれ)しく見つめ返したその顔が、今夜ばかりはつらい気がして、俺はそれから目を(そむ)け、テーブルの上にグラスの水が描いてた、いくつも重なった輪っかみたいな模様(もよう)(なが)めた。 「そんなことない……永遠にずっとって約束やったやん。そういうもんやろ。そうやないならな、誓います(アイドゥ)言わへん。三日だけなんて、そんな、どんだけケチやねん」  藤堂(とうどう)さんよりひどい。泣いていいなら泣きたいような気がしてた。  せやけど(いや)や。その藤堂(とうどう)さんも、むかつく神楽(かぐら)(よう)も、大司教(だいしきょう)も、他の皆も()る前で、俺は泣き(くず)れたりせえへん。  俺にも意地(いじ)面子(めんつ)はあるわ。トミ子や蔦子(つたこ)さんみたいに、めそめそせえへんからな。 「そうか……。永遠やったらええのになあ」  アキちゃんは俺に同感らしかった。でもそれは、約束やない。ただの願望や。  それにクラクラ目眩(めまい)がしてきて、飲んでもないのに()うたみたいやった。  たぶん()うてる。船酔(ふなよ)いや。でっかい波に翻弄(ほんろう)されてる。もうあかん、船が(しず)むよりましやから、(げき)を海に放り込めって、そんな冷たい現実が、(いや)でも胸に押し寄せてくる。  水煙(すいえん)は、大丈夫やと言うけども、ほんまに大丈夫なんやろか。アキちゃん、(りゅう)に食われてもうたりせえへんか。アキちゃんのおとんが、海神(わだつみ)に食われたみたいに、その息子であるアキちゃんも、同じ運命辿(たど)るってことはないか。  俺はもうほんまに、元気が出えへん。お前は元気が()()やと、いくらアキちゃんに言われても、俺かて元気が無いときはある。  そういう時にはアキちゃんが、俺を(はげ)ましてくれる。明日は用事ないみたいやし、どこかに画材(がざい)を買いに行って、信太(しんた)や鳥さんに約束してやってた不死鳥(ふしちょう)の絵とか、藤堂(とうどう)さんに描くて言うてたホテルの絵とかの、下絵でも描いていようかなあって、アキちゃんは俺に話した。  そして、お前も仕事やねんから描けよ、スポーツ・バーに光臨(こうりん)した天使の絵をと、アキちゃんはそれがいかにもアホみたいなように笑って言った。  試合後のヒーロー・インタビューも終わり、店に集まっていた有象無象(うぞうむぞう)は、()()りに帰っていった。  大崎(おおさき)(しげる)(きつね)が送る。蔦子(つたこ)さんは、まるで気を()かせたように、今夜はえらい、昔なじみの(しげる)ちゃんが(なつ)かしいわという顔で、それに同乗(どうじょう)すると言い残して、とっとと帰った。  (もち)を送っていくとかで、藤堂(とうどう)さんは自分と神楽(かぐら)が乗ってきた車を六甲(ろっこう)まで走らせるつもりのようやった。  あんた酒飲んでたやろ。飲酒運転やで。悪い奴やで。  ()めただけやと藤堂(とうどう)さんは笑って答えた。酒強いねん。ぜんぜん()わへんのやで。()わせて理性失わせよかみたいな戦法は、一切(いっさい)通用せえへんで。  いっしょに付いていくつもりでいた神楽(かぐら)(よう)を、藤堂(とうどう)さんは空気読めへんことに、アキちゃんと俺の車に乗せようとした。お前は先にホテルに帰れと言うて。  蔦子(つたこ)さんでさえ空気読んだのにやで。(にぶ)すぎやわ、藤堂(とうどう)さん。  俺は一瞬(うら)んだけども、神父はにこにこ悪びれへんかった。 「ホテルのマスターキーを(あず)かってますから、礼拝堂(チャペル)開けましょうか。僧服(そうふく)がよければ着替えますけど、とにかく早くがよければ、このままででも。たかが服やし、関係ないです。大事なのは(ちか)うことやから」  早うせえと、神楽(かぐら)(よう)(すす)めてた。決心の(にぶ)らんうちに。はっと我に返らんうちに。アホがアホやと気がつかへんうちに。そんな気分の消えへんうちに、誓います(アイドゥ)言うてまえって。  藤堂(とうどう)さんが、命より大事なホテルのマスターキーを、こいつにほいほい()すなんて。たかが店と礼拝堂(チャペル)(かぎ)開けるためだけに。

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